第17話 甲賀隼人

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 腕を強く握りしめられたまま、真帆は声を出す。

「隼人!!」

「おい?どうした?」

 黒縁眼鏡越しに目が大きく見開いて真帆を見ている。それから廊下に倒れそうになった真帆を腕ごと引き寄せると、もう一度言った。

「おまえ、大丈夫か?いきなり飛び出してきて」

 真帆は引き寄せられた甲賀の手を腕から離すとややふらついたまま、渡り廊下の手すりに寄りかかり後ろを見た。それを見て何かを感じたのか甲賀が同じように真帆の後ろを見る。

「何だ?何か後ろにあんのか?」

「…後ろ、ねぇ誰か来てない?」

「はぁ、後ろ?」

 言ってから甲賀は真帆が現れた扉を開けて覗いてみたが、静かな廊下が見せるだけで、特に何も見当たらなかった。顔を戻して真帆に言う。

「…特に、何もぇようだけど」

「…そう、なら…いいけど」

 天鵞絨のファイルを胸に押し当てたまま息を整え真帆は甲賀に答える。

「…何だ、一体。何かあったのか?」

 甲賀が真帆に言う。

(言える話かな…)

 真帆ですら疑問が湧く。


 何せ、あまりにも唐突すぎるのだ。

 なんせ狐の白面を被り、赤の更紗を巻いている人物が現れ、それがいきなりこの天鵞絨のファイルは自分の物だから返せ――と言ってきた。

 もし何かの劇とかであればこの真帆の様な状況を説明し得るシナリオとして理解してもらうことは可能かもしれないが、しかし現実の世界としてそれを現実リアルとしてあり得る話しだと理解出来得る人物なぞ、居るだろうか。


 真帆は唾を飲みこむ。

(…いや、一人居る)

 真帆はだからこそ本能的に走りだしたのだ。

 甲賀はそんな真帆の様子を見ていたが、どこか腑に落ちない様子で見ている。

「…九名鎮、お前変な奴と会ったのか、学校で」

 それには正直に首を縦に振った。

「どこで?」

 僅かに強い語調になる。

「…上の渡り廊下」

 それを聞くや、「待ってろ」と言葉を残し、甲賀は走り出した。

 俊敏な動きで走りだし、駆け戻って来ると真帆は同じ場所で同じように大きく息をしていた。物の数秒と言う時間ぐらいだろうか、甲賀は直ぐに真帆の所に戻って来たのだ。

「…誰も、居なかった」

 それを聞くと真帆は頷いた。頷くとゆっくりと渡り廊下を歩き始めた。

 すると甲賀が真帆に声を掛けた。

「九名鎮、ちょっと待て」

 それに真帆が振り返る。

「何?隼人」

「何か取り込み中で悪いんだが…」

 自分を甲賀が見ている。短く刈られた髪がワックスで見事に整えられ、黒縁眼鏡越しの目が細く優しい。

 彼自身、知的な学生と言われても仕方がない。何故なら彼は芸能全般の学科が多い堀川学園の中では異色の国際ビジネス学科の学生なのだ。

 その学科の進路は海外の大学へ進んでゆくいわば海外大学への進学組なのだ。

 その甲賀と真帆は高校二年の時、夏の林間学校で同じ活動グループになったことがきっかけで彼の事を下の名で呼ぶほど仲良くなった。聞けば彼は高校一年の時に上海から堀川学園に転校してきた帰国組で、再び海外の大学へ進学を希望して学園に転校して来た。

 ただ、彼について真帆が知っているのはそれだけではない。さらに驚くことだが、彼は甲賀エレクトロニクスという電子企業の御曹司で、真帆の理解するところで分かり易く言えば、――かなりのお金持ちだという事だ。

 この事については恐らく学園の誰もが噂で知っている既成的事実である。

 つまり海外進出志望組のお金持ちさん的知的学生が真帆の甲賀隼人の人物像である。

 その彼が自分を呼んで振り返らせ、何か不思議に何事かを口元でまごつかせている。

(――何よ?一体?)

 先程迄の俊敏さとはうって変わったような彼の様子に真帆はいらだつように言った。

「何よ、隼人。ちょっとウチ、行くとこあんねん」

 それを聞いても甲賀は何かを言おうか言わまいか態度がはっきりしないので真帆はぷいと振り返ると歩き出そうとした。

(先、行くわ)

「…待てよ、君」

 その言葉に思わず、真帆は振り返った。

(何よ、さっきの加藤あいつみたいに)

「いや、九名鎮。ほら、頼んだだろ?西条未希さいじょうみきの事、覚えてるかい?」


(――西条未希?演劇科の?)



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