馬鹿の宴

小狸

短編

「選挙とかさ、ダルくない?」


 聡美さとみは、そう言って目の前のフラペチーノを静かにすすった。


 唐突な発言だったので、私は思わず耳を疑ったけれど、即断否定するのもどうかと思ったので、


「ふうん?」


 と、私は疑問符を投げかけた。


 これでもかなり譲歩した対応である。


「いや、だってさ」


 と、聡美は続ける。


「別にウチが一票を入れなかったところで、世の中何も動かない訳じゃん。年寄りは『若者がー』って言うし、ウチらが払う税金は、生活ホゴとか、年金とかそういうものになっていくわけでしょ、結局どこに入れたところで、年寄り優先、若者は血眼になって働け――って事でしょ。意味なくね」


 一応、言葉を返してみる、極力聡美を傷付けないように。


「その一票が、世の中を変えるかもしれなくても?」


「だって、たかが一票じゃん。ウチらなんて、『社会の歯車だ』とか、『死んでも代わりはいくらでもいるー』、なんて普段は自虐して言ってる癖に、どうしてそういう都合の良い時だけ、人権だの義務だのを持ってきて、ハイ義務ですから投票してください――って、もうそれおかしいでしょ。だったら元からもうちょっと大事にしてよ。労わってよ。労ってよ。そんなこともせずに、ただ突然に一人選んでくださいこれは義務ですー、って、どうかしてると思わない?」


「…………」


 聡美が言わんとしていることは、分からなくもない。


 先日私の職場でも、一人、同期が適応障害になり、休職した。


 ブラックというほどではないけれど、だからと言って暇という訳でもない。彼女は上司運が悪かったのだ。


 そんな風に、当たり前のように使い捨てられていく私達の現状を嘆く気持ちは、分からないでもなかった。


 でも――。


「それを変えるためにも、一票が必要、なんじゃないのかな」


「……は? ウケるんだけど」


 聡美はそう言った。


 何か面白いことを言ったつもりはなかったけれど、ウケたらしい。


「政治とか、世の中とか、世界ってものはさ、私達若者に、馬鹿でいて欲しい――と思ってるんだよね、多分」


「は? 何、ウチが馬鹿って言いたいの」


「違う」


 流石に即断否定した。


 名前に聡いと付くのだからそれくらい察しろよと思わなくもない。


「馬鹿でいてほしい。若者は、何も知らないままでいてほしい。そう考えている中高年層、今の日本の土台、私達の上司の人達は、そうなんだと思うよ。若者には、何も知らないまま、適当に文句ぶっこいて、選挙にも行かずに、社会活動になんて興味もなし、ただ気ままに生きていて欲しい――鹿、そう考えている人は、結構多いんじゃないかな」


「馬鹿なまま――って」


「そう、馬鹿なまま。例えば、選挙に行かない。これは、選挙権を持つ大人が、自分の持つ政治に参加する権利を放棄しているとも言えるよね――」


 そう言えば、父も、某有名私立大を出ているのに、選挙に行かない人だった。


 そんな父は、ツイッター上で自分の政治思想と合致しない人間をボロカスに叩いていた。


 喜々として画面に打鍵する父を、私は眺めていた。


 大嫌いな父である。


 早く死ねばいい、あんな奴。


「でも――そんな余裕、ウチらには無いじゃん。政治とか、世界とか、は? そんなの、頭の良い人達が考えれば良いことで――」


「そこだよ。そこなんだよ、聡美」


「え、そこって、どこよ」


「そこ。確かに世の中の歯車の中枢に近い部分を回しているのは、頭の良い人達だよ。でも、だけれど、そんな中でも、私達みたいな末端の歯車の馬鹿にでも、唯一公的に許された、政治への参加権、それこそが、選挙なんじゃないかなって――私は思ってる」


「…………」


 聡美は、黙った。


 私の言葉を、考えあぐねているのだろうか。どうなのだろうか。 


 分からない。


 それでも私は。


「だからこそ、せっかく手にしているそれを自ら手放すのは、本物の馬鹿だって私は思うよ。そういう奴は一生自分の置かれた環境に文句を言わずに生きていける自信のある、本物の、救いようのない馬鹿だもの」


「…………」


「だから、選挙には行った方が良いと思う。ううん、行くべきだと、私は思う。少なくとも私は行く。これでも社会の歯車の一部品だけれど、いなくなれば代わりはいくらでもいるけれど、それでも私はちゃんと生きているって、証明するために」


「…………」


 聡美はしばらく黙った後、


「やっぱ、すごいね、じゅん


 と言った。


「なーんか、ウチもそんな馬鹿の一人だったんだなって、恥ずかしくなっちゃったわ。ウチも選挙、行くわ。ありがと、純」


「行こうと思ったのは、聡美でしょ。そう思った自分を、褒めてあげなよ」


 そう言って、私達は笑った。


 ある梅雨の晴れ間のことである。




(了)

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馬鹿の宴 小狸 @segen_gen

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