第22話 矢走の葛藤、番条の決意
駅のホームで電車を待つ間、喜律さんは無言のままだった。電車に乗って、降りて、静かな住宅街に入っても、ずっと俯いたまま、口を開かない。景品の入った袋が風に揺れてカサカサと音を鳴らすだけ。春の夜は寒い。
「私はどうしたらいいでしょう?」
初日の下校デートで別れた交差点に差し掛かったとき、喜律さんはポロリと声を漏らした。
「朝久場さんのこと? 別に気にしなくていいと思うよ。サキュバスじゃないわけだし」
「でも少なからずデートを邪魔されています。後ろからつけられて、ふたりだけの空間が台無しです。もちろん土志田さんは悪くありません。エクソシストの責務を果たそうとしているだけですから。悪いのはサキュバスであることを隠しているこの私です」
やはりいつもの流れになってしまう。せっかく昼は良いムードだったというのに。
いや、それどこか、昼のデートがなおさら彼女を追いこんでいた。
「初めて知ったのです。デートというものがこんなにも楽しいものだと。成仁さんとの時間はとっても楽しかったのです。それこそ私の信念を覆してしまうほど!」
昼の出来事を思い出して笑顔になる喜律さんだったが、すぐにシュンと眉尻を下げる。
「しかし、デートの楽しさを知ってしまったからこそ、そのデートを邪魔している事実に耐えられないのです」
「喜律さん……」
最高の時間は、同じ分だけ罪悪感を増幅させてしまっていた。
「私が白状すればみんな幸せになれる。そんな気がしてなりません」
背中を丸めて帰路につく喜律さんにかける言葉は見つからなかった。
隣で咲いていた太陽のように明るいひまわりはすっかり萎れてしまっている。
もう一刻の猶予もない。
俺は覚悟を決めた。
月曜日の昼休み。張り込み刑事から事の顛末を聞かされた。
「あのあと明け方まで張り込んでいたのだけど、決定的な証拠が手に入ったよ。写真を撮ってきた。ほら」
帰宅の約束を反故にされ憤怒する喜律さんを抑えつつタブレットの画面を見る。
朝久場さんが松下君とホテル前で別れる様子。
「これが十一時半。そしてそれから十分後が二枚目」
そう言って画面をスワイプ。
そこには別の男と同じホテルに入る朝久場さんの姿。
「これって……」
「二人目に手を出した」
そして三枚目、とスワイプ。また別の男。
「この日だけで三人の男とホテルイン。ビッチもビッチもドビッチさ。こいつがサキュバスじゃなかったら何だというんだ」
高らかに宣言する。
俺もうなずきかけた。
一夜で三人を相手にするなんて異常。俺なんて十七年も生きてゼロだぞ。格差社会だ!
これを見せられたら朝久場さんをサキュバスだと断定するのも理解できる。サキュバスじゃなかったらどんだけ性欲の強い女なんだよ――
――そうです。ただの性欲の強い女なんです。だってサキュバスは喜律さんだから。
白亜紀に生きていたらティラノサウルスも食ってしまいそうなほどの肉食系女子だなホント!
「これで九十九・九パーセント朝久場君がサキュバスだ。もう彼女以外をマークする必要が無くなった」
「で、どうするんだ。朝久場さんのでっかいお胸に十字架でも挟むのか?」
「おや、私のありとあらゆる血管を破裂させるほどにはアイロニーたっぷりじゃないか。血みどろな昼食を食べたいのかい?」
「死ぬほど効いてる……」
「そんな態度でいいのかい? 君の彼女が祓われようとしているんだよ。余裕をこいている場合じゃないと思うが」
言われて思い出す。
そうだったな。土志田さんの理論だと『俺の彼女=サキュバス』。つまり朝久場さんは俺の彼女ってことになる。誤解だけど。
「ま、残念ながら君の彼女さんはお役御免。この世からさよならバイバイだよ。しかし安心したまえ。今すぐじゃない。もう少し様子を見るよ。九十九・九パーセントを百パーセントにするまでじっくり観察させてもらう」
高笑いで朝久場さんの教室に向かう土志田さん。意外と慎重派なのね。
「朝久場さんはサキュバスじゃないんです。私がサキュバスなんです」
細身の背中が消えたところでポツリと漏らす。罪悪感は日に日に増すばかり。
だから俺は小動物の頭をそっと撫でるような優しい声で、
「喜律さん。お願いがあるんだけど、今日の放課後、土志田さんを足止めしてくれないか?」
「?」
「策があるんだ」
今度は俺が喜律さんを救う番だ。
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