ていねい
カフか
ていねい
夏が嫌いだ。
さっぱりした快晴の空は好きだ。その光景を保ったまま秋の温度に触れたい。
暖かくなると人間以外の生き物は活動を始め、そして殺される。
種族が多くなれば争いしか生まれない。人間の中の出生地による和解よりも争いのほうがはるかに多い。
道を歩けばアスファルトに黄色い腸をこすりつけた虫の死骸がある。
夏の道路は夜中に歩けば虫たちの墓地だ。
おおよそ自転車に轢かれたのだろう。
がさがさとファーストフードの袋を揺らしながら烏龍茶のストローを咥え家に帰った。
最近動画サイトを見ていると、『丁寧な暮らし』というキーワードが流行っているのが嫌でもわかる。
週二日の休みを家事につかう人間がいるのにも驚きだが、私には作り置きが一番理解できなかった。
自分のためにご飯を作るというメンタリティが共感しづらかったのだ。
自分が食べておいしかったのであればそこで留めるのではなく誰かに披露したいのが人間だと思っていた。
たしかに私も自炊をしないわけではないが恋人がうちに来る前日に張り切るだけで、休日自分のために一汁三菜を作って労わることはしない。
丸くて角のない声を追うようにアイボリーカラーのテロップが言葉を拾う。
この配信者はトマトやら胡瓜やら夏野菜で冷蔵庫を満たそうとしているようだった。
先ほどの光景と彼女の手がスクラッチブックのようにマッチした。
白い手で虫を二つに割ってこの腸はあとでお出汁にもつかえますからね、なんて女性の声が聞こえた気がして片手でつまんだポテトを一旦戻した。
正直物価高の現在では自炊でも外食でも大して差はない。
しかしそこは自炊と、重きを置くことで自分の軸になったり貴重がった異性が虜になったりするのだろう。
この手の配信者は男女を問わず独身既婚も関係なく人気者になれるようだった。
作ってる手元が素敵とか、手際がいいだとか、声が優しくて落ち着くだとか、ほとんどはそんなコメントで溢れていて料理の内容は二の次のようだった。
たまに独身女子とタイトルにいれた二〇代前半女性のボディラインに食いついた馬鹿なアカウントが料理には全く触れず脳死したコメントを残していた。
このアカウントの向こう側にいる誰かにこの暖かい料理はウーバーしても一生届かないんだろうなと思った。
手が抜けて簡単に見える旅館クラスの総菜ものの再生回数が圧倒的に高かった。
ユニクロで買った服をいかにバレンシアガ級に見せようとする悪あがきと変わらない精神がそこにはあった。皆考えることは一緒だ。
いくつか動画を流し時計を見た。十六時半。
そういえばこの間会社の昼休みに自前の弁当を持ってきた若い男性社員がいた。
隣の男性社員が愛妻弁当かよとおちょくり、手作りなんすよという言葉で皆群れるように彼のデスクへ向かった。
周りの取り巻きはすごーいと頬を染めていた。
彼も褒められてうれしかったのか頬を染めた。
箸を手で弄びながら彼はもじもじと語りだした。
「昨日恋人が家に泊まって彼女、毎日自分の弁当作るんすよ。
それで家に来た時も作ろうとしてたんすけどせっかくだからって台所立って一緒に作ったんす。」
若い男性社員は昨日の思い出が愛おしくて頬を染めていたようだ。
頬の血色がなくなった女性陣は食後に牛丼を出されたような顔をして自分たちのデスクに戻っていった。
入れ違いに珈琲を淹れようと彼のデスク側に向かいながら注目の弁当を見やると確かにおいしそうだ。
片手に珈琲を持ち彼のデスクに行った。
「こういうのってレシピはなしで作るの?」
なんとはなしに聞いてみた。
「今は何も見ずに作れるらしいんすけど、作り始めの時は決まった配信者の見てたって言ってましたね。」
料理がうまい人もやっぱり入り口はちゃんとあるんだと思い少し気になって配信者の名前を聞いてみた。
「なんていってたかな…たしか魚の名前で、バス…いや違うな。ウナギじゃなくて…。
なんかぬるぬるしてそうなのなんでしたっけ。」
いや私に聞かれても、と思いながらぬるぬるした魚を思い浮かべた。
顎に手をあてて考えていると窓の外が一瞬白飛びし、大きな電がなった。
途端に雨が降り出した。ゲリラ豪雨だ。
ぬるぬる、雷。
「あ、鯰?」
それっす!と勢い込んだ男性社員の声の後ぴしゃーん!とクイズの正解音みたいに雷は鳴った。
鯰、と検索バーに打ち込むと少しふくよかなシェフのサムネがでてきた。
家にある調味料と野菜のみで簡単に作れるし美味しくて栄養が摂りやすいというコメントばかりだ。
私は実家のロールキャベツが大好きなので、ロールキャベツの動画をクリックした。
鯰さんは料理だけでなく編集も至極見やすいものにしており手が込んでいた。
それだけこの料理をほかの誰かに食べてもらいたいんだな、と思い材料を見る。
キャベツ以外なら丁度家にあったのであとでキャベツだけ買いに行こうかなと考えた。
動画の終わりに
「お好みでハーブと出汁を煮込んでロールキャベツにかけてあげても美味しくなります。
試してみてください。」
と鯰さんは言った。
ハーブなんて下級の私の冷蔵庫には常備していない。
あるとしたら気まぐれで育てて途中で放り出したひしゃげた豆苗だけだ。
私は何とも共存できない人間のようだ。
なんだかんだ良心的かと思ったら最後に裏切られた気分なり、作るのをやめようかと思ったがなぜかそれが火付けになった。
財布だけ鞄から出し近くの八百屋で一番大きいキャベツを買い、動画を見ながら作り始めた。
料理は作り始めると無心になれていいが、買い出しがあまりにも面倒くさいのでやはり頻度は低めだ。
キャベツに肉だねを置き漏れがないように包み込む。
爪楊枝を指して鍋に入れ調味料を投下しくつくつ煮込んだ。
テレビを観ながら左上の現在時刻に視線を移した。
二〇分経った。
椅子から腰をあげ台所へ向かった。
よし、いい感じに煮えてる。かき混ぜながらスープの味見もして唸った。美味しい。
よしここで最後にあれを使おう。
冷蔵庫を開け大切に取り出す。
丁寧な暮らしには程遠いけど活用することだって前進だよね。
全てを鍋にいれ終わり、あと五分仕上げに煮込むだけ。
もう一度椅子に腰を降ろすと携帯が鳴った。
出張帰りの恋人からだった。
「いや助かったよ。先方と盛り上がって取引だけで時間埋まっちゃって今日朝飯しか食えてなかったから。」
キャリーケースを玄関に添えて、恋人は椅子に腰を降ろした。
偶然にも彼はお腹を空かせている様子でよかったらと夕飯を誘ったのだ。
「初めて見る動画のレシピで作ったんだけど、結構いい感じだから安心して。」
とお皿に盛りつけながら言った。
「へえ、俺もたまに見るよ料理動画。なんて名前の人?」
「鯰っていうぽっちゃりめのシェフ。」
「鯰か。面白い名前使うね。」
「魚メインの料理家じゃないのになんで鯰なんだろうね。」
と不思議に思っていたことを言った。
彼はくすくす笑った。
「鯰って味を感じるために必要な味蕾っていう器官が二〇万個くらいあるんだよ。
ちなみに人間は五〇〇〇個。そのシェフは鯰くらいグルメなんじゃないかな。」
まさかそんなしっかりした意味があるとは思わなかった。
テラスハウスぐらいどうでもいいHNかと思った。
そんなに味に自信がある人の動画で作ったのだからきっと彼も美味しいと言ってくれるだろう。
私はお待たせと言って彼の目の前にロールキャベツのお皿を差し出した。
彼は今度は違う笑い方をした。
「豆苗がのってるロールキャベツは初めてだ。」
ていねい カフか @kafca
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