第28話 借金は利子が増える前にさっさと返す
花祭りは五日に渡って催される。やはり初日と最終日は一番混むらしいから、私は比較的空いてそうな二日目を選んだ。
カイルと合流後さっそく街中を歩いていけば、露店や屋台が並び、辺りは賑わっていた。すれ違う人たちの中には食べ歩きをしている人もいる。その様子はなんだか、昔見た夏祭りに似ていた。
と言っても私はいつもただ遠くから眺めていただけで、行ったことはないんだけど。
……でもきっと、こんな感じだったんだろう。
「ウォレス令嬢は花祭りは初めてかい?」
「はい、ずっと領地に居たので。話で聞いたりはしていましたが、実際に来るのは初めてです」
「ああ、だからかな。君とオルレアン令嬢が首都へ遊びに来る度に、いつもキオンとエメルが喜んでいたよ」
柔らかな表情と雰囲気がカイルを纏う。その様子からカイルが二人へ心を許していることが見て取れた。
「二人は学校でどうですか?」
まぁ、あの二人のことだから上手くやれているとは思うけど。デビュタントの時も二人の周囲には人が集まっていて、浴びていた視線も悪意あるものじゃなかったし。
想像通りの答えをカイルはくれる。
「とても良くやっているよ。二人と近づきたい人たちが山ほどいる程に。キオンからは何も聞いたりしないのかい?」
「お兄様は自分のことを話すより、私のことを聞きたがるので学校でのことはあまり詳しく知らないんです」
カイルも何か思い当たる節があるのか「ああ……」と頷いた。
「でも良かったです。お兄様たちから他の人の話を聞いたことがなく、てっきり友人がいないんじゃないかと心配だったので」
こんなこと気にしてるなんて知られたら「公女は人のことよりも、自分の心配した方がいいんじゃない?」とエメルに言われそうだけど。
私の言葉に、何故かカイルはそのまま押し黙ってしまった。祭りを楽しみながら行き交う人たちの間で、沈黙が流れる。
私は敢えてカイルには話しかけず、ただ黙々と足を前へと進めた。
「……ここって」
色んな出店や屋台を通り過ぎ、一つの店の前で私は足を止めた。横からカイルの小さな呟きが聞こえる。
目が合った気立ての良さそうな屋台のおじさんが、私へ話しかけた。
「お嬢ちゃんいらっしゃい。お一つどうだい?」
「じゃあ一つお願いします」
「ソースは甘口と辛口どっちにする?」
「うーん、辛口で。あと、できたら半分に切ってもらえますか?」
「はいよっ」
薄いパンの上に野菜と肉を乗せ、ソースをかけて巻いて食べ物があっという間に完成する。
私の要望に応え半分に切ってくれた物を、おじさんから両手で受け取った。
「お嬢ちゃん、お釣り――」
「お釣りはいいです、ありがとうございました」
両手が塞がっている私の代わりに、エリオットが銀貨一枚を渡してくれた。お礼を伝えながら、ぼんやり立っていたカイルへ私は振り返る。
「殿下もどうぞ」
「私に?」
手に持っていたうちの一つをそのまま手渡せば、カイルは戸惑いながら尋ねてくるから私は頷いた。
「去年、収穫祭の時期に食べたってお兄様から聞きました」
今回の花祭りが近づくにつれ、キオンはいかに花祭りが楽しいのか私に熱弁して連れて行こうとした。別にそんなことしなくても普通に誘ってくれれば行くのにと思ったけれど、キオンが嬉しそうに話すのを見るのは嫌いじゃないから私は口には出さずに話を聞いていた。
その話の中の一つに、この食べ物のことが出てきたわけだ。
食べたのは収穫祭の時だったけれど、きっと花祭りにもあるだろうからと、キオンは言っていた。
「やっぱり兄妹だね」
「?」
「ふふっ……去年も食べたと聞いただろう?その時、キオンもこうやって半分に分けてくれたんだ」
その言葉の意味が分からず私は首を傾ける。カイルは自分の手に持っているものを見下ろしながら、小さく微笑んだ。
『……あそこ凄い人ですね』
『ああ、トルティーヤって食べ物だね。人気のある屋台だよ。今はちょうどお昼前だから余計に並んでる人が多いのかも』
『へぇ〜じゃあボクも食べてみたい!』
そんな風に興味を湧いたキオンが食べたいと言い出して、並ぶことになったそうだ。
『あれ、二人は食べないの?』
『俺はそんなにお腹空いてないから。ていうかキオンがおかしいんだよ。朝食から大して時間も経ってないはずなのに、そんな普通に食べれるのが』
『ボクは成長期だから大丈夫ってリアが言ってたからいいの。殿下もお腹空いてないんですか?』
『私も……』
『はっ!そっか、王族なら毒味とか必要ですよね。気が付かなくてすみません。じゃあはい、どうぞ!』
何かを察したらしいキオンは自分の物を半分に割って、殿下に手渡した。
『毒味が必要な時はボクかエメルにいつでも言ってください!』
『それ俺もなんだ。……ん、結構美味しいね』
『ちょっと、お腹空いてないって言ってたくせに何勝手に食べてるわけ?』
『キオンが毒味しろって言ったんじゃん』
『それは今じゃなくて――』
そして、いつものように始まる言い合いまで。まるで宝箱から大事なものを取り出すかのように、カイルは思い出を回顧した。
「……実は俺もエメルと同じくそこまでお腹が空いてたわけじゃないんだ。でも嬉しくてね。あんな風に誰かと祭りを回ったり、マナーや周囲の視線を気にせず何かを食べたりするのは初めてだったから」
カイルは笑った。いつもの王子様のような爽やかな笑みよりももっと無邪気な、子供のような笑顔で。
「だからウォレス令嬢もこうして半分、私へくれたのだろう?ありがとう」
「……」
それは誤解です、殿下。
キオンたちが来る前に満腹になるのは良くないと思ったから分けただけで、特別な意図があったわけではなかった。しかし、カイルの気分が良さそうだから事実を伝えるのは憚られて、私は言葉を呑み込んだ。
代わりに買って手に持ったままでいた物を早速一口食べてみれば、生地のパリッとした音が鳴った。
新鮮な野菜と濃厚な肉の味が口の中に広がって、ソースが……
「……っ……」
「ウォレス令嬢?」
「公女様?どうしましたか、公女様?」
口を抑えて顔を歪めた私に、慌てた表情でカイルとエリオットが声を掛けてくる。
「ウォレス令嬢急にどうしたんだ、しっかりしてくれ。今すぐ医者を――」
「……い、医者じゃなく…………水を」
「……へ?」
医者を呼びかけたカイルを引き止めて、水を要求する。カイルの気が抜けた声が聞こえたけど、今はそれどころじゃなかった。唇が熱くて舌がヒリヒリと痛む。
エリオットが水を持って来てくれるのを私は静かに待っていた。
***
容器に入った水を半分ほど空けた頃、ようやく呂律が戻ってきた。
「すみません、殿下」
カイルに促され、広場のベンチに腰掛けた私は第一声で謝罪を口にした。
まさかこんな醜態を晒すことになるなんて私も思わなかった。私の言葉にカイルは首を振る。
「何かあったわけじゃなくて良かったよ。でも辛いのが苦手なのに、どうしてそれにしたんだい?」
「だって殿下は甘いものがお好きではないでしょう」
まぁ単純に、こんな辛いとは思わなかったってのもあるけど。
私が春野律だった頃は辛い食べ物は普通に食べれていたから、これも当然食べれると思っていたし。
そろそろ時間もないからと、私はついに本題を切り出した。
「今日、なぜ私が殿下だけ呼び出したのか気になっておりましたよね。――私は貴方に義理をお返しするために、ここに来たんです」
「君に私が何かしてあげた記憶はないけれど、一体何のことだろう?」
「頂いたじゃないですか。それも何度も、美味しいケーキを」
心底不思議そうに首を傾けたカイルへ私は笑って言った。
「殿下、私は無償の優しさなんてものは信じていません。世界のどこかにはそんな優しさを持つ人もいるんでしょうが……」
例えばアイリスとか。信じられないことに、本当に心優しい人も居る。
だけど、私とカイルは違うだろう。
カイルは私の言葉の意味を理解したのか、すっと目を細めた。さっきの穏やかな雰囲気とは違い、ぴりぴりと冷たい空気が流れる。
「……それは、私がデザートを持って行ったのには何か意図があると言いたいのかな」
「いいえ。殿下はただ善意で持って来てくれたのでしょう――お兄様とエメルのために」
「……」
「デビュタントの日のこと覚えてますか?」
あの時カイルは私をダンスに誘い、最後は手の甲に口付けまでした。単純に見るなら礼儀上の挨拶や敬意だけど、でもあの時あの場所で、初対面の私を相手にする理由はなかった。
だからてっきりアイリスの気を引くためだと思っていたけれど、でもあれはきっと。
「……お兄様とエメルのためですよね」
カイルも私の噂くらいは知ってたはずだ。そして、あの場で二人以外の男性からはダンスに誘われない私も見て。
だから自分の立場を利用したのだ。私が誰からも誘われない令嬢として浮かないように。そのことで、キオンとエメルが気にしないで済むように。
「ありがとうございます」
だから私は笑いながら心からのお礼を伝えた。
「殿下にお気遣い頂いたうえに美味しいデザートまで何度も持ってきて下さったのですから、私も何か返さなければなりません」
借金は利息が増える前にさっさと返すのが一番だから。最初は花祭りで何か買って返そうとしたけど、どうやらカイルに今一番必要なのは物ではないようだった。
だから私は別の方法で返済することにした。
「先程、私がお兄様やエメルから他の人の話を聞いたことがないと言ったのを覚えてますか?」
「え、ああ……覚えているよ」
私の突然の質問に、カイルは戸惑いながらも頷く。
「それは私の誤りでしたので訂正させてください」
「誤りというと、どういう意味だい?」
「誰の話も聞いたことがないのではなく、〝殿下以外の人の話を聞いたことがない〟の間違いだったようです」
ひか恋のカイルは優しげな見た目とは裏腹に、人間関係に関してはもっと淡白で利益的な性格だった。
でも、とアリア・ウォレスの死後、カイルとキオンの仲が拗れたことを思い出す。
もしカイルにとってキオンが本当にどうでもいい存在だったなら、あの時わざわざ人間関係の修復なんてしようともしなかっただろう。
だからアリアが国外追放になったのも、少しは情があったからかも…………いや、それはないな。
コミカライズでアリアに向けるカイルの冷淡な視線を思い返して希望を打ち消した。
アリアはともかく他の友人に対しては、もしかしたら、私が考えていたよりもっと情が深かったのかもしれない。
今までは気付けなかっただけで。
「……あ、」
「リアー!」
カイルが何かを話そうとしたその時、遠くから大きな声で名前を呼ばれた。反射的に向いた先には、ぶんぶんと手を振りながらこちらへ向かってくるキオンとアイリス、エメルがいる。ちょうどいいタイミングだった。
そんな三人を眺めながら、私は立ち上がった。
「確かに殿下は何事も完璧にこなしてしまうようなイメージですが……例え欠点があってもそれを馬鹿にするような人たちじゃないことは、殿下ももう知ってますよね」
「ああ。よく知っているよ」
「なら、」
トンッ
カイルの背中を押す。
私の突然の行動にカイルが目を見張りながら、背中を押された反動で一歩前に出た。
護衛の男が不敬だぞと言わんばかりの目つきで睨んでくるけど、私は謝罪の代わりに別の言葉を伝える。
「そのままの貴方でいいんです。だって二人は、そんな殿下のことが好きで一緒にいるのですから。お兄様の妹である私のことまで色々と気遣って下さったのには感謝します。ですが、これからはその必要はありません」
例えば他の令嬢を差し置いてダンスに誘うだとか。自分が結婚候補者の中で国で一番注目株なことをもう少し自覚してほしい。
数しれない令嬢に睨まれるくらいなら、喜んで壁の花になるつもりだ。
カイルは何か言いたげにしてたけど「後は二人と直接話してください」と伝えれば、頷いた。
「ありがとう」
そう最後に残してカイルはキオンたちの元へ向かって行く。その背中を眺めながら、私はこの事に後で何て言い訳をするべきか考えを巡らせた。
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