第20話 松代藩危機(繁信17才)
空想時代小説
宮城県蔵王町に矢附という地区がある。そこに西山という小高い丘があり、その麓に仙台真田氏の屋敷があったといわれている。ただ、真田信繁(幸村)の末裔とは名乗れず、白石城主の片倉の姓を名乗っていた。その真田の名を再興するべく、信繁の孫である繁信が活躍する話である。
真田幸道が、春に参勤交代で江戸に上がり、ひと月ほどたった。サクラは散り、青葉がきれいで、農民が田植えに精を出している日のことである。
繁信が、いつものように講武所に行くと、早めに来ていた門弟が、息せききって駆け寄ってきた。
「繁信殿、道場やぶりです」
まだ、朝の稽古前だ。そんなに早く来る道場破りなど聞いたことがない。繁信が急いで講武所に行くと、その男は木剣を構えて、
「和之進を呼べ!」
と騒いでいる。師範の名を知っているとは? 繁信は怪訝な顔で問うた。
「講武所補佐の真田繁信である。和之進殿は、稽古が始まってから来られる。何用か?」
との問いに、その男はニヤッと笑いながら振り返った。その男の顔を見て繁信はハッとした。
「お主にも用があったのだ。やはり、ここにおったのだな」
と、その時知らせを受けた村上和之進が、家臣に抱えられながら講武所へやってきた。
「吉右衛門もどってきたのか! 脱藩は切腹だぞ。わかっているのか!」
「脱藩ではござらん。幕府に召し抱えられ、諸国をめぐっておったのだ。このことは、ご家老もご存じじゃ。内密だったがな。この度、ご家老からお許しが出てもどってきた」
そこに城代家老の真田源斎も顔を出した。和之進は源斎に問うた。
「ご家老、このこと、まことでござるか?」
「いた仕方なかったのじゃ。仙石家の内情を知るために、上田のことを知る者を出せ。と、無理やり言われて、それに選ばれたのが吉右衛門だった。この度、幕府の酒井大老が亡くなり、吉右衛門はお役目ご免となった。それで帰参を許したということじゃ」
「なんと、幕府の探索方になっていたのか?」
和之進は絶句した。
「兄者、講武所の師範のお役目をほとんど成していないというではないか? その足では無理もない。そこで、拙者が兄者を倒し、村上家の跡取りとなり、講武所師範となるべくしてもどってきたのだ」
「何を生意気な。お主のような傲慢な者がなれるわけがない!」
「強い者が師範じゃ。ましてや兄者が死ねば、わしが跡取りじゃ。兄者には子がいないからの」
「真剣で立ち合う気か?」
「負ければ死ぬ覚悟。生きている意味はない」
そのやりとりを聞いていた繁信が
「和之進殿、拙者に立ち合いをさせてくだされ」
「繁信殿、ふだんの木剣とは意味が違うぞ。ましてや、この者はすでに何人も斬っておる。生々しい血の匂いがする」
「わかっております。私とて人を斬ったことがあります」
「はっはっ! 笑止千万。お主の相手は山賊ではないか? 剣法を知らぬ奴ばかりじゃ」
と、吉右衛門は高笑いをした。そこで、和之進が
「わかった。繁信殿と吉右衛門の立ち合いを認めよう。繁信殿が敗れれば、わしは腹を切る。ご家老よろしいですな」
家老の真田源斎はいた仕方ないという顔をしてうなずいた。庭に出て、繁信と吉右衛門の真剣での立ち合いが始まった。講武所の面々が、庭の周りを取り囲んだ。
立ち合いの所作の礼を経て、二人は向かい合った。
吉右衛門は、ゆっくりと下段に構えた。そして、じりじりと間合いを詰めてくる。中段の構えの繁信は、間合いがつかみにくい。すっと、吉右衛門の剣が上がった。繁信は殺気を感じて、一歩後ろへ飛び跳ねた。そのまま攻め込んでいたら、腹を一文字に斬られていたことだろう。背後が狭くなった繁信は左へまわり込んで、庭の中央へもどった。
今度は、繁信が攻めの八相の構えをとった。吉右衛門は定石の脇構えをとった。気が充実したところで、繁信が気合いもろとも撃ち込んだ。吉右衛門は、それを受けるのが精一杯で、お互いの顔をくっつけんばかりのつば競り合いとなった。お互いに力を込めたにらみ合いとなった。すると、吉右衛門は右手は刀から話して、脇差しを抜きながら繁信の腹を斬った。繁信は殺気を感じたので、すぐに離れたが、へその近くから血がにじんでいる。幸いに傷は深くない。周りの者は、
「卑怯な!」
と騒いでいるが、
「卑怯とは剣法を知らぬ者の言い分。二天一流の剣法じゃ」
二天一流とは、宮本武蔵が広めた二刀流の剣法だ。九州の方で広まっていると聞いていた。吉右衛門は、諸国をめぐってさまざまな剣法を知りえているのだ。
吉右衛門は、二刀を頭上で交差して構えた。繁信は、二刀に対するのは初めてだった。正面を撃てば、右手の脇差しで避けられ、左からの大刀で腹を斬られる。腹を撃てば、片方の刀で避けられ、もう一方で頭を斬られる。突いていっても、脇差しでたたかれ、大刀で頭をたたかれる。いろいろな攻め方と守りが交錯していた。
選択したのは突きだった。
繁信はじりじりと間合いを詰め、突きができるところまで近づいた。吉右衛門は優位な構えをとっているということで、笑みさえ浮かべている。そこで、見せかけの突きをさしたのだ。案の定、吉右衛門は右手の脇差しを降ろし、繁信の刀をたたいた。そして左手の大刀をここぞとばかりに撃ちおろした。周りの者は悲鳴をあげたり、呆気にとられたりしている。だが、繁信にとっては想定範囲内、たたかれた刀をさからわずに回して、相手の大刀の攻撃をはじいた。吉右衛門は、自分の攻めがはじかれたのが意外という顔をし、すぐに悶絶の顔に変わった。繁信が吉右衛門の左の腹(逆胴)を斬ったからだ。吉右衛門が脇差しをさしていれば、斬れなかった。吉右衛門は、右手の脇差しで繁信を突こうとしたが、その力はもうなかった。
繁信が片膝をついて、真田源斎に
「これにて、勝負がつきました」
と報告をした。源斎の
「うむ」
という声とともに、和之進が吉右衛門に抱きついた。
「吉右衛門!」
と叫んだら、吉右衛門が最後の力を振り絞って声をだした。
「兄者、強い弟子をもったの。だが、真田信繁の末裔がいると幕府がさがしている。気をつけられよ」
と言って、こと切れた。歓声を上げていた周りの者も、和之進殿の悲しむ顔を見て騒ぐのをやめた。
その後、村上家にて吉右衛門の葬儀がしめやかに行われた。藩を抜けていたとはいえ、いわば藩命で抜けたのだ。この度の立ち合いも、もしかしたら自分から死ぬつもりで帰ってきたのかもしれないと和之進は思っていた。
数日後、幕府の目付が松代藩にやってきた。家老の真田源斎が対応した。
「どういうご用かな?」
「わが方の探索方によると、こちらに仙台藩の者が仕官しているとのこと。その者、真田と名乗りしこと。仙台藩には真田は存在せず、2代目片倉小十郎の後添え阿梅の血筋というではないか。となると、徳川の大敵、真田左衛門佐の末裔となるが、いかが?」
真田源斎はあわてる様子もなく、次のように答えた。
「そのことでござるか? 江戸でわが殿と3代目片倉小十郎殿がお会いした時に、小十郎殿の従者をしていた者を、わが殿がいたく気に入り、小十郎殿から譲り受けた次第。実は、その者、2代目片倉小十郎殿の落としだねでござる。後添えに入った阿梅の方の目を盗み、近在の百姓の娘に産ませた次第。要は、3代目片倉小十郎殿の腹違いの弟でござる。2代目片倉小十郎殿は、近習の片倉守信殿の屋敷に住まわせ、母とともに暮らさせておりました。3代目にとっては、近くにおくわけにはいかず、かといって放逐するわけにもいかず、わが殿が気に入ったということで、松代へあずけた次第。真田の名をつけさせたのは、わが娘加代と縁組みをさせるつもりで、はじめからわが身内とした次第。来年には、正式にわが家に入る予定でござる。このことは、この3代目片倉小十郎殿からの文に書かれておる」
と、真田源斎はあらかじめ用意していた文を目付に見せた。こういうこともあろうかと、3代目片倉小十郎とはかり、書いてもらったものである。もちろん、繁信の出生の云々は偽りである。目付は苦虫をかんだ顔をしている。
「そうであるか? 片倉殿の血筋か。その旨、また調べてお伺いいたす」
と不機嫌な顔をして立ち去っていった。その際、お茶受けの底にあった金子の袋をしっかり握っていったのは言うまでもない。これがないと、いつまでもぐだぐだと調べが続く。役人ほど困った者はいない。
その夜、繁信は源斎に呼び出された。そこで、その日のいきさつが知らされた。自分が2代目片倉小十郎の落としだねという話には、たまげてしまったが、最後には二人で笑い合っていた。
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