みちのり
おじさん(物書きの)
遠く流れ行く時間
——私も老いたな……。
彼は口端を吊り上げ、自嘲気味に笑みを溢した。若い頃は一息で駆け上がったものだが……と、彼は自分が歩いて来た道を振り返り、さほど急でもない坂に老いを感じていた。
思うように身体が動かなくなったのは何時からであろうか。慣れ親しんだ地を離れ、行動範囲が狭まった頃からか……否、それ以前だろう。——そう、子が出来、走り回る事を止めてから……。
無意識に自動車を避け、彼は衰ろえた耳を澄まし、複数の甲高い声が近付いて来るのを感情的に聴いた。
——来た道からか…。
彼は子どもというものが嫌いであった。若い頃に苦い経験をしているからなのだが、その鮮明なる記憶が彼の脳裏に蘇ると、先まで重かった足は力強く大地を踏み締め、肩で風を切る勢いであったが、さりとて彼の心は老いて弱気に。子ども達の目の届かぬ路地へと身を潜ませた。
彼はこのまま休みを取ろうかと思案したものの、自由の利かない身体とは裏腹に、思い出の地にやって来たという思いが彼の身体を突き動かす。子ども達の気配が完全になくなったと見るや、彼は蹶然と立ち上がり、記憶通りの街並みを求めて歩き始めた。
この路地を曲がれば……彼のその想いは記憶との食い違いで儚くも消えてしまう。
——道を間違えたか。…否、街が変わってしまったのか。昔はただの空き地であったのに。このような温か味のない建物になってしまうとは…。見れば八百屋も…それによく遊んでもらったおばさんの家もなくなってしまった。元気にしているだろうか。
複雑な心境でマンションを横切ろうとする彼を、ゴミを捨てに出てきた住人が、まるで彼がこれからゴミを漁るのではないか…というような目で怪訝見た。
彼は出来るだけ早足で通り過ぎねばならなかったし、こうして変わり行く街に居ると、彼は自らを招かざる客なのだと感じ、早く目的を果たそうと早足になり、近道になればと公園を抜けて、記憶を頼りに少し行くと、彼の胸が高鳴った。
——ここだ。
庭を覗き込んだ彼の眼に、生まれたばかりの子犬が映る。その子犬は彼の事を見付けると、今にも転がりそうな勢いで彼の許に寄って行く。母犬は心配そうな素振りも見せず、ただ微笑んでいるようだった。
『ほらほら、外はまだ危ないから戻っておいで——ん、ああ。かぁちゃん! ちょっとこっちおいでよ、そんなのいいから。ほら、こいつ。憶えてるだろ、忠吉だよ。おみ姫の親犬。孫の顔を見に隣町から一人で来たんだよ、きっと。元気だったか忠吉、遠かったろ、ろくに走れないのに。ほら萬吉、お前の爺さんだぞ』
みちのり おじさん(物書きの) @odisan_k_k
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