第2話
シンイチは、そう、音楽は好きだったのだが、それ以外は、からきし駄目だった。
いつも会社の中では、お荷物になっていた。
大抵、仕事のできる押し出しの強い同僚は、「こんな会社にいない」と言って、転職をしたり、または、さっきも書いた通り、恋人は他の男性と結婚をした。
まして、クルマの運転だって苦手だった。
例えば、シンイチは、住んでいる横浜市内から東京ディズニーランドへ行こうとしても、運動神経が悪く、ハンドルを握っても、オドオドしている彼に何の魅力はあろうか、と言える。
また、野球をしても、いつも三振。
また、サッカーをしても、満足にシュートを打てない。
仕事では、ルーチンワークがあっても、いつも、下っ端であった。
シンイチは、人間は悪くないのだが、上司からお情けで、ここの会社にいさせていただいていた。
そもそも、不器用で運動神経が音痴な彼は、仕事もできず、また、友人もいない彼は、どこへ行っても、さえない男のまま人生が終わりそうだった。
だが、ここの会社に10年も勤務していたら、嫌でも先輩になる。
そして、この年になって、シンイチは、会社の若い女性に仕事を教えることになった。
45歳のシンイチは、27歳のリノに仕事を教える先輩になった。
いや、さすがに45歳になったシンイチは、さすがに、18歳も年下のリノにオドオドすることはなくなった。
そして、この今の時期は、カラオケ大会の時期になっていた。
「先輩は、今度のカラオケ大会に出るのですか?」
とリノは、シンイチに聞いた。
「出るよ」
とシンイチは、リノに素っ気なく言った。
「私、人の歌を聴くのは、好きですけど、自分で歌うのは、好きではないのです」
「へぇー」
「だけど、聴くのは、好きだけど、音楽の時間は嫌いだった」
「どうして?」
「バッハとかショパンとかどうして習わないといけないのか、分からないから」
「どうして?」
「いや、別にバッハとかショパンなんて知らなくても音楽は今でも聴くことが出来るでしょう」
「うん」
「それにバッハとかショパンなんて何をしたの?」
それを言われて、シンイチは、困った。
音楽大学を卒業したシンイチの母親が、リノの発言を聴いたら、びっくりすると思ったシンイチだった。
シンイチは、幼少のころから、バッハやショパンの音楽を聴いていたが、リノは、どうやらそんな感じではないらしい。現代の音楽が好きらしい。そして、シンイチは、そんなリノは、アイドル音楽やポップスの音楽が好きらしい。
シンイチは、いつも親戚の集まりでは、よく歌っていた。
歌う時だけ、シンイチは、輝いていた。「シンイチは、歌が上手ね」とみんなから言われていた。それで、「シンイチは、小遣い、1000円やるぞ、歌が上手いから」と言われていた。
が、リノは、現代的な女性だった。とても、クラシック音楽なんて縁がなさそうだった。
大学時代は、カラオケ同好会にいたシンイチは、そこで部長になっていたが、部員は、4名しかおらず、卒業してから、数年が経ったら、廃部になっていた。後輩は、東京の大学を卒業してから、関西へ帰って、カラオケ教室の講師になったが、もう、彼も、40代になっていた。
反対に、リノは、学生時代は、バスケットボール部だったらしい。言われたら、音楽をしている人間特有の繊細さはない。がっしりした身体に、どこか体育会系の雰囲気はしてくる。
シンイチは、クルマが運転できないが、リノの運転するクルマで、この間、八王子の会社へ一緒に営業へ向かった。
リノは、美人だが、出身は関西らしく、たまに、一緒に外回りをしていてクルマで出かける、時々、一緒に食事をすると、関西弁になる。いや、アイドルの指原莉乃に似ているのだが、アイドルの名前と面影が似ているのは、たまたまだった。
だが、リノも、以前、新宿で仕事をしていたが、会社の仕事が合わず、新橋の会社で仕事をしている。
「先輩は、何を歌うのですか?」
「いきものがかりの『ブルーバード」を歌います」
「あれは、難しいですよ」
「うん」
「いや、歌ってみたいと思って…」
「へぇー」
リノは、ここで、内心、「どうせ、また、大したことがないんだろう」と決めつけていた。
今、会社のデスクの横に座っているシンイチのようなうだつが上がらない男性が、そんな歌に自信があるとは思っていなかった。
また、シンイチも、「オレは、どうせ魅力のない男なんだ」と思って、自信がなかった。シンイチは、リノに「笑われる」と病的なまでに思っていた。今まで何人かにそうやって笑われていた。
シンイチは、大学に入学した時、私立大学しか受からず、そして、みんなのノリについていけず、また、うつ状態で、大学を卒業して、会社員になった。最初に入った会社では、使い物にならず、地方へ転勤になったが、その地方でも苛められて、苦になって退職した。
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