1-3. 『罠師』、ダンジョンの罠を攻略する。
「罠発動」
一面に広がる荒野の中、ケンは太陽の位置を確認する。太陽はほぼ大地に姿を潜めており、空と荒野、そして、待っている途中で彼に群がってきた虫の死がいを真っ赤に染めあげている。
「やっぱり出てこなかったか……。余計なものはたくさん出てきたのにね」
虫はケンの身長を裕に超える大きさのムカデだった。そのムカデの化け物たちは既に全身をバラバラにされて転がっている。
「虫は虫だが、これは魔物の一種なのか。……センティプエーデ? 少し懐かしさを覚えるね。この世界は人語があれに近いな」
ケンはムカデの化け物の肉塊をジッと凝視した後に、ムカデの化け物の情報をまるで資料を渡されたかのように呟いていく。異世界でも言語は大きく変わることがない。正確には、数百数千とある基本言語セットの中から各異世界で時間の経過や言語を介する種族の中で変容していく。
異世界の神とてすべてを一柱でゼロから創り上げることはできないということだろう。
では、その基本言語セットを用意したものは誰か。神の上でもいるというのだろうか。このケンはそれを理解しているのか、分かったような口ぶりで一人ごちる。
「さて、感傷に浸るのはここまでだ」
ケンは野盗たちを解放してから開くことのなかった魔法仕掛けの大岩を見つめる。元より彼はまったく期待をしていなかった。そして、中に居る捕われ?の身が仲間であることを確信した。
「さすがにもう大丈夫かな。何人かを見殺しにした可能性もあるけど、野盗なんだから命の保証は必要ないよね。元よりそういう生き方を選んだ人種のはずだ」
頃合いなのだろう。ケンは、魔法仕掛けの大岩を見つめながら、その岩の前に足を運ぶ。その後、彼は手を大岩に当てて、「罠解除」とだけ呟く。大岩は、ゴゴゴゴ……という重いものを引きずる音を出しながら、ケンを迎え入れるように独りでに端へ動いて、やがて彼の視界からすべて消えた。
「……うーん。これは、野盗の仕掛けにしてはよくでき過ぎているね」
そして、ケンが穴の前に立った瞬間、穴の中から野盗たちを送り出す前と同じ匂いが、先ほどより強めになって彼の横を通り過ぎる。
「まったく、仕方ないなあ……」
ケンはそうして歩みを進める。黄土色の洞窟の中は仄暗い。やがて、ケンは「ライト」と呟いて、浮遊しながら発光する球を3つほど魔法で生み出した。まだ多少の暗さはあるものの、ケンは夜目が利くのか、地形をしっかりと確認できているようで足運びに迷いがない。
「ん。これは、罠解除」
入り口から数十歩というあたりで、ケンは何かを見つけて「罠解除」と呟いた。その後、彼は洞窟の壁に視線を這わせて、何かを見つけた。
「矢か。先端を見る限り、何か塗られているね。毒かな。どうだろう、麻痺毒かな。推測するに、仲間が間違えた時も考えて、即死は避けたか。心配性というか、仲間思いというか、罠としては三流だけど、嫌いじゃないね」
ケンは手を壁に沿わせながら歩いていく。またしばらく歩くと落とし穴の罠を見つけて解除し、またしばらく歩くと大岩転がしの罠を見つけて解除し、と次々に罠を解除していく。
「罠の数はまずまずだけど、こうも露骨な罠に引っかかることはもうないなあ。自分たちが引っかからないためだろうけど、この程度だとなあ。引っ掛かっても大したことないかも」
ケンの独り言がまた始まる。誰も聞いていない言葉が立て板に水のごとくさらさらと流れていく。
「しかし、ここまで奥に来られてしまったなら、小出しにせずに一旦油断させてからまた罠を配置すればいいと思うのだけれど。単発かつ単調なものばかり、連鎖的な罠も見かけない」
ケンの独り言が洞窟内に響くが、返ってくるのは彼の足音と反響する音くらいである。そして、彼は1つの解に辿り着く。
「あぁ、そうか。あえて、大物の罠を隠すための構成かもしれないのか。最初の大岩は発動さえすれば、特定の道への誘導がよくできているようだから、それはありうるか。だとすると、まだまだ油断はできないね。しかし、それでも、つまらないものだね」
ケンは罠の質に対して実に不満げで言葉が次々に形として表れていく。その様子はまるで好きではない玩具を与えられた子供のようだ。
ついにケンは、大した苦労もなく道をしばらく歩いて「罠解除」を数十回呟いた結果、今までとはまったく異なる雰囲気の部屋の前に辿り着く。
「……おっと。これは中々期待できるかもしれない」
その部屋はまだ部屋に侵入していないケンの気配に気付いたのか、魔法仕掛けの灯火で部屋全体を明るく照らす。
照らされた部屋は洞窟内にあるとは思えないほど広く、形状がドーム状になっていることもあり、闘技場のような雰囲気を醸し出している。
そして、その部屋の色は先ほどまでの黄土色とは異なり、光沢のある陶器のような白色をしている。
ケンは、入り口付近に罠がないことを確認してから、入り口手前に足を残したままに部屋の壁の端を手ですっと触る。すると、彼には手袋の上からでも滑らかな造りであることが分かった。
「いくらなんでも広すぎるだろう。うーん。それに、これは、魔法反射魔法による鏡面構造かな? わざわざ人の手で作るには手間がかかるし、ここまでのものだと、当たり前だけど、自然のものでもない」
ケンは1つ大きなため息を吐いた。彼の表情は理解に苦しむと言わんばかりの歪み方をしていた。
「ただのダンジョンってこともないな。この世界の神が戯れに作ったものか、もしくは、魔王の趣味か。しかし、野盗のアジトだというなら、神の戯れだろうなあ。適当に作るから悪用されてしまうのだけれど……。何かしらの目的があるのか」
そして、部屋の真ん中には、翼を持つ悪魔を模した石像、ガーゴイルが鎮座している。部屋の白さと対照的な黒色寄りの灰色をしたガーゴイルは、多少の魔力を帯びているようで、ケンが試しに足先だけを部屋に入れてみると、鳥のような甲高い鳴き声をあげた。
「……ギギッ……キェエエエエエエエエエンッ!!」
そして、ケンが足をすぐさま部屋外に戻すと、ガーゴイルは動きをピタリと止めて所定の位置で再び鎮座している。どうやらガーゴイルは、部屋の侵入者に対して襲い掛かってくる仕組みのようだ。
「魔法の大岩といい、この部屋といい、野盗たちは上手く利用できているようだね。ガーゴイルと言えば、何かを守るための罠だけど、この場合は扉かな。侵入者が部屋外にいると追跡をキャンセルするということは、よほど扉の警護が大事なようだね」
ケンが部屋を見回しても、この罠を上手く利用するための犠牲の果てが端の方に見えるが、ガーゴイルが守る宝のようなものはない。つまり、このガーゴイルは奥に見える扉の番をしているということになる。この場合、奥の部屋は重要な部屋である可能性が高く、ケンが歩き回った時間を考えると、最奥である可能性が高い。
「今までの罠とは違うからね。少しだけ慎重になってみようかな」
ケンは部屋を見渡し、その細部まで目に焼き付けた。部屋外の床には野盗のメモのような跡がある。それは、この罠が一筋縄ではいかないことの証明でもあり、初見殺しを回避させてしまうヒントにもなる。
やがて、ケンは「なるほど」と呟き、「ひぃ、ふぅ、みぃ、……」といくつかの指を折り曲げる。
「……面白い罠だ。さて、この罠はほぼ理解した。多重に罠を張り巡らせているようだけど、練度の高い『罠師』にかかれば他愛ないね。……今さら急ぐ必要もないし、少し遊ばせてもらおうかな」
ケンは嬉しそうにしている。少し遊び心が出てしまっているようだ。
「……ギギッ……キェエエエエエエエエエンッ!!」
ケンが初めて部屋の中に入る。ガーゴイルは再びけたたましい鳴き声をあげながら、身体以上に長すぎる腕か前足かという部位とその部位の3倍はあるだろう大きい翼を激しく動かして浮き始めようとしている。
「遅い」
ケンは次の瞬間にガーゴイルの目の前に現れていた。ガーゴイルは侵入者の動きに戸惑い、咄嗟に出した右腕を彼にいとも容易く躱されてしまう。ガーゴイルは次に左腕を彼に向けようとしていたが、その頃には彼の姿がそこにいなくなっている。
「キェッ?!」
「だから、遅いよ?」
ケンはあっという間にガーゴイルを抜き去り、ガーゴイルが振り向き終わる頃には扉のほぼ目の前に迫る。彼の足の速さは尋常ではなく、ガーゴイルがその衝撃波のようなものですぐに行動できなかった。
「さて、と」
ケンが扉に手を掛けるふりをして、すぐさま手を引っ込める。そして、扉の前から1mほど後ろに遠ざかった。いつの間にか、扉横の左右の壁からガーゴイルの腕が飛び出している。その腕たちが彼を捕まえ損ねたことに気付いてか、2体の新たなガーゴイルが壁から出てきた。
「お次はここかな」
「キエェェェェェッ!」
「キエェェェェェッ!」
「キエェェェェェッ!」
ケンは、前後3体のガーゴイルの攻撃を易々と躱しながら、再び最初のガーゴイルがいた場所までガーゴイルを誘導する。そして、彼は3体のガーゴイルを中央付近に集めると「罠発動」と呟いた。
次の瞬間、野盗を縛り上げたロープよりも細いロープが空中から突如現れて、ガーゴイルを一纏めに縛り上げた。細いロープは魔力を帯びているようだが、ガーゴイル3体を縛り続けられるだけの耐久力はなかったようで、すぐに引き千切られてしまう。
「ケケッ」
「キェッ」
「アイスアロー! そして、罠発動」
ケンの右手から氷柱たちが高速で射出され、ガーゴイルたちに向かっていく。しかし、氷柱が何かに弾かれたようにガーゴイルたちの手前で逸れてしまう。
氷柱と同時にケンが罠で発動したものは、とてもとても小さな火だった。その小さな火たちが千切れた無数の細いロープの至る所から出始めた。その小さな火は数こそ無数にあるが、1つ1つがマッチの火程度でしかない。
「キャッ、キャッ」
「ギャ」
「ガッ」
ガーゴイルたちにもさまざまな感情があるようで、ガーゴイルたちは思わずその小さな火に笑い始めた。これで我らを焼き殺すつもりか、それとも笑い殺すつもりか、とでも言っているかのようだ。次に、ガーゴイルたちは突っ立っている男を目掛けて両腕を突き出した。
しかし、透明な何かに腕を弾かれてしまった。
「キェッ? キキィエエエッ!!」
ガーゴイルたちは幾度となく透明な何かを壊そうとするが、まったく壊れる気配がない。さらには、空を飛ぼうにも透明な何かが上もすっぽりと塞いでいるようで身動きがほぼ取れなくなっている。
ガーゴイルたちのけたたましい鳴き声が透明な何かの中を空しく響く。
「それは対魔法用バリアだよ。ただ、僕が出したものじゃない。これは元々、最初のガーゴイルを守るための部屋の罠の一部だったのさ。侵入される前に強力な魔法攻撃で壊されてしまっては番人の意味がないからね」
ケンは転がっている石ころをガーゴイルに投げつける。すると透明な何かをすり抜けて、ガーゴイルの頭部にコツンとぶつかる。ガーゴイルたちは不思議そうに石ころを見つめた。
「ただし、バリアだって不都合はある。発動してしまうと、外側からも内側からも魔力の帯びたものは行き来ができない。もちろん、君たちも、ね」
ケンはガーゴイルたちを話し相手に見立てて、解説を始めている。一方のガーゴイルたちは、自分たちが出られないために話どころではなく、対魔法用バリアを激しく叩いている。
「そこで僕の罠の出番だよ。その細いローブは僕の魔力を帯びており、そこから出ている火も微量ながら魔法成分を含んでいる。散り散りに引き千切られたロープのいずれかの破片の火がバリア発動の位置に触れていれば、それで完了ってわけだよ」
結局、ケンの話は独り言のようなものだった。ガーゴイルたちはケンが言っていることを理解したのか、魔法を帯びた火を消そうとするも1つも消すことができない。
「試しに撃ってみたアイスアロー、そのほか、たとえばファイアボールのような移動してしまう魔法攻撃ならバリアもそれを反らすだけだから一瞬の発動だけど、その火は動かずにただただ留まり続けるから、火が消えるまでバリアも消えないのさ」
ガーゴイルたちは半ば諦めたようで、火が消えるのを待つことにしたようだ。そして、おそらく、彼を帰りに待ち受けることにしたのだろう。知能を感じさせる賢い選択である。
「他人の罠をただ解除するだけではなく、自分の罠の一部に組み込み、敵の予想外の展開に繋げていく。罠師としての面白みの1つだよね。仕上げに魔力を帯びたロープをバリアの発動条件になっている火種に継ぎ足せばっと、これで数時間ほど出られないのじゃないかな」
ケンは悠々と扉の方へ向かう。彼は、帰りに別の手を考えてみるか、と嬉しそうに笑みを浮かべた。
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