サレタ男の門出と、シタ女の遅すぎる後悔

バネ屋

#01 門出




 旅行用のキャリーバッグを頭上の棚に上げてボックス席の座席に腰を降ろした。


 今日は朝からバタバタと忙しかった。

 旅立ちの準備は前日までに終わっていたけど、心配性の母さんが朝から「ハンカチは入れたか」「胃腸薬は必要ないのか」とアレコレうるさいし、ケータイショップに行って解約と一緒に新規の契約も済ませるという重要ミッションを終えて自宅に戻るが、向こうに着いてからの事を考えると昼前には電車に乗りたかったので、母さんが「出る前に昼ご飯を食べてけ」って言うのを断り、慌てて駅まで送って貰って、駅のポストで封書を1通投函してから切符買って、見送りに来てくれた母さんと姉ちゃんとは改札で別れて、なんとか予定してた時刻の電車に乗ることが出来た。



 電車がホームから走りだすと、ペットボトルのドリンクを一口飲んで、ほっと溜息を一つ吐いた。

 正直、電車が動き出すまで、誰か知り合いに会ったりしないか気が気では無くて、ずっと下を向いていた。


 ドリンクをもう一口飲むと、キャップを締めてから窓際に置き、今度はスマホを2台取り出して、新しいスマホへのデータやアプリの引継ぎ作業を始めた。


 スマホって新品だと、こんなにスッキリしてるんだね。

 古い方は中3の時にチカとお揃いで買ったヤツだから、もう丸3年使ってたのか。



 今日で18年間過ごしたこの土地と一緒に古いスマホともお別れ。

 そして、恋人として5年間付き合ったチカともお別れ。


 5年も付き合ってたのに直接会うことをせずに手紙一通で別れるのは不誠実だとは思うけど、僕にそうさせているのはチカなんだから、そこは許して欲しい。


 いや、チカはもうそんなことも感じないほど僕のことは『どーでもいい』と気にしないかな。

 この1年は恋人らしいことしてなかったし、せめて僕からの意趣返しだと気付いてくれたら良い方か。



 まるで夜逃げの様な旅立ちがちょっぴり情けないけど、明日からの新生活は僕にとって希望でしかない。


 大好きだった恋人に浮気された惨めな『坂本タイチ』はスマホと一緒に今日でさようなら。

 そして明日から、新天地で新大学生として将来の夢に向かって希望を抱いた新生『坂本タイチ』が誕生する。



 チカの浮気を知り、悩み苦しんだ日々の中で『この土地を離れて、県外の大学へ行く』という目標を掲げ、この目標を目指してずっと耐えて来た。この目標があったからこそ、歯を食いしばって頑張ることが出来た。

 

 チカは勿論のこと、クラスメイトや剣道部の仲間たちにすら本命の志望大を隠して、家で一人我武者羅に勉強してきた。

 共通テストの日も前期試験の日も誰か知り合いに会ったりしないか警戒して、伊達メガネにマスクのフル装備で受験したし、フェイクで受験した私大の時と違って、本命の合格発表の日は本当にゲボ吐きそうなほど緊張したけど、無事合格者リストに自分の受験番号を見つけた時は、ようやく『この地獄から解放される』と少しだけ泣いた。



 そして遂に今日、元カノだけでなく友人や部活の仲間を捨てて、僕は無事に門出を迎えることが出来た。





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