④ どのコイ?


「どないしてん?」

 思わず声をかけた。


 裏庭の向こうに広がる原っぱの上に、トモヤが座禅を組むようなポーズで、浮かんでいる。その後ろ姿は、気のせいか、どことなく元気がないように見える。彼は、俺の気配にも気づかず、ぼ~っと宙に浮かんでいる。

 彼には、地上50センチくらいのところを、普通に地面の上みたいに歩ける能力がある。今みたいに、移動せずに、ただ浮かぶだけなら、2メートルくらいの高さに浮かぶことも出来る。


「んあ?」

 彼は、ゆっくりと、俺を振り返って声を発した。唇の両端をあげて、目尻をさげて笑顔を作っているけど、明らかに元気がない。その証拠に、いつもなら笑顔と同時に発する笑い声がない。

 

「どうしてん? なんかあったんか」

「ん。いや、別になんもないよ。……なんかちょっと、ぼ~っとしてた」

「……なんもないことないやろ。おまえがそんな顔してるときは、たいてい何か悩んでるときか、腹が減ってるときや。さっき、晩飯食ったばかりやから、腹は減ってへんはずやし」

「……へへ。お見通しやな」


「仕事か? それとも、ホームシックか?」

 トモヤは、一人っ子で、家族の仲がめちゃくちゃいい。星を離れるとき、宙港で、見送りに来た両親の手を握りしめて、なかなか離さなかったし、離陸したあと、彼の頬についた涙の筋を、俺は見逃さなかった。だから、かなりの確率で、ホームシックに違いないと思う。

 けれど、口を開いた彼は、

「……どっちも、ちゃう」

「え? 」

 俺が、じっとトモヤの顔を見つめていると、彼は降参したように、ポソッと言った。

「――俺、恋、したかもしれへん」

「へ? コイ? 」

 想定外の単語を、一瞬、頭の中で変換できず、

「鯉? 刺身でもつくるん?」思わずそう返すと、

「ちゃうわ! 恋や、こ・い」

 トモヤが、頬を一気に赤くして言った。

「……どのコイ?」

「恋する、の恋。あ~、もう。ラブやラブ! 何回も言わすなよ」

「ええっ!!」

「声、でかい! 小さい声で!」

 トモヤが声をひそめる。

「小さい声でも大きい声でも、一緒やん」


 俺たちは、7人全員、人の心が読める。読んだり読まなかったりは、自由にコントロールもできる。

 ただ、もともと感情を隠すのが苦手なトモヤだから、おそらく、あっという間にみんなの知るところになるだろう。とくに、ヒロヤに至っては、今頃すでに、トモヤの恋の告白を把握しているかもしれない。彼の読心レベルは、メンバーの中でもとびきり高い。


「どんな人なん?」

 俺は、訊く。訊いて欲しそうに、いつのまにか、トモヤが完全に俺の方を向いて、目の高さで浮かんでいる。

「めっちゃ優しい人やねん。きれい好きで、親切で、花が好きで、料理上手で、よく笑って」

「へ~。……どこで会うたん?」

「今の職場。で、同じ学年の先生。1コ年上」

 トモヤは、今、中学校に勤めている。どうやら、お相手は、同じ職場の先生らしい。


 俺たち7人は、もとの星では、同じ大学の学生や院生だ。この星での調査に当たっては、全員、普通にこの星の人たちに交じって暮らすことになっている。

 トモヤ・ヒロヤ・俺の年上組3人はそれぞれ別の職場に、ナオト・タクトの年中組2人は大学に、サキト・ユウトの年下組2人はそれぞれ高校の別の学科に、と分散して日々を過ごしている。


 俺たちは、地球の暮らしを、様々な世代や立場から調査しつつ、そのレポートを故郷の星に報告するのだ。

 これまでにも、大勢の先輩たちが、地球に来て暮らし、その報告をあげているから、今さら目新しいことなどないだろう、という人もいる。

 でも、同じ場所にいて同じものを見ても、受ける印象や感想が人それぞれ違うように、1人ひとりのレポートは、まったく違う物になる。誰かが見落とした重要なものを、別の誰かが見つけることもある。

 どんな調査も決して無駄にはならない。だから、できるだけいろんな人と関わって、たくさんの発見をしたいと、俺は思う。


 『地球』という星の、俺たちの星との違い。そして、その魅力を、3年間というわずかな時間の中で、可能な限り知りたいし、実感したい。そう思っている。

 ただ、1つだけ、俺が心に決めていることがある。


――恋をしないこと。

 誰かを好きになって、ずっとその人のそばにいたいと思ってしまうこと。それだけは、絶対に避けたいと思っている。

 俺たちに許された、地球での時間は、3年間。それが終わったら、俺は、自分の星へ帰る。

 もしも誰かを好きになっても、その人と帰ることはできない。その前例はない。かといって、俺自身が、地球に残り続けることは望まない。

 地球は魅力的だけど、俺が一番大切に思う星は、やはり、ここではないと思うから。


「……3年後、どうするねん?」

 思わず、トモヤに訊くと、

「そやな……。やから、悩んでる」

 

「これ以上、好きにならへんうちに、あきらめたほうがええんかな、って」

 トモヤが、苦いものを飲み込んだような顔で、つぶやく。

 俺は、彼の肩をぽんぽんと叩いて、

「……むずかしいな。でも、とりあえず、部屋戻ろか。そんな、浮かんでるところ、誰かに見られたら」

「大丈夫やって、向こうは森で、人も通らんし」


 このあたりは、人家も少なく、野原の向こうに緑の森が暗く沈んでいる。あちこちにある、こんもりした緑をアクセントに、田んぼと畑が広がり、その所々に人家が点在する。うちの下宿屋と世話人の風子さんが住む家は、敷地はゆったりしているが、この辺りではめずらしく隣り合わせに立っている。もともとは親しい親戚同士が建てた家だったのかもしれない。


「でも、あんまり油断するなよ。他の人は通らんでも、風子さんが隣に住んでるねんで。なんかの拍子に見られたら、どう説明するねん」

「そっか。そやな。気ぃつけるわ」

 地面に降り立ったトモヤと歩いて、家の裏口に向かう。

 ちらりと、隣の敷地に目をやると、隣家の窓は、植え込みのおかげで、この裏庭からはよく見えなかった。

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