第26話 声が聞きたい
「垢BAN!?」
シルクは小瓶を粉砕しそうな勢いで握り締めた。
紫に発光する晶響器からは『落ち着いてください』と窘めるダレルの声が聞こえる。荒ぶるのはよくない。シルクは一度深呼吸をした。
「……それで本当なんですか? 配信禁止だなんて」
『ええ。残念ながら……』
「そんな!」
……事の発端はこうだ。
結婚式までの残りの期間、配信をしまくろうと決めてシルクは意気揚々と晶響器を開いた。しかしどうやっても赤い光が灯らず配信ができない。不良品かと思って部屋中の晶響器を確かめたが、どれも同じだった。
そこで取り急ぎリード商会に連絡を入れたところ、キヌカのチャンネルが配信を禁止されていることを知ったのだった。
「理由を教えてくれなきゃ納得できません!」
『キヌカさんの知名度が上がるとともに、最近いろんな層の方が配信を聴くようになったんですよ』
そう前置きしてから、ダレルは話し始める。
『あのー、囁きながらお話するやつがお子さんの教育によくないんじゃないかと、お母様方から苦情が来てまして……』
珍しくダレルが言葉を濁している。それですぐにピンときた。……ASMR配信か。シルクは頭を抱えた。
別にいかがわしいことはやっていないが、インターネットのないこの世界からすると刺激的に聞こえるのかもしれない。
『ひと月ほどお休みということで……その間に配信の方向性を決めておいてください』
「わかりました……」
肩を落として通信を切る。シルクはベッドに背中から倒れ込んだ。
思いがけず暇ができてしまった。
「いいや、早く寝ちゃお」
シルクは不貞腐れ、電気を消して布団に潜り込む。しかしいつまで経っても眠気が来ない。まんじりともせぬまま、気付けば窓の外が明るくなっていた。
「……アレ?」
習慣とは怖いものだ。早く眠ろうとするほど目が冴え、深く眠れぬまま朝を迎える。そんな日々が続き、鏡を前にシルクは溜め息を吐いた。
「肌のコンディション最ッ悪……」
目の下にはクマができている。結婚式も近いのになんだこの有様は。シルクは項垂れた。
……それでも夜は来る。
今日もまた憂鬱な気分でベッドに横になる。ぼうっと天井を眺めていると、考え事にも満たない取り留めもない考えが浮かんでは、消える。
眠れぬ予感にげんなりしていると、枕元の晶響器が紫色に点滅を始めた。こんな時間に誰だろう。蓋を開いて応答する。
「もしもし」
『シルク?』
「……公爵様!」
声を聞いた瞬間に意識が覚醒して勢いよく起き上がる。先程までの鬱屈した気分が吹き飛ぶようだ。
「どうしてこんな時間に? 急用ですか?」
『いえ、そういう訳ではないのですが』
妙に歯切れが悪い。シルクは首を傾げた。
(……やはり、唐突だっただろうか)
一方のレイヴンはというと、落ち着きなく晶響器を弄りながら頭を悩ませていた。
毎晩睡眠導入のために聴いていたキヌカチャンネル。それが最近ぱったりと配信をしなくなり、また眠るのが難しくなってしまった。
そんなとき、真っ先に思い浮かべたのはシルクのことだった。前に王宮の庭園でしてくれたみたいに傍で話しかけてくれたら、きっと眠れるのに。ついでに膝枕付きで。
『……。……。……?』
(俺は今、何を考えていた……?)
そのとき自覚した。自分はキヌカさんの声を聴きたいのではなく、いつからかキヌカさんの声をシルクのかわりにしていたことを。
だがそんなこと言えるはずがない。場合によっては「知らない女の声を聴きながら眠っていたなんて!」と軽蔑されるかもしれない。それは嫌だ。
「もしもし……?」
先程からレイヴンの返答がない。急に黙り込んでどうしたのだろう。シルクは返事を促すことにした。
「用がないならどうして?」
『それは……』
悩むような間。そのあとに、レイヴンははっきりと答えた。
『貴女の声が聞きたかったからです』
「……うッ」
その一言の破壊力が凄すぎてシルクはベッドから転がり落ちた。その勢いでテーブルや椅子をなぎ倒し、上に乗っていた雑貨が全て吹き飛んだ。
『シルク? すごい音しましたけど』
心配するようなレイヴンの声に我に返る。これが映像じゃなくてよかった。シルクはベッドに這い上がるといつも通りの声を繕った。
「ゴホン。……いえ。私も眠れなくて困ってたんです。少しおしゃべりしましょうか」
『はい!』
あからさまに弾んだ声に頬が緩む。
(かわいい……)
二人は晶響器越しに他愛もない話をした。今日食べたディナーとか、マリーが近所のため池でマグロを釣り上げたこととか。くだらない話をするうちにあっという間に時間が過ぎていく。
夜も更けてきた頃、欠伸が聞こえてきた。
「そろそろ切りましょうか」
『……そうですね』
明らかに眠そうな声なのに、名残惜しそうだ。それすら愛おしい。
「じゃあ、おやすみなさい」
『おやすみなさい』
通信を切ると同時に瓶の中に浮かぶ魔晶石は力を失い、カラン、と音を立てて瓶底に転がった。
「あ、使い切っちゃった」
晶響器一つ使い切るくらい長い間話をしていたのか。
はあ、と溜め息を吐くと胸に手を当てた。まだ心臓がドキドキしている。彼は今、あの屋敷で何をしているのだろう。
「……会いたいなあ」
ぽつりと呟く。その瞬間、左腕のブレスレットが光を放つ。
「!?」
その眩しさに目を細め――気が付けば、シルクは薄暗い場所に一人で立っていた。
「え……え!?」
シルクはぎょっとして周囲を見回した。
前にも後ろにも長い廊下が伸びており、その途中にシルクは立っている。等間隔に灯りが点ってはいるが、せいぜい足元が確認出来る程度だ。辺りを確認するには心もとない。
(ここどこ!?)
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