第10話 緋色の髪の娘

別々の道から姿を現した三人の騎士は、互いの姿を確認するなり慌てた様子で駆け寄り、顔を見合わせた。


「見つかったか?」

「いえ、どこにも見当たりません」

「今回こそ真面目に護衛させてくれるとおっしゃってたのに、今度はどこに消えたんだ……!」

「いいから早く探せ。万が一のことがあれば俺らの首が飛ぶんだから」

「そんなことわかってますよ!」


三人は青い顔をして再び違う方向に散らばっていった。

物陰からその様子を窺っていた娘はくすりと笑う。娘は上品なドレスを翻して細道へと入っていった。


「やっぱり一人の時間って大切よね」


そう独り言ちて道の奥へと進んでいく。その足取りは軽い。しかし周囲に誰もいないのを確認したつもりが、突然腕を強く引かれて娘は思わず悲鳴を上げた。


「……!?」


娘はすぐさま背後を振り返った。いつの間にか誰かが立っている。


「ヒヒッ、そう驚くなよ」


ガラの悪い男が己の腕を掴んでいることに気付くと、娘は軽く眉根を寄せた。それは男への不快感というよりは、こんな男を相手にうっかり悲鳴を上げてしまったことへの苛立ちによるものだった。


「……ほう。こりゃ上物だな」


舐め回すような視線を向けられ、娘の顔に嫌悪感がありありと滲む。

娘は溜め息を零すと、真正面から男を見据えた。


「その汚い手を放しなさい」

「おお怖い。でも気が強い女は嫌いじゃないぜ?躾け甲斐があるしなあ」


男は手を放すどころか無理に引っ張ろうとしながら下卑た笑みを浮かべた。そこには若い娘一人くらいどうとでもできるだろうという考えが透けて見える。


……侮られている。こんな男如きに?


その瞬間娘の眼差しが冷ややかなものに変わる。


「離せと言ったの」

「!」


刹那、その声に、その表情に、男は凍り付いたように動けなくなる。

背筋に冷たいものが走る。手足が震える。

絶対的な強者を前にしたような恐怖心。それは男が生まれてこの方感じたことのない感覚だった。

自然と掴んだ手も緩む。その隙に娘は男の手を振り払った。


一拍おいて、男は我に返る。年若き娘を相手に怯んでしまったことがよほど癇に障ったのか、顔を真っ赤にして娘を睨む。


「お前、あまり調子に乗ると……」

「……」


娘は物怖じすることなく鋭い視線を返すと、そっと懐に手を伸ばした。

――そのとき。


「女性が襲われてるぞー! 警備隊、こっちだー! 早く来てくれー!」


どこかから警備隊を呼ぶ野太い声が響く。男は忌々しそうな顔で声のする方向を見ると、舌打ちをしてその場から逃げ出した。


「……?」


一人残された娘はきょろきょろと辺りを見回す。しかし、いつまで経っても警備隊が来る気配はない。かわりに物陰から出てきたシルクとマリーの姿を見つけ、面食らったように目をぱちくりさせた。


「さっき、男性の声がしたのだけど……」

「あー、それは私です」


シルクが野太い声で「お嬢さん大丈夫でしたか?」と尋ねると彼女は目を丸くした。


(昔から声真似は得意で配信でも好評だったのよね)


反応の良さに楽しくなって、シルクは少年や少女、赤子から老婆の声まで披露してみせた。すると娘はくすくすと笑った。


「貴女、芸達者なのね。気に入ったわ」

「ありがとうございます」


シルクは改めてその人を眺めた。

ゆるく波打つ緋色の髪に神秘的な紫色の瞳。手足はすらりと長く、立っているだけで目を引くような華やかさがある。


質のいいドレスを身に纏っているし、きっとどこかの家門の令嬢なのだろう。先程までの凛とした表情は大人びて見えたが、こうして笑う姿を見るとシルクと年はそう変わらないように思えた。


「ところでさっきは大丈夫でしたか?怪我とかは……」

「私なら平気よ」


娘は懐から扇子を取り出すと軽く一振りする。すると扇子は瞬く間に短剣に早変わりした。


「!?」

「面白いでしょ」


彼女はシルクとマリーの反応をみて満足げに笑う。もう一振りすれば元の扇子に戻った。シルクはぽかんとした顔で娘を見つめた。


(もしかして、初めから私の助けなんて要らなかったのかしら……)


そんなシルクの心中を察したのか、彼女は扇子を優雅に扇ぎながら鮮やかに微笑む。


「でも、助けて貰ったのは事実だわ。今度お礼をさせてちょうだい」


どきりとするくらいに眩しい笑顔だ。その表情に目を奪われていると、遠くから複数の足音が近づいてくることに気が付いた。振り向けば騎士達が大慌てでこちらに向かってきている。

娘はそれを見て「あら、見つかっちゃった」と肩を竦めた。


「また会いましょう。リベラ伯爵令嬢」


それだけ言い残すと娘は踵を返す。彼女の歩みに合わせて鮮やかな緋色の髪が揺れる。


やがて遠くで娘が騎士達と合流するのが見えた。娘は何やら騎士達を窘めているようだった。

三人の騎士のうち一人は心底安堵したような表情を浮かべ、もう一人は涙目になっている。そして残りの一人は疲労感を滲ませていた。きっとこれは彼らにとって日常茶飯事なのだろう。

やがて彼らは仲良さげに会話をしながらどこかへ消えた。


彼らの姿が完全に見えなくなったとき、シルクはようやく我に返った。


「……あれ。私、名乗ったっけ?」


彼女は自分を見てリベラ伯爵令嬢と呼んだ。

シルクとは顔見知りだったのだろうか。

だとしても、今の格好はシルク・リベラには見えないはずだが。

どうにも釈然とせず頭を捻っているとマリーに腕を引かれる。


「私達もここを出ましょう」

「ええ、そうね」


二人は細道を抜けて大通りに向かうと、待たせていた馬車に乗り込んだ。車内でマリーは口うるさく繰り返す。


「ああいう場所は死角が多いので近づかない方がいいですよ。警備隊もいますけど用心するに越したことはないですからね。私も丸腰じゃ生身の男性は倒せないので」

「何で倒す気なのよ。でも、わかったわ」


……それにしてもさっきの女性。独特な雰囲気のある人だった。

『燃えるように鮮やかな緋色の髪、夜明け前の空を閉じ込めたようなの瞳』。そんな描写を小説のどこかで読んだような……?


「ま、いいか」


呟きは街の喧騒に混ざり、消えた。

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