第8話 ランニングシャツに短パンを履いたいがぐり坊主

「はい、私のことはロゼと呼んでもらえたらっ! ……いえ、なんでもないです」


 エルマのナイスパスにより、思わず声を弾ませてしまうロゼだったが、義姉から厳しい指導を思い出し、語尾をすぼめていく。

 期待した分だけあとで辛い思いをするのだ。


『伏し目アンパサンド頬染めの甘いコンビネーションッ!!』『呼べッ! その名を!!』『フォオオオオ! イッツァブーテホォー!! フゥゥウウ!!』『呼ぶぜ! 頑張れ俺ッ!』『ヘイヘーイッ!』


 そんなロゼの重たい思考はつゆ知らず、デンパはほぼ初対面の異性を呼び捨てにするというハードルを超えるために、心のアクセルを全開に踏みつける。


 さあデンパ、駆け抜けろッ! フルスロットルゥゥウウ!!


「で、では――――ロゼ……ちゃん」


 アクセル踏みすぎて、車体突き抜けて地面に足を刺したような止まり方。

 ヘタレに呼び捨ては無理だった。


 デンパは固まった表情筋をなんとか動かし、小さく誤魔化しの笑みを浮かべた。


「あうぅ」


 免疫のないロゼには刺さるスマイルではあるが――


『――……なんかアルカイックスマイルがむしろ怖いんだけど。あのさぁ、ロゼちゃんのリクエストは呼、び、捨、て、なんだけどぉ? へいへーい、ユー! さっさと呼び捨てしちゃいなよぉ――』


 エルマには刺さらない。さっさと呼べとデンパを追い込んでいく。


「……う、むむ」


『――ロゼちゃんを呼び捨てに、しろーーー! ロゼちゃんを呼び捨てにしろーーー!――』


 画面内には、労働者の格好で複数に分身したエルマたちが『ちゃん呼び反対ッ!』『ヘタレッ』『電力供給ッ!』『丁寧に扱え!』などのプラカードを持って抗議しているアニメーションが流れている。


『――@ロゼ:ほら、君も手伝ってよ。じゃないとボクが壊されちゃうよぉ――』


 ロゼだけ届くエルマの声。ロゼは小さく息を吸い、


「……デンパ様、どうかロゼと。……ダメ、ですか?」


 最悪『そこの』『おい』『平民』と、命の恩人にどう呼ばれてもかまわない。

 それでも自ら選択肢を狭めることはないだろうと、ロゼはおずおずとデンパを見た。


「ぐっはぁ!? ……わ、わかった! えっと、ロゼ、よ、よろしくな!」


『――はぁ〜ホント手が焼けるなぁ。……まあ、マスターにしては頑張ったほうだよねぇ。あとは慣れだからさ。そんでボクのこともロゼちゃんよろしくねぇ~――』


「はい! あらためてですけどよろし――」


 ――きゅうぅぅるるる。


「――くお願いします……」


 挨拶の途中で、お腹の虫が盛大になったせいで、ロゼの言葉は尻すぼみになった。


「……じゃあ、手袋してっと」


『――あ、マスター。ほら、そこの地面に食べられる根っこが埋まってるよぉ――』


 デンパとエルマの優しさが心に沁みるロゼだった。


 なお、収穫した大地の恵みを生食でいくのは二度としないと、悶絶しながら二人が密かに誓うのは数分後のこと。


◆◆◆


「――あ! この大きな木、見覚えがあります! あ、ほら、あそこに見えるのがセガイコの町です!」


 遠くに見える石壁を指さしながら、ロゼは振り返る。


 無事に森を抜けることができた安堵からか、自然と笑みがこぼれる。


「……ああ! エルマよ、女神はここにいた!」


 木々の隙間から差し込む光が淡藤色を鮮やかに照らし、デンパは彼女の姿を神に讃えた。


『――あーうん、そだねぇ……ふう――』


「なんだ、ノリが悪いぞ。なあロゼ?」


『――そりゃねぇ、二人が昼休憩のあと、お腹をおさえながら草むらに消えてまた戻るまで、ボクはずっっっとマスターたちの装備一式を作ってたんだよぉ。結構疲れるんだからぁ――』


 自我を持ったゆえに、スマホのAIだって疲れるのだ。


 さらには移動中、次第に打ち解けてきたデンパとロゼのキャッキャウフフな付き合い始めの男女的な空気を出し始められた日には、スマホのAIだって砂糖を吐くのだ。


「…………そんなことは、ねえ?」


「な、ないですよ。ねえ?」


 思春期直前の男女の打ち解け方。


 例えば『ひゅー、お前ら仲良し熱々ー! アッツアツ! アッツアツ!』とランニングシャツに短パンを履いたいがぐり坊主が現れ、二人をからかったとする。


 きっとデンパは照れてこう答えるだろう。


『ち、ちがうし! べつに仲良くねーし! あっち行けよ、ぶ、ぶーすぶーすっ!!』


 無表情のデンパから殺傷力の高い言葉を、ノーガードでロゼが受ければ一発でノックアウトである。

 これから先、デンパの心の声さえ届くことはないだろう。


 そういうわけで、下手にからかうことも出来ず、じれじれとした距離感にエルマはストレスを溜めている。


 もちろん、デンパのギフト【電磁界】を使った自重知らずの衣服や装備を作ったせいで、疲れていることもイライラの一因である。


『――もーいいけどぉ! ……ホントにソレ作るの大変だったんだからねぇ――』


 ソレとは、デンパの着るコートと、ロゼのローブと衣服のことである。


 デンパの装備は、黒を基調としたいわゆるチェスターフィールドコートにフードがついたもの。

 袖を通せば膝丈まである長めのもので、彼の白ワイシャツに黒スキニーと非常にマッチしたものとなっている。


 採取で使っていた大鎌は、3つの口金――柄込えごみと刃を接合する部分からアーマーベアの長い爪が上から大、中、小の長さで鋭く伸びており、黒いコートとあいまって両手に持つ姿は死神にしか見えないだろうが、都会っ子のデンパが片手で振り回せるほど軽い。


 ロゼの装備は、モスグリーンのフード付きローブとピンクベージュのワンピースを作り出した。


 おなじみの万能素材になってしまったアーマーベア生地と、ロゼが着ていた所々が破れて血と汗の染み付いた衣服、さらにはその辺に落ちている葉っぱを使い、色んな電磁波を調整し、エルマがとっても頑張った傑作である。


 これから『俺、何かやっちゃいました?』を何度も良いそうなデンパ、デンパの考察では命を狙われている可能性があるロゼ。

 ここはやはり定番の隠密効果の付いた装備を作っておきたい。作らざるを得なかった。


 具体的な説明をするならば、各種素材を極薄の総屈折分散型素材に変換し、表面波で光を遮蔽する生地を作る。

 さらに電磁波を恒常的に拡散し続ける生地を縫製し、全体として負の屈折率を持つ構造体と、電磁波を極細部まで繊細に制御する技術を詰め込んだ……うん、まあとにかく凄い技術がふんだんに使われた装備だと伝えたい。


「思い出そうとすると頭が痛くなるレベルの難易度で、エルマが俺たちが目立たないコートとローブを作ってくれたことはわかる。とても超感謝してる」


「ごめんなさい、袖を通すのも恐れ多い神の衣服をいただいたことは理解しているのですが……」


 表情や声色からは伝わらないデンパの言葉と、申し訳なさが過分に詰まったロゼの言葉。


『――うーん、まあそうだよねぇ……。それじゃあ、次の議題に移りまーす――』


 いつの間にか会議が始まっていた。


「次の議題?」


『――うん、どうやってマスターが町に入るかなんだよねぇ――』


「普通に入ればいいのでは?」


 何いってんだコイツとデンパが首を捻る。


「……あ!」


 ロゼは気づく。

 このデンパの電波がダダ漏れであることに。

 それはエルマお手製の隠密効果のあるコートであっても、隠せない可能性があることを。


「デンパ様の存在を隠して町に入る……。そんなこと出来るのでしょうか」


「いやそんなに目立つ顔じゃないし、隠密効果あるから。たしかにあの赤茶けた屋根を目にして、異世界感にわくわくしている自分もいるけど、さすがに大声を出すほどのことではないぞ」


 デンパとしては当たり前の返し。

 ロゼという異世界美少女で大興奮しすぎて、中世ヨーロッパ風な町並みを見ても感動が薄い。


「……えっ、はい、それはそう……です。でも、その、デンパ様……実はデンパ様のお心の――」

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