#31 見てはいけない物




 シチューの鍋にルーを投入して煮込み始めると、イロハさんがグリルでチキンを焼き始めたので、僕は使い終わった調理器具を洗い、それも終わると手持無沙汰になったので「顔洗って休憩しますね」と伝え、「はい、お手伝いありがとうございました。ゆっくり休んでて下さいね」と言ってくれたので、借りてたエプロンを外して「洗面所借りるね」と一言断ってから洗面所に入った。


 冷たい水で顔をバシャバシャ洗い、水を止めてからタオルで顔を拭き、正面の鏡で自分の顔をチェックして使ったタオルを戻して洗面所を出ようとしたところで、棚に化粧水や洗顔料のボトルに隠れるようにコンビニかスーパーだかの白いビニール袋に包まれた何かが置いてあるのが視界に入った。


 何気なしに手に取って見ると、近所にあるドラッグストアの袋でくるむ様にぐるぐる丸めた物で、広げて袋の中を覗き込むとコンパクトなサイズの箱が1つ入っていた。


 何かの薬なのかな?

 イロハさん、体調でも悪いのかな?


 気になったので袋から箱を取り出してみると、未開封のコンドームの箱だった。



 心臓がバクバクしだして、「見てはいけない物を見てしまった」と焦り、慌てて元の状態に戻した。


 洗面所から出てキッチンに立つイロハさんの様子を窺うと、視線が合いニコリと微笑みながら「あと5分ほどで焼けますので、待っててくださいね」と、僕がコンドームの存在に気付いたことはバレてない様子だった。


 ドキドキしたまま部屋に戻り腰を降ろすと、ノドがカラカラになったので、テーブルに置いてあるグラスの冷たいお茶を一気に飲み干した。



 イロハさんがコンドームを用意してた。

 イロハさんとコンドームって、僕の中では全然結び付かないんだけど。

 イロハさんとは、今まで一度もそういう話題が出たことは無かった。


 そんなイロハさんがセックスを?

 僕と使う為、だよね?


 僕が初めての恋人だって言ってたし、僕と同じで絶対に未経験だと思ってた。

 そんな話をしたこともないのに自分でコンドーム用意するくらいだから、違うのか?

 いや、処女じゃないとダメとかそういうつもりは無かったけど、でもイロハさんが経験者かもしれないという現実に直面すると、やはりショックではある。


 もし経験者だとしたら、僕は幻滅されてしまうという恐怖があるから。

 僕は未経験者で知識も無いし、相思相愛だったハズの彼女にセックスを拒否された過去を持つ男だし、その彼女が他の男とはセックスしてたことを知った時の惨めさを思い出してしまいそうだし、そのせいなのか僕はセックスに強い苦手意識がある。

 だから、『セックスが出来ない』『下手くそ』だと幻滅されるのが怖い。

 そして、イロハさんが経験者じゃなくて、あくまで僕との初体験に備えてだったとしても、それは同じだ。


 イロハさんのことは大好きだし、キスだってしたいと思うし、ハグだってしたい。 そういう欲求はあるけど、セックスだけは欲求よりも不安や恐怖心のが強い。



 アレコレ悩んでいると、イロハさんが「料理出来ましたので運ぶの手伝って下さい」と声を掛けて来た。


「うん。手伝います」


 なんとか返事して立ち上がりキッチンに行くと、シチューの器が2つとスプーンが乗ったお盆を手に持ち、部屋に戻ろうとしてイロハさんに声を掛けられた。



「タイチくん?顔色悪くないですか?大丈夫ですか?」


「え? 大丈夫ですよ?」


「そうですか。 無理をしてるんじゃないですか?」


「全然全然!元気です!元気ですよ!」


 動揺を隠すように返事をしたけど、イロハさんは僕に近寄り、背伸びして手を伸ばし、僕の額に触れた。


「熱は無いようですけど、お腹の調子が悪いとかですか?」


「ホント大丈夫だから、早く食べましょう。お腹ペコペコなんですよ」


「はい、分かりました。 でも体調悪くなったら直ぐに言って下さいね?」


「らじゃ!」



 でも結局、クリームシチューもチキンのもも肉も、よく味が分からないまま気付いたら食べ終わってた。いつもの様に会話しながら食べてたけど、その内容もよく覚えてない。


 平静を装ってたから、洗面所で僕がコンドームを見つけたことは多分バレてないと思うけど、時間が経てば経つほど、内心では足元がグラつくような不安が大きくなるのを感じていた。



 食事を終えて、二人で食器洗いを済ませると、時計は7時半を過ぎたところだった。


 いつもは8時過ぎると帰るようにしてて、遅い時でも9時には帰る。

 恋人とは言え、遅くまでお邪魔してるのは迷惑だろうし、親元を離れて心配かけているのに、そういうのは宜しくないと思って、そうしてきた。

 だから今日も、いつもより少し早いけど帰ることにした。


 心の中でそう言い訳しながら、「そろそろ帰りますね。ごちそうさまでした」と告げた。


「今日は、その、もう少し、遅くても良いんじゃないですか? クリスマスだし・・・」


 イロハさんは、少しだけ寂しそうな顔をして、そう言ってくれた。

 いつも僕が帰る時は寂しそうな顔をしてくれて、その度に愛おしい気持ちが募り、後ろ髪を引かれる思いで帰ってた。


 でも今は、このまま部屋に残っていたら、「セックスをしたい」と言われるのではないかという恐怖心が湧いていた。


「ごめんなさい。 やっぱり体調があまりよく無いみたいで。明日も学校あるし、今日は帰ります」


「そうですか。無理させてしまって、ごめんなさい。 今夜はゆっくり休んだ方がいいですね」


「本当にごめんなさい」



 帰る支度をして、イロハさんに貰ったマフラーを首に巻いてから玄関に行くと、イロハさんも玄関まで来てくれたので、靴を履いてからイロハさんに向き直り、「今日はごちそうさまでした。 イロハさんもゆっくり休んで下さいね」と伝えると、イロハさんは無言で僕の正面から抱き着いてきた。


 いきなりのことでビックリしたけど、動揺しながらも抱きしめ返した。


「ごめんなさい。 タイチくんが帰っちゃうと思うと、凄く寂しくて」


「僕こそごめんなさい。 クリスマスなのにゆっくり出来なくて」


「ううん。 もう大丈夫です」


 そう言って僕から離れると、イロハさんは「気を付けて帰って下さいね。明日も体調悪かったら、無理せずに休んで下さい」と無理に笑った表情で僕の事を心配してくれた。


「はい。じゃあ帰ります。おやすみなさい」


「はい、おやすみなさい」



 マンションの廊下に出て静かに玄関扉を閉め、数秒後に施錠する音が聞こえてから、「ふぅ~」と大きくため息を吐いた。



 一人で自転車を漕ぎながらの帰り道、ずっとイロハさんとコンドームのことばかり考えてた。


 イロハさんと居ると幸せで、毎日が楽しくて、この先もずっとそんな毎日が続くと思ってた。

 まさか、イロハさんがコンドームを準備しているとは、露ほど考えたことも無かった。


 勿論、僕はコンドームを持ってない。

 そもそもセックスをする気が無いのだから、当たり前だと思ってたけど、相手がそうとは限らないってことだった。

 そこまで想像出来てなかった僕が悪いんだけど、イロハさんが何かしらセックスのことを考えていると知ってしまったことで、僕は激しく動揺している。






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