第20話 ヴァージル・ベネット
身体を起こすとそっと彼の手が離れる。声も出せずにいるシルクを見て、ヴァージルは困ったように笑った。
「申し訳ありません。驚かせるつもりはなかったんです」
「いえ……」
サァ……と、噴水の水音だけが響く。
少し風が出て、彼のブロンドの髪を掻き混ぜ、夜の中でもきらきらと輝いた。
「よかったら、少しお話しませんか」
助けて貰った手前、断るのも不自然だろう。シルクは少し迷ったが結局頷いた。
二人は噴水の縁に並んで座った。そして我に返る。
(待って。成り行きで座っちゃったけど、そもそもなんでヴァージルがこんなとこにいるのよ……!)
シルクはダラダラと冷や汗を流しながら視線を落とした。それをどう解釈したのか、ヴァージルは胸に手を当てて軽くお辞儀をした。
「そういえば挨拶がまだでしたね。私はヴァージル・ベネットと申します」
「あ……シルク・リベラです」
「パーティーは楽しまれましたか?」
シルクはぎこちなく笑った。
「ええ。とても華やかで新鮮でした。……でも、人が多くてちょっと疲れました」
「ですよね。それで私も抜け出してきた所なんです」
ヴァージルはふ、と優しく笑う。
穏やかで人当たりが良くて、レイヴンとはまるでタイプが違う。並の令嬢ならこの笑顔だけで恋に落ちてもおかしくない。
(……いや、雰囲気に騙されちゃダメ!)
シルクはブンブンと首を振った。
この人は外面がいいだけの悪い男なのだ。この笑顔の下に本性を隠しているに違いない。
「レイヴンと婚約されてるんでしたよね」
「え? ……ええ」
「レイヴンは令嬢の前でもあんな感じなんですか? スンッとして可愛げがないというか」
「あはは……。そうですね……」
ストレートな物言いに苦笑いで返すしかない。
「昔はあんな感じじゃなかったんですけどね」
ぽろっと零れた言葉にシルクは顔を上げた。
「えっ、そうなんですか?」
「ええ」
ふと、目が合う。青空を映した海みたいに澄んだ瞳だ。思わずその色に目を奪われ――シルクはさっと視線を逸らした。危ない。また雰囲気に流される所だった。
ヴァージルは特に気にする様子もなく、思いを馳せるように遠くを眺めた。
「うちの侯爵家とレイヴンの公爵家は家族ぐるみの付き合いをしていました。というのも私の母とレイヴンの母君が親友同士で。その関係で幼い頃からよく遊んでいました」
「へえ……!」
なるほど、レイヴンがヴァージルを幼馴染みだと言っていたのはそういうことか。
「そのときはもっと可愛かったのにな。私やノワール兄さんの後ろをついて回って……」
「お兄さんがいるんですか?」
「あ、私じゃなくてレイヴンのお兄さんですよ」
「そうなんですね」
レイヴンに兄がいたとは初耳だ。きっとレイヴンに似た美男子に違いない。
(あれ? でも、公爵家を継いでるのはレイヴンよね……?)
長男が家を継ぐのが順当だろうに、何故そうならなかったのだろう。そう思うと、先程のヴァージルの『昔はあんな感じじゃなかった』という言葉に急に引っかかりを覚えた。
「……何かあったんですか?」
シルクの声のトーンに何かを感じたのだろう。ヴァージルは意味深な笑みを返すだけだった。
「……いえ。ただ、レイヴンのことを知りたいならあいつの屋敷に行ってみるといいですよ。幼い頃の話ならレイヴンの乳母がよく知ってると思いますよ。今も彼の屋敷にいるはずです」
「へえ……」
「それから、可愛かった頃の写真もあるはずです」
「えっ! それは気になりますね!」
シルクはキラキラと瞳を輝かせた。
ヴァージルはシルクの顔をじっと眺めていたが、突然とろけるような笑顔を浮かべた。不覚にもどきりとしてしまう。
「あの……?」
「前から、レイヴンを支えてくれる人がいればいいなって思ってたんです」
「え?」
「先程の令嬢を見ていると少し安心しました。ご友人相手にあんなにハキハキと指摘されて。頼もしい限りです」
「見てたんですか……!」
急に恥ずかしくなって顔が熱くなる。
(さすがに配信してたとこまでは見られてないわよね……?)
挙動不審になったシルクを見て、ヴァージルは「すみません。たまたま目に入って」と笑った。どこか楽しげで、本当に申し訳ないとは思ってなさそうだ。
ヴァージルは笑いを収めると、幾分か真剣な顔になった。
「レイヴンをよろしくお願いしますね」
「……!」
その表情から、彼は本当にレイヴンを友人として大切に思っていることが窺い知れた。
……不思議だ。最悪な未来の結婚相手だと思っていたヴァージルの口からそんな言葉を聞くなんて。
何か返事をしようとしたとき、近くで物音がした。
「……何をしていた」
「!」
聞き覚えのある声がして二人は振り返る。そこには暗闇と同化しそうな黒衣の男が立っていた。
「レイヴン」
二人はそっと噴水の縁から立ち上がる。
薔薇の生け垣を抜けて出てきたレイヴンはどこか不機嫌そうに見えた。それとは対照的に、ヴァージルはにこやかにレイヴンを迎え入れた。
「少し話をしてただけだよ。そんなに僕を邪険に扱わなくもいいじゃないか」
「……別に」
「もしかして令嬢を口説いていたとでも思って焦ったのか?」
「うるさい。あっちへ行け」
「図星か」
ニヤリと笑うとレイヴンは心底嫌そうな顔をした。ヴァージルはやれやれ、とわざとらしく肩を竦める。
(ほんと仲良いのね、この二人)
レイヴンがこれだけ減らず口を叩くのは初めて見る。
シルクが二人のやり取りについていけず呆気に取られていると、ふとヴァージルと目が合う。ヴァージルは察したように話を切り上げた。
「じゃあ、僕はパーティーに戻るよ。またなレイヴン。リベラ伯爵令嬢も」
それだけ言うとヴァージルはさっさと歩き出し、薔薇園を横切っていく。輝くような金髪が夜闇に消えるまで、シルクはその背を見送った。
(……もしかして、ヴァージルって本当にいい人だったりする?)
なんだか小説の印象とは違う。もちろん猫被っている可能性もあるが、少なくとも話した限りそんな感じはしなかった。
(でも、そうなると小説の内容に反してる訳だし……。だけど、そんなことって……)
ヴァージルの消えた方角を向いたまま思案に耽っていると、強い視線を感じ、顔を上げた。何故かレイヴンがこちらをじっと見ている。
「あいつが気になりますか」
「そうですね」
「……」
何が気に障ったのか、レイヴンはすっかり黙ってしまった。ヴァージルとはあれだけ気安く会話していたのに。……全く、何を考えているのかわからない。
「そういえば、公爵様はどうしてこんな所まで?」
「ずっと貴女の姿が見えなかったので」
「あー……。ちょっと、いろいろあって」
「いろいろ……ですか」
腑に落ちないような顔をされたが、配信の話をする訳にもいかない。シルクは笑顔でやり過ごした。
とはいえ、レイヴンがわざわざ自分を探しに来てくれるとは思わなかった。よく見れば、少し髪が乱れているような。
「どうして私を探してたんですか? 何か御用でも?」
「また変な人に絡まれてるんじゃないかと思って。……思った通りでした」
変な人? 『また』? シルクは首を捻った。
「いずれにせよ、貴女は目立ちますので」
「目立つ……でしょうか」
今朝は鏡の前であんなに調子に乗っていたのに、ティーパーティーのメンバーとヴァージルくらいにしか話しかけられなかったのだ。
それに、気合いを入れてめかしこんできたのに当のレイヴンには一言も褒められていない。そんなことを考えているとだんだん鬱々とした気分になって、シルクは
「あいにく、ほとんど声なんてかけられなかったので余計な心配ですよ」
「でも、みんな貴女を見てましたよ」
「そんなわけないですよ」
「少なくとも私は貴女にしか目がいかなかったです」
「……えっ」
予想外の返答に虚をつかれ、反応が遅れた。まさかレイヴンの口からそんな言葉を聞くなんて。
「そ……そう、です、か」
シルクは
「……そうだ、これ」
レイヴンはポケットをまさぐると何かを取り出した。
差し出されたのは黒い小箱で、中にはネックレスが入っていた。レイヴンの瞳を思わせる金色の宝石が嵌っている。
「綺麗……」
「この間のお礼です」
「お礼?」
この間……とはまさか、誕生日プレゼントのことだろうか。あんなもの街の雑貨屋で買ったありふれた品なのに。
「いえ、こんな高価なもの頂く訳には……」
「貰ってください」
有無を言わさぬ声に、シルクは口を
ルナと話しているときも思ったが、この人は何にも興味がないような顔をして時折すごく頑固になる。シルクは気後れしつつも礼を伝えた。
「……私が付けても?」
思わぬ申し出にシルクは目を丸くした。戸惑いながらも頷くと、レイヴンはシルクの背後に回りネックレスの留め具を留めた。
指先がうなじを
そして何より、レイヴンから貰った初めての贈り物なのだ。
「……嬉しい」
ぽつりと本音が零れる。
撫でるように宝石に触れながら、シルクははにかんだ。
「ありがとうございます。公爵様」
「……気に入ったならよかったです」
レイヴンの表情がどことなく柔らかい。少しでも気を許されていると思うと、無性に嬉しくなった。
「もっと早く贈り物をすべきでしたね。他にも欲しいものがあれば何でも言ってください」
「いえ、そんな……」
大丈夫です、と反射的に言いかけて、先程のヴァージルの言葉を思い出す。
「……あ。それなら一つお願いがあるんですけど」
「何でしょう」
「今度、公爵様のお屋敷に行ってみたいです!」
「うちの屋敷……ですか?」
「はい!」
レイヴンは少しの間考えを巡らすように黙っていたが、やがて「わかりました」と了承した。
「詳しい話はまた今度。それでは……」
レイヴンは手のひらを差し出す。
「ホールに戻りましょう。最初のダンスは私と踊って頂けますか?」
「!」
なんて素敵な申し出だろう。シルクは顔を綻ばせ、その手を取った。
「喜んで!」
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