2.聖女は恋する彼と話をする

 翌日の朝、セレーノン女神教会。


 朝食の時間が終わり、食堂から祈りの間への廊下を歩くラフィアは後ろから声を掛けられた。


「ラフィア!おはよう」

「おはよう。リン」


 そのよく知っている声に振り向くと私の友人の中でも特に仲良しな友人のリンが立っていた。


 リンとは、セレーノン女神教の聖女試験と呼ばれる厳しい試験を共に聖女候補者として受けた時に出会い仲良くなり、プロスペリテ王国の神殿に揃って配属された長い付き合いの親友だったりする。


 街の女の子に流行りのアレンジがしてある赤茶の髪に、見せ方をわかっている角度で橙色の瞳が俗に言う上目遣いになり、好奇心でキラキラとさせた瞳をして私に訊いた。


「ねぇ、ラフィアに訊きたいことがあるんだけど」

「うん。訊きたいこと?」

「昨日王子殿下が教会に来たでしょ?何の話だった?もしかしてプロポーズとか?」


 訊かれた言葉にああ、やっぱり来るよね。と思う。

 今朝の朝食の時、食堂の至るところから視線を感じた。

 昨日王子に求婚された事は部屋の中だった事もあり噂になることはない。だが王子が来たことは教会にいた皆が知ってる。

 教会の皆の興味は昨日の王子殿下の話の内容なのだろう。


「違うよ。魔物の襲撃が起きた時とかいざという時、国の為に頑張ってほしいっていう真面目な話だったよ」

「そうなの?王子殿下が態々来るなんて珍しいからプロポーズをしに来たんじゃないかって昨日から皆、予想していたのに」


 だが、ここで正直に『求婚されました。』なんてことは言えないし、言いたくない。


「そうなんだ。でも違うから。求婚なんてされてないから。真面目な話だったから」

「う、うん。…なんか必死?………ああ!」


 そう思い、キッパリと言うとリンが考えこみ、閃いた!っていう顔をして私にニヤニヤとした笑顔を向けてきた。


「そういえば~。ラフィア今、よく治療に来る彼に恋してるもんね!他の人との噂が広まったら困るもんねぇ。必死に否定するよね~」

「ぅえ!?……そんな事は」

「うん。うん。わかってるよ~。大丈夫!このリンちゃんに任せなさい!そうと決まれば早く行かなきゃ!じゃ!先行くね~」


 ニヤニヤとそう言うリンに顔が熱くなる。ラフィアは今、恋をしている。よく治癒をしてもらいに来る1人の男性に。

 殆ど毎日来る彼は口数は少ないが質問に誠実に答えてくれて、でもそれ以上に怪我をしてくることが心配で…今日は来るかな。来ない方がいいけど私としては来てほしいな、と考えている間にリンが走って行った。



 ……いや、『大丈夫』って何!?『任せて』って何を!?


「…あ!ちょっと待って!」


 不穏な事を言い走り去ったリンを慌てて追いかける。


 祈りの間に着く前にリンに追い付かなければ、そう思いながら祈りの間へ続く長い廊下を掛けた。


 ***


「はぁ。リンがあんなこと言うからいつもより集中出来なかったよ」

「ごめんごめん。冗談のつもりだったんだよ」


 祈りの時間が終わり、ラフィアはリンと廊下を歩きながら話をする。

 リンが不穏な事を言って走り去った後ラフィアは祈りの間に着くギリギリで捕まえていた。そして変な話を広めないようしっかりとした。


 そのかいあり、リンは祈りの間にいた友人と話すときに普通の世間話をしていた。余計な話を足さずに。


「本当に?反省はしてる?」

「してるよー!もう!頑張ってラフィアが恋してること言わないように気を付けて話したのに」

「反省してないじゃん」


 …反省はしてないようだ。

 呆れて軽くため息を吐く。


「あ!今日もラフィアの部屋に泊まりに行ってもいい?」

「いいけど…自分の部屋あるよね?眠れるくらいの足の踏み場もあった筈…」


 ふと思い出したようにリンが言った。ここ最近、週2のペースで私の部屋に泊まりに来ている。


「私の部屋はちゃんとキレイにしてるよ!掃除しているから!そもそも私の部屋よりも居心地がいいラフィアの部屋が悪い!お土産はたっぷり持って行くから!ね?」


 そう。私の部屋の居心地が自分の部屋よりもいいから。らしいのだ。それにしても居心地がいいから私が悪いとはまた暴論な。


「うん。なんで私が悪者に?まぁ、リンの持ってくるお菓子は全部当たりで美味しいからいいんだけど」


 私の部屋は個人的な趣味と泊まりに来るリンとかの為に居心地良くなるようになっている。とは思う。まぁ、リンには入り浸る程良すぎたみたいだが。ただ、泊まりに来る度に美味しいお菓子を持って来てくれるからって、断らない私は確かに悪いのかもしれない。


「わぁい!じゃあ、夜にラフィアの部屋に行くから!」

「わかった。また夜にね」

「うん!また後でー!」


 何度目かわからないお泊まりの約束をしてリンと別れた私は次の予定に間に合うように急ぎ足で廊下を歩いた。


 ***



「ありがとうねぇ聖女様。足が楽に動かせるよ」

「治ったのなら良かったです。お身体に気を付けて。」

「はい。聖女様もお気をつけて」


 パタン。と扉が閉まり、ラフィアは息を吐く。


 今は、教会が実施する奉仕活動の時間だ。教会の神官が癒しの奇跡や解呪の奇跡を使い皆を癒す。

 私は大怪我をした者や魔物によって怪我の治癒がしにくい者の治癒を中心に癒している。

 ここは癒す際に使う部屋になっており、個室で備え付けのベットがあり、主に座れない程の怪我をした者に使ってもらっている。個室だと、人前では気が抜けない性分の方も安心して無理をしないでくれるから、スムーズにできて助かっている。


「後、もうすぐで終わりかな」


 部屋に置かれた時計はそろそろ夕方の5時頃を指す。奉仕活動は6時頃に終わることが多いのでそろそろ終わるだろう。


 コンコン


「はい!どうぞ!」


 そう思っていると扉がノックされたので、急いで返事をし姿勢を正す。


「こちらのお席にどうぞ」


 キィィ、と開いた扉から入って来た者にラフィアは嬉しい気持ちを隠しながら席に座るよう促し、慣れたように座る彼を見つめた。


 黒に限りなく近い灰色の髪に目元までかかった前髪の間から見える金色の瞳。

 顔は前髪でよく見えないが、たまに見えた顔はつり目気味で、口元も黙っているときはムスッとして不機嫌にも見える。

 身長は私より僅かに高いが殆ど同じとも言える。男性にしては低い身長だろう。彼の仕事の関係で鍛えているらしくガタイがいい訳ではないが…あれだ、リンが教えてくれた細マッチョと言うやつだ。


 そんな彼が、目の前に座る彼がラフィアが恋をしている者だ。

 だが、ここに来たのは怪我をしたから。落ち着いて、治癒をしなければ。


「今日はどちらをお怪我されたんですか?アムルスさん。」

「……右腕を引っ掻かれた」


 そうボソリと言って見せた右腕にはいくつもの引っ掻き傷があった。

 触りますよ。と声を掛け頷いたのを見て腕を触る。怪我の状態の観察をして、この怪我なら早く終わりそうだ。と考える。


「今回は比較的浅いですね。これなら、15分程で終わります」

「わかった。今回腕を引っ掻いた奴は子供の魔獣だったからな。怪我も比較的浅いし呪いも上手く籠められてない」


 その説明に成る程と思う。

 アムルスさんの職業は魔獣使いだ。


 魔物と魔獣の違いは人馴れしているかいないかだが、特性は変わらない。魔物の怪我は治癒がしにくいのだ。僅かにかけられた呪いが傷を塞ぎにくくする為、治癒の際に解呪をしなければならない。だがそれが疲れる。僅かでも呪いは呪い。解くことは簡単にはいかない。その為、魔物で怪我をした者は許可されている私を含めた数人か、解呪の奇跡を1人がかけ、治癒の奇跡をもう1人がかける等の方法で治すことになっている。


 最初の出会いも魔物の攻撃で大怪我をした者がいると言われ慌てて駆けつけ治したことだった。

 その時は他にも急患の方がおり、会話すること無く立ち去った。


 だが後日、今度は自分の足で歩いて来た。…左足を引きずりながら。その後も何度も教会に治しに来るので何故こんなにも怪我をするのか気になり、ある日の治癒後、質問をした。


「あの!何故こんなにも怪我をするんですか?」

「何故って……俺の職業が魔獣使いだから」


 答えはあっさりと分かった。いつも無口で治癒をしたらすぐに帰ってしまう為、余り訊かれたくないのだと思っていた。だが、ちゃんと訊けば、知ろうと動けば、応えてくれる人だと知った。

 その次からは、沢山質問をした。

 彼の名前がルディス・アムルスと言うこと。

 魔獣使いだが、まだ新人で殆どは雑用をしていること。

 魔獣使いに憧れて魔獣を預かる店に直接弟子入りを志願したこと。

 魔獣達が大好きなこと。


 私もいくつか質問をされた。

 名前はなんと言うのか。

 好きな食べ物は何か。

 好きな色は何か。

 その質問に答え、また聞き返して私はアムルスさんのことを一つずつ知っていった。


 とりとめの無い治癒の間の僅かな会話。それでも、質問に誠実に答えてくれる彼が、アムルスさんがいつの間にか好きになっていた。


 自覚した時は暫くアムルスさんの顔が直視できなかったが、今は大丈夫。もう落ち着いて見れる。


 深呼吸をして怪我をした右腕に手をかざす。


「我、女神セレーノンに祈る者。女神セレーノンの奇跡を欲する者。奇跡よ。祈りし我の願いに応え、慈愛と癒しの女神セレーノンの名の下に彼の者の傷を癒せ」


 そう唱えると掌から暖かな木漏れ日のような光が溢れ、引っ掻き傷だらけの腕を瞬く間に治す。

 光が収まると怪我などしていなかったかのように傷1つ無い腕があった。


「はい。終わりましたよ。痛みや違和感はありませんか?」

「…いや。ない。いつみても凄い治癒の奇跡だな」


 腕を軽く動かし、確認をしたアムルスさんが言う。


「いえ、そんな。私なんてまだまだですよ」

「いや、凄い」


 アムルスさんが動かしていたを下ろし私をジッと見つめて短くシンプルな言葉を言った。


「と、ところで今回腕を引っ掻いた魔獣の子供はどんな子なんですか?」


 その真っ直ぐな言葉に恥ずかしくなった私は顔を反らし、話題を変える様に魔獣のことについて訊いた。


「ああ。そいつはな、キャット系の魔獣の子供なんだ。親が冒険者に飼われていてな。産まれた後一人立ちする迄の間うちで世話をしている」

「へぇ。じゃあまだまだ小さいんですか?」

「魔獣基準では小さい、だが人間の俺達から見たらデカい。既に俺の身長を越している。あのキャット種の特徴に……」


 話題を反らすことに成功しラフィアは魔獣の話をするアムルスさんの顔を見た。

 アムルスさんは魔獣が大好きだ。魔獣のことを訊いたら暫くは止まらない。それに、話すことに夢中になって顔に掛かっている前髪の隙間からキラキラとした目で話しているアムルスさんを見れる貴重な時間だ。


「その雷のような毛並みと走りから…っと話しすぎた」

「いえ、いいんですよ」

「…その、えっと。覚えていますか?」


 そう思っていたら唐突に訊かれた。覚えていますか?何をだろう。次に繋がるような話はそうそうしていない。いや、先月くらいに約束をした。確か…


「ノックス・キャットについての話ですか?」

「そうだ。…やっと会っていいと許可が貰えたから行かないか…ませんか」


 その言葉を聞いた私は嬉しくなり、顔を背けてしまったアムルスさんに興奮のままに訪ねた。


「ノックス・キャットに会えるんですか!?」

「ああ…」

「わぁ!本当ですか!」


 その言葉に私は嬉しさが込み上げる。

 また、あのサラサラの毛並み思い出すだけでたまらないのに、もう一度触れられるのだろうと思うと堪らない。


 先月、アムルスさんが治癒に来た理由がノックス・キャットだったのだ。怪我の経緯はノックス・キャットの好物を持って行ったら喜んだノックス・キャットに飛び付かれたからだとか。『俺の存在を忘れて食べ物えものに真っ直ぐ飛びかかるその姿は野生その物だった。』と言っていた。その流れで私もノックス・キャットに会ったことがあり、『また会いたい』と溢したところ


「あの、良かったらノックス・キャットに会いに来ない……ませんか?」

「えっ?」

「あ、あの。今回飛び付いた奴も好物がなければ大人しく、そいつはある程度人馴れしているので初対面でも触らせてくれるはず、です。……どうでしょう?」


 驚きで聞き返した私にアムルスさんは慌てて早口で説明をする。


 その声を聞きながら考える。もちろん、そんなチャンス逃す訳にはいかない。アムルスさんの職場に行けてその上ノックス・キャットに会える。素敵な日になるだろうお誘いを他でもない彼からのお誘いを逃すことはできない!


「あ、あの…?」

「っ…!!もちろんです!」

「…!……良かった」


 答えはすぐに決まった。訊くまでもなく一択だから。


「あ、でも会うのに許可がいるので許可が降りるまで、ま、待つことに……」

「構いません!全然待ちます!」

「あ、ああ。それは良かった。…できるだけ早く許可を取るので」

「はい!楽しみにしてます」


 とそんな話をしたのだ。アムルスさんの『できるだけ早く許可を取るので。』はカッコよかったなぁ!長い前髪から覗く金色の瞳がキラキラしてて…ああ。記憶でしか観られないなんて。…っとそうじゃなかった。『許可を取るには暫くかかる』との言葉から1ヶ月、何時誘われても良いように魔獣の接し方の本を読み、自分磨きをした。そして今日、アムルスさんから誘われた!嬉しくて堪らない。ただ、私の準備不足で今日直ぐは無理だ。翌日からなら大丈夫だが…。


「あの、いつ伺えばいいでしょうか」

「え?あ、ああそうですね。……宜しければ今度の休日とかはどうでしょう」

「ええ。大丈夫ですよ」

「そ、それじゃあ待ち合わせ場所は……」


 不安に思いながら訊くと数日後の休日になった。教会からあまり離れておらず、アムルスさんの職場に近いからと待ち合わせの場所は、王立公園の噴水前広場に朝の10時と決まった。関係ないがデートの待ち合わせスポットとして定番だとリンが言っていた場所だ。


「じゃあ、これで……」

「はい。お気をつけて」


 話しが終わり、アムルスさんが帰ろうと扉を開く。


「また、休日に。楽しみにしてます」

「ま、また、休日に」


 扉を開き私に軽く頭を下げたときにアムルスさんに言うと少し驚いたように顔を上げて、言葉を返すとそそくさと扉を閉めた。

 残された私は1人、部屋に置いてある椅子に力なく座った。


「『また』かぁ。うふふ」


 どうしようもなく嬉しい気持ちが溢れてきて。



 ***



 カツカツ、と足音が響く廊下。ピタリと足音の主が止まった。


 フゥ、と息を吐き、月のような色をもつ瞳を閉じた"彼"は先程までいた場所での出来事を思いだし、


「『また』かぁ。…頑張ろう」


 そう言った。その声は誰もいない廊下で呟かれ、言葉が聞こえた者はいないだろう。

 その声を発した黒に近いグレーの髪をした男__ルディス・アムルス以外には。

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