MELODY FOR A⭐︎LIVE!

塩胡しょこ

Chapter1 星屑は瞬いて 1話

瞳を開け、目の前のモニターにピントが合い始めてくると同時に、飛行機のアナウンスに耳を傾けてみる。


『当機は、まもなく、ツリーズポート空港に着陸いたします。ご利用のお客様は、御着席頂いた上で、しっかりとシートベルトを――』


「あっ、いけない、寝てた…」


青みがかった黒髪の少年は、ぱちぱちと自分の頬を数回叩いてから、飛行機の窓を覗く。


「わぁ…!すごい…下からずっと見てたゴッドツリーを見下ろしてるなんて…!」


ゴッドツリーは、世界の真ん中に一本だけ生えた巨大樹である。1000年前、有毒ガスが噴き出し始めてから、そのガスの影響でムクムクと異常に育ち、地上3キロメートルの高さにまで育った。その上に作られた広い街、それがゴッドツリーシティーだ。


いや、自分はこれからここで生きていくのだ、しっかりしなくては、と心で唱えながら少年は首を横に振り、そっと右手を左胸に当てる。


「ドキドキ…してる…」


これからここで自分は歌手になり、世界に歌を届けられるムジカになり、そして、憧れのあの人に―――


「お客様、シートベルトをお閉めください」


目の前でシャボン玉がはじけたように現実に戻された少年は、耳を赤くしながら慌ててシートベルトをし、何事もなかったかのようにまた窓に目を向ける。


「…うう、やっぱりちょっと不安かも…」





「えっと…ムジカ職希望の人のゲートは…」


少年は片手でスーツケースを支えながらチケットとあたりの看板とを交互に見る。

ムジカへの進化は、この世界で聴覚から楽しむ娯楽を提供する職につくための必要事項だ。

ムジカへの進化はかなりリスクが高く、かなりの覚悟がいる。

以前は誰もが配信者や歌手などになり、広告代などの収入を得ていたが、ムジカとなることを条件にしてからはそのような活動をする人々は85%ほど減ったとされている。


「…あれ、ムジカ希望の人…ですか?」


少年が振り向くと、ひょろ長の青年が緑色に光るゲートの前で小さく手を振っていた。


「あ、そ、そ、そうです!あ、えと、もしかしてそこのゲートが…?」


声が裏返ってしまい、少年が恥ずかしそうに下を向くと、青年はその様子を見てふふと笑った。


「僕も…そうなんです。よかったら、一緒に行かない?」


少年は顔を輝かせて青年に駆け寄った。


「う、うん‼︎ありがとう‼︎…あの、僕、チヒロって言います。君の名前も聞いていいかな…?」


チヒロの輝く大きな瞳に少したじろいでから、青年はやわらかく微笑んだ。


「…僕は、タユ。よろしくね、チヒロくん」


チヒロはこの地に来て初めて友達ができた喜びに、思わず鼻歌を歌う。

2人は並んでゲートをくぐり、道なりに進んだ先に停まっていたバスに乗った。乗客はチヒロとタユの他には居ないようだった。


「チヒロくんは、どうしてムジカになるの?」

「えっ?えーっと…」


チヒロは少し恥ずかしそうに目線を色んなところに回しながら、窓の外に見えてきた『ムジカ研究所』を見遣った。


「…僕、は、あのね、僕の地元の人が、僕の歌を聴いて喜んでくれたのが嬉しくて、それでね、歌うのが好きだから、世界中の人に聴いて欲しいって思って、ここに来た」

「そうなんだ…おっきな夢だね。素敵、だと思う」


タユはチヒロに少し困ったような微笑みを向けた。

チヒロは興奮をそのままに続ける。


「それでね、いつか、マコトさんに会うんだ」

「…マコト…って、あの、伝説のシンガーの?」


タユのその言葉が、チヒロの口火を切った。


「そう!3年前、ゴッドツリーシティーのど真ん中にあるレインボータワー、あるでしょ?あそこでやったマコトさんのライブ中継を家で見て…もうめちゃくちゃ感動しちゃってさ!僕も一緒に歌いたい〜って気持ちが止まらなくて…それまでも歌うのは好きだったけどそれ見てから絶対あそこにいくって決めたんだよね…」


そこまで一息で喋ってからチヒロは我に返ってタユの表情を見た。タユは圧倒されたように、言葉を失ってチヒロをポカンと見つめていた。


「うわっ、わー!ごめん!つい、マコトさんのことになるとこうなっちゃって……お願い引かないで…」

「…ふふ、ふふふ、どっちかって言うとそっちがムジカになる理由、かな?」


タユが笑ってチヒロにウインクを飛ばす。


「あ…えへへ、そうかも。なんて…」


2人は顔を合わせて笑った。


「そうだ、タユはなんでムジカになるの?」


タユはハッとして、なぜかバツが悪そうに言葉を詰まらせた。


「えっと……僕はその…ごめん、秘密」


タユのそれ以上聞いて欲しくなさそうな表情を察して、チヒロは「ごめん」と軽く謝った。

2人の間に微妙な空気が流れる。


『ご乗車の皆さま、まもなく、ムジカ研究所に到着いたします。』



「あ、そろそろ着くね…チヒロくん、降りる準備できてる?」

「う、うん」


タユの柔らかな微笑みの裏側に潜む冷めた感情をチヒロは感じ取っていた。

チヒロは彼の性格上、その薄暗い感情を拭ってあげたくなり、タユに「やっぱり教えてよ」と言いたくなったが、ぐっと押さえ込んだ。


研究所は高さこそないが、大きな平屋型だ。

自動ドアが開くと壁も床も照明も全てが真っ白で、あまりの白さに少し目が眩んだ。

見渡す限りでは広いロビーに2、3人の白衣を着た研究員が通行しているだけであまり人はいないように思える。

2人がどうしていいかわからず、入り口付近で立ち竦んでいると、彼らの元にコツコツと踵を鳴らし歩いてくる音が聞こえてきた。


「ようこそ、昼の便で来たムジカ化志望の方達ですよね。

私はここの研究員のヤキと申します。」


首から下げた社員証を指で摘んで小さく掲げて見せるとすぐにヤキは踵を返す。


「こちらです。着いてきてください。」


ヤキに続いて扉を通ると、また廊下に出た。

向かって左脇には強化ガラス越しに、下のフロアが見える。

チヒロとタユはヤキに続いて歩きながら下のフロアを覗く。

よくわからない機械が立ち並び、研究員は忙しなくその機械を順番に回って何か操作している。


「僕ら、あそこにいくのかな」

「どうだろう……あっちの音が少しこちらにも聞こえるから、違うんじゃないかな。防音設備が必要だと思うし…」


2人の声をひそめた会話に、聞こえていますよと言わんばかりに、大きな声でヤキが参入した。


「その通りですよ。下のフロアはムジカの能力を解析する場所ですからね。こちらです、お入りください。」


ヤキが何やら厳重そうな扉を軽やかな指さばきでロック解除すると、扉が開いた。

扉の先は赤い非常灯のみの暗く長い通路だった。

その先に緑色のランプが上部に付けられた小さな扉が見える。


「少し暗いので足元お気をつけて。何もありませんが。」


どんどん奥に行ってしまうヤキの背を、チヒロが不安そうに見つめる。そんなチヒロの背を、タユが軽く押した。


「大丈夫?早く行こう」

「う、うん…」


奥に行くほど外の音が遠くなり、静かになっていく。

チヒロが不気味に思い少し背を曲げながら歩くのに反して、タユはさくさく歩いて行く。


「タ…タユは怖くないの?なんか、ムジカになることもどうでもよさそうっていうか…」


ふと口から出てしまった言葉に自分でも驚きながら急いで手で口に蓋をした。


それまで半歩先を歩いていたタユがピタリと足を止めたので、チヒロは驚いて恐る恐るその表情を覗いた。

タユも驚いたように目を見開いていたが、すぐにまたやわらかい微笑みを浮かべた。


「チヒロくんは…よく気づくんだね」

「ご、ごめん…表情うかがうようなことして…」

「…うんん、こっちこそ、なんかごめんね」


タユの切なげな微笑みにチヒロはもう耐えきれなかった。


「っ、あのさ、やっぱり聞いてもいいかな⁉︎ムジカになろうと思った理由」

「お二人とも、ここです、お入りください」


測ったかのようなタイミングでヤキの声がチヒロの問いかけを阻んだ。

タユは「行こう」とだけ声をかけるとヤキに続いて緑のランプがついている扉から小さな部屋の中に入った。

チヒロはやりきれない気持ちで諦め、それに続いた。


小さな部屋の中には、6つ、人が入れそうな空のポッドが横向きに並んでいた。

ヤキはそのうちの2つを、どこかのボタンを押して開いた。


「今から、このポッドに入って頂いて、深い眠りについて頂きます。その次にあなたたちが目覚めた時にはもうムジカになっています。」


チヒロはヤキが手を置くポッドを見ながら、ごくりと唾を飲み込んだ。


「ムジカになればもう、人間には戻れませんので、最後の確認としてムジカという生き物の生体について簡単に説明いたします。」


ヤキが線を引くように指を空中で横に動かすと、チヒロとタユの目の前に資料のホログラムが現れた。


「ムジカとは、この世界で、音楽活動で収入を得るために必要な生体条件であり、事実上の人類の進化形態です。


ムジカになれば、音で人や生物に何かを伝える効果が格段と上がり、進化することで発生する副反応、通称ミューズをうまく使えば表現の幅もぐっと広がります。


ムジカは紡ぐ音を聞いた生き物の、感情が動く時に発生する感情エネルギーを吸収して満腹感を得ます。またそれは、栄養となり、ミューズを育てます。感情エネルギーを得ることであなたたちのパフォーマンスはどんどん進化していくでしょう。


しかし、ムジカになることは良いことだけではありません。

ムジカは食事で満腹感は得られません。なので、嘔吐など症状が出るまで永遠に食べられます。

これを裏返すと、ムジカはある程度音楽活動で成功を遂げなければ、とてつもない空腹感に苛まれ、暴走してしまう個体に成長してしまうことがあります。

また、永遠に食べ続けることで醜悪な外見へと変化したり、ストレスが体内で膨張し、破裂死してしまったりなど。


普通に死ねれば運が良いと言っていいほどです。

それでも、音楽活動をするためにムジカになるということで、よろしいですね」


改めて説明されると、決心してきたことだが、恐ろしく少し怯んでしまう。


「チヒロくん、きっと大丈夫だよ、あのマコトさんも通った道だと思うし…ね?」


タユに優しく背中を撫でられたチヒロはタユを見上げて、しっかり頷いた。


「…うん、そうだね!あ、そうだ、タユ」

「ん?」


チヒロはタユの両手をぎゅっと握って真っ直ぐ彼の顔を見つめた。タユは少したじろぐ。


「ムジカになったら、僕とアイドルユニットを組んでほしい!お願い!」


タユは驚いて数秒固まったが、少し考えてからまた口を開いた。


「…嬉しい、もちろんだよ。や、でも…僕は…」

「ほんと⁉︎やったぁ‼︎約束だよ!」

「えっ、いや…ちょっとまって…!」

「もしかして、ソロ活動とか、誰かと約束とか、あった…?」

「いや、それはない、けど…」


チヒロは握る手の力を強めた。

タユが逃げてしまう気がして、その目を離さなかった。


「じゃあ、いいよね…?」


タユは少し視線を逸らして困ったように眉を顰めてから、苦笑いした。


「こんなに求められたのは初めてだよ…わかった、そんなに言うなら、僕でよければ」


そうして2人で微笑み合うと、それを区切りにヤキが咳払いをひとつした。


「もうよろしいですかね。そろそろポッドに入ってください。時間が押しておりますので。」


2人は慌ててポッドに乗り込む。するとそれを感知したポッドが自動で閉まる。

チヒロは緊張しながらちらりとタユの方を見た。

タユも多少緊張しているようで、少し表情がこわばっているように思えた。


「それでは、睡眠剤を混ぜた気体でポッドを満たしていきます。あなたがたが次起きる頃には―――」


ヤキの言葉を最後まで聞く前に、チヒロの意識は途絶えた。





目が覚めると、蛍光灯の光の弧が見える、白い天井。

ベッドで寝ていた。


「……もう僕は、ムジカなのか?」


呟き、ハッとして辺りを見回すと、数メートル離れた位置にもう一つベッドがあり、タユが上半身を起こしていた。


「タユ!」

「あ、チヒロくん!」


タユもチヒロを見て安心したように柔らかく微笑んで手を小さく振った。

しかし感動の再会を遮るように扉が開き、ヤキが入ってきた。


「お二人ともお目覚めのようですね。続いてミューズの検査をしますのでこちらへ。」


タユとチヒロは顔を見合わせてからすぐにベッドから降り、ヤキについていく。


透明なガラス張りのエレベーターに乗り、深い地下まで降りていく。すると、暗く広く、何もないように見える空間についた。


「課題曲を提示しますので、それをこれから歌ってください。そこから発生するはずのミューズ、先に説明はしていますが、進化の副反応ですね。あなたがたがどのようなミューズを持ったかを確認します。」


するとヤキの側にどこからともなくロボットのワゴンが走ってきて、ヤキはその上に乗っている二つの、不思議な色の液体の入った瓶を2人に渡した。


「これは非常用経口型エネルギーです。これを飲めば少量ですが感情エネルギーを得られます。今あなた方の体内にある感情エネルギーはゼロなのでミューズが出せません。空腹感はその体に慣れてくればいやでも現れてくるでしょう。とにかく今はこれを飲んで歌い、ミューズを表出してください」


2人は両手で瓶を持って、少しの間その瓶をただぼんやり見つめた。

課題曲は有名なヒットソングだった。

ワンコーラス、誰もが歌えるほどの有名な曲。


「歌ってみる」

「えっ」


チヒロが瓶を開け、ぐっと中身を飲み込む。そして、すぅと深呼吸する様子をタユは少し困ったように見ていた。

チヒロは軽く息を再び吸い込み、歌い出した。


タユは目を見開いて驚いた。

チヒロの声が空間に響き渡った瞬間、空気が変わったような気がした。肌がピリピリ痺れるほど、鳥肌が立つのがわかる。


「すごい…」


彼の歌声はまるで疾風のようで、美しく、彼の髪が揺れると、銀色の光が舞うように見えた。

ヤキも相変わらず無表情であったが、口が少し開いていた。


すると、彼の足元から青い光が洩れ始めた。

ヤキはメガネの縁を指で摘んで少し上げてそれに注目するようにした。


チヒロもそれに気づいたようで歌声が一瞬小さくなった。


(これが……僕の…?)


チヒロは嬉しくなってさらに思い切り伸びやかに歌ってみせた。

そうするとチヒロの背に光る青い羽が生えた。

羽ははばたき、チヒロは宙に浮かんだ。


「ぅえ⁉︎」


驚いたチヒロは思わず歌うのをやめてしまった。

そうすると光は消えてゆき、背中の羽もみるみるうちに光の粉に変わり消えていった。

チヒロはそのまま落下し、床の上で伸びた。


「だ、大丈夫?チヒロくん」

「あはは…ありがとうタユ」


タユに支えられて上半身を起こすと、急に胃が何か小さな穴に吸い込まれていくような感覚に陥り、腹を抱えた。


「それがムジカの"空腹"です。今こそ大したことないでしょうが、限界を迎えるムジカの空腹は、背中をまっすぐに伸ばせなかったり、腹の中に大きな風船が入ったようになったりするものもいます」


ヤキは「でもまぁ」と繋げながらチヒロに近づいた。


「きっとあなたは素晴らしいムジカになりますね。見事な歌声でした」

「…!ありがとうございます!」

「ミューズはまぁ、イマイチでしたが」


褒めてから落とされ、チヒロが落胆する。

するとヤキは次に、タユに顔を向けた。


「次はあなたですね。さ、歌ってください」

「え、えぇっ⁉︎」


タユは、ヤキとチヒロにじっと顔を凝視されて顔を真っ赤にしている。

しばらく「いや」とか「まって」などブツブツ言いながら下を向いたまま視線を左右させていたが、深いため息をついた後、真っ赤な顔を上げ目線を下に歌い始めた。


その声はとてもか細く小さかった。


小さな若緑色の光が、ぽうっとタユの足元から上がっていく。

するとそれはタユの目の前で集まり始め、ぐにゃぐにゃとあらゆる方向へ行き交いながら一つの形になっていく。


「タユの…ミューズ…?」


チヒロも夢中になってみていると、それは刃物の形へと変わり、輪郭がはっきりした瞬間、タユの胸を突き刺すようにと一直線に動いた。


「タユ‼︎」

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