指輪から見ていた

「おばあちゃん、前髪、邪魔じゃない?」

 こたつの上掛けを抱えながら、私は対面でいぶし銀の指輪を磨いているおばあちゃんに声をかける。

 おばあちゃんはさっきから何度も繰り返している、白い前髪を手で避ける動作をもう一度して、顔をゆっくりと上げた。しわくちゃの顔に紛れている細い目は、自分が何を言われているのか理解できていない様子だった。

「前髪」

 私は自分のヘアバンドを外して前髪を摘む。おばあちゃんも垂れ戻った前髪を摘む。そして首を傾げる。

「みーちゃん、目が悪ぅなるよ。ヘアバンドつけね」

 おばあちゃんがもごもごと言う。

「おばあちゃんも、目が悪くなるよ」

 私はヘアバンドを装着して、前髪を一気に掻き上げ押さえつける。

 おばあちゃんがあわあわと小さな手を私に伸ばしてくる。

「みーちゃん、そんな強くやったら、おでこに傷がついちゃうよ」

「おばあちゃん、ヘアバンドじゃ傷はつかないよ」

 私は立ち上がっておばあちゃんの横で膝をつく。おばあちゃんがこちらを見て首を傾げる。犬のような仕草に口元が緩む。

「ヘアバンド、上げてあげようか?」

 おばあちゃんの首にかかっている色落ちして薄くなった赤いヘアバンドを指差す。

「ばあちゃんは大丈夫よ。でも、みーちゃんのおでこ……」

 おばあちゃんの小さな手が私の額に触れる。

 潤いの足りないしわくちゃの手はお世辞にも気持ちの良いものではないけれど、心地よさが随一だ。なんなら母さんに撫でられるよりも好きだ。

「傷なんてないでしょ」

「ほんとう?」

「本当。大丈夫だから」

 髪の生え際をさすさすと撫でられる。心配をしてくれているおばあちゃんには悪いけれど、気持ちがよくてやめてとは言えない。

 しかし、なぜヘアバンドで怪我をするのか。おばあちゃんの首にかかっている物も、私がつけている物も布製だと一目で分かるはずだ。

 その時、いつの間にか外出から戻って来たおじいちゃんが、歳の割にはかっこいい顔をしかめて居間に入ってきた。

「何をしてる?」

「わたしのおでこが心配されてる」

「なんで?」

「ヘアバンドで怪我するんだって」

 おばあちゃんの横に座ってこたつに入ったおじいちゃんは納得した様子で笑った。

「おまえ、みーのヘアバンドもおまえのと同じだろ。怪我なんてするわけね」

「そうなの?」

「そうだよ。みー、ちっと触らしてやれるか?」

 最後は私を見て言う。

 それもそうか、と私はもう一度ヘアバンドを外しておばあちゃんに差し出す。

 おばあちゃんは必死に理解しようと首を傾げ傾げて、細い目を凝らし、しげしげとヘアバンドを観察する。

「俺がおまえにやったのと同じだろうが」

 おじいちゃんはこたつの上のみかんを掴んで揉む。

「ほんとだねえ。やわっこいねえ」

 おばあちゃんはもみもみと思う存分揉んでから、私にヘアバンドを返してくれた。そして、思い出したように指輪を磨き出す。

「おまえ、これ以上目を悪くする気か」

 おじいちゃんが悪態をつきながらも、おばあちゃんの首にかかっているヘアバンドを上げてあげた。丸くてしわしわのおでこが露わになる。

 なんとなくおばあちゃんの髪の生え際を見てみるが、これといって何も見受けられなかった。

「おじいちゃん、おでこの怪我ってなんのこと?」

 おじいちゃんはみかんの皮を剥く。

「こいつはな、昔、歯のついたヘアバンドをしてたんだがな」

 歯のついたヘアバンド――コーム付きの硬いやつのことか。

 私もおばあちゃんの横に座ってみかんを手に取る。

 おじいちゃんは皮を剥き終えて、今度は筋取りに入っている。

「毎回強い力で髪を上げるもんで、でこに傷がついたんだ」

「あれ、結構固いもんね」

「だろ? そんで傷口にカサブタができて、けど歯でカサブタをぼろぼろはがして、また傷をつけてって。治るわけねーだろ」

 おじいちゃんは仕上げた綺麗なオレンジ色の球体を小房に割く。

 私は筋も取らずに、二、三房まとめて口に放り込む。ちょっと酸っぱい。

「力を弱めろってつっても、弱いと髪が落ちそうでって聞きゃしねー」

 おばあちゃんがおじいちゃんに顔を向けて、ぱかりと小さな口を開く。おじいちゃんは当然のようにそこへみかんを一房投げ入れた。

「甘いねえ」としみじみと嬉しそうに呟く。おじいちゃんはわかりづらいドヤ顔をきめて、自分もみかんを一房食べる。

「それで布のヘアバンドをあげたの?」

「みたっくないデコを晒すもんだ。女としてどうかと思ったんだ」

 おばあちゃんがまたみかんを催促する。おじいちゃんもポイと投げ入れる。そして満足げなおばあちゃんの向かってドヤっとする。

 私もみかんを頬張る。やっぱり酸っぱい。

「指輪、できたよ」

 おばあちゃんが磨いていた指輪をこたつの上に置いて、おじいちゃんの方へ押しやった。

 磨き始めたときとあまり変わらない使い古されたいぶし銀の指輪を、おじいちゃんは指で摘んだ。そして、これまた鈍い銀色の細かい鎖を取り出して指輪に通す。それから、それをおばあちゃんに渡して、自分はおばあちゃんの傍に寄って背中を向けた。

 おばあちゃんも心得たと、両手をおじいちゃんの前に回して、鎖をおじいちゃんの首にかけ、小さな留め具なのに迷いなくしっかりとかけた。

「ありがと」

 おじいちゃんはこたつに戻ると自分がはめていた指輪を外し、それをおばあちゃんへと押してやる。それからおばあちゃんの口にみかんを放る。

 おばあちゃんはまた指輪を拭き始めた。

 私はふと思い出して提案してみる。

「みかんの皮を使うと綺麗になるんだってよ」

 単なる好奇心だった。二人の指輪はどちらも鈍い銀色をしているから、綺麗になれば嬉しいかなっていう爺婆孝行という打算も少しあった。

「そったギンギラしたもん、年寄りがつけれるか」

 おじいちゃんははっきりとお気に召さず、おばあちゃんも私を見て小首を傾げるなんて分かりづらい拒否を示す。

 綺麗な銀の指輪をしたイケじいちゃんもありだと思うのだけど。おじいちゃんの顔はいい方なのだし。おばあちゃんだっていつも指にしているから、人懐っこい顔と相まって、可愛らしさに一花添えた上品なおばあちゃんにならないだろうか。

 ふむふむと想像している最中、とある疑問に打ち当たる。

「ねえ、前から思ってたんだけど、なんで指輪を毎日交換するの?」

 おじいちゃんはみかんを食べきり、もう一個を手にした。それを両手で包み揉む。すごく揉む。なにかを紛らわすようにひたすら揉む。

 おばあちゃんが体を小さく揺らして笑った。

「昔はね、じーちゃん、出稼ぎが多くてね」

「あー、なんか都会の方に行ってたんだよね。母さんに聞いた」

 おばあちゃんが何度も頷く。

「みーちゃんのお母さんが生まれても、戻ってこれなくてね」

 おじいちゃんが気まずそうにみかんを揉む。

「戻ってこれたときにね、一緒だと思えるからって言ってね」

「指輪を交換したの?」

 おばあちゃんが短い言葉で何度も肯定する。その時のことを思い出しているのか、ヘアバンドのお陰で明るくなった顔が穏やかな微笑を浮かべていた。

 私はこたつの天板に顎を乗せておじいちゃんを見上げた。きっと私はとてもにやけた顔をしていたのだろう。おじいちゃんが鋭くない、孫に対する甘さが抜けきらない眼光で睨んでくる。

「おじいちゃんてロマンチストだったんだ」

「んだねー」

 おばあちゃんは嬉しそうだ。当時、言われた時も嬉しかったのかもしれない。

「違うわ。黙ってみかんでも食ってろ」

 おじいちゃんが揉んでいたみかんを私に転がしてくる。

 玄関が開く音がしたかと思うと、「ただいまー」と父さんの声がする。母さんが台所から廊下に出て玄関に向かいながら「おかえりー」と返事をする。玄関で何かを話しているようだけど、声が小さくなって聞こえなかった。

「いい時代になったねー」

 おじいちゃんからもらったみかんの皮を剥く。

 おばあちゃんは私の言葉に頷いてくれたのに、

「わらしっこが何をしゃべってんだか」

おじいちゃんは鼻で笑ってくる。初めて私を抱っこした時の写真並みにふにゃふにゃの顔で笑ってくる。

 なんだかんだ言っても、おじいちゃんだってきっと同じことを思っているに違いない。おじいちゃんにもみくちゃにされたみかんを食べながら、私はそう確信した。

 かつて指輪に見ていた家族団欒が、今、ここにあるのだから。



―――――

お題:「家族団欒」「ヘアバンド」「いぶし銀」

お題配布元:三題噺ガチャ

※NOVEL DAYSにて掲載していました。

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