第102話 弱者の抵抗/限られた選択(12)

 神秘が解けたデヒテラには、


 ただ一人の少女こども。この災いの森において、いずれ捕食され、消える命。ありふれた原罪ひとつに過ぎない。


 


 。節くれ立った硬い樹皮を裂いて、朱いまなこがとろりと開いた木立の中。


 気を失ったままの義弟ルグ、――膝の上に乗せていた彼の頭を撫でてから、そっと地面に寝かせる。


 決意も、覚悟も、きっと幻想かつての少年に満たないまま、――されど、少女デヒテラは、立ち上がって、歩みを始める。


 萎えた足を動かす。一歩ずつ。まるでみたいな前進だ。一歩ずつ。恐れに止まりそうになる足を動かす。一歩ずつ。


 歩みは遅々と、震えている。


 目指す処刑台ばしょをさえぎる樹木はない。きっと誘われている。


 ろと這うように。ひゅうひゅうと吐息は細く。かちかちと歯が鳴る。流れる汗はとめどなく、頭の芯は熱いのに、身体は末端まで凍えている。


 一歩、また一歩。呪われたように。ほんとうは止まりたいのに、止まれない。


 そうだ、きっと


 ぜんぶ、あんな幻想ゆめを見たせいだ。


 あんな、――ずっと、ずっと。


 彼は、止まらなかった。力強くはなかったかもしれない。けれど、止まることなく、歩み続けて、――最後の罪を選択したは、こんなものではなかったはずだから。


 少しだけ、笑ってしまう。少女の短い生涯の中、いちばん大嫌いな人の幻想かつてに導かれるなんて。


 この絶望を抜け出す方法は、


 賭けだった。けれど、


 子どもわたしには、そのがあり、猟犬あなたには、そのがある。


 かつて、猟犬あなたは、最も嫌悪した悪性だれかに賭けて、あの災いに挑んだ。


 ならば、少女わたしも、最も嫌悪した悪性あなたに賭けて、この災いに出口おわりを求めましょう。


 デヒテラという少女は、この災いの中、喪われる他ない無力な生贄こどもに過ぎない。


 だから、――被害者が加害者に為すべきことは、ひとつだけ。


 見晴るかす霊樹。悪性いえにえ臓腑はらわたを尖ったゆびで突き刺し、えぐって、裂いて、……数多ある朱い瞳を穏やかに細めた擬神かみ


 そして、犠牲者から復讐され続ける悪性あなた


 



 そのひとは、もう充分、長く苦しんだ。だから、お願いします。


 。そのひとを」


 


 力無き少女ものがこの世界において、与えることのできるたった一つのだ。


 ふる記憶はなし。母から聞いた子守唄おしえ。きっと、こんな信仰こたえがあったから。


 “蒼穹そらは、善人よきにも悪人あしきにも太陽ひかりを与えてくださる”


 “どんな正義ただしさにも不義あやまちにも雨粒めぐみを降らせてくださる”


 “だから、子らあなたも、――”

 

 “ひとを愛し、けものを憎むのではない”


 “


 “善悪あまねくに”


 それは、子どもに向けた、――きっと子どもすら騙せない、遠い遠い未来どこかの物語。


 罪へのゆるしなど、この王国せかいにおいては、遥か彼方。果てなき彼岸に存する託宣たくせんだ。旧神いにしえの楽園においてすら、そうだったろう。


 未踏の定理こたえ。人にも、王にも、旧神にも到達し得ない解法ことわりだ。


 罪を犯した人間けものに必要なのは、いたみである。痛みによって醒めることで、人間ひとは、原初けものから峻別される。


 ゆえにこそ、ふるきの神世じだい返報しかえしは、確固たる摂理システムとして創造された。


 犬へのしつけとなんら変わりない。わからないのなら、棒で打ち据えれば良い。なおも理解しない不出来な罪人けだものすれば良い。


 この極めて効率的な原初の復讐ことわりを前にして――などという異なる信仰おしえ、割り込む隙間は存在しない。


 少女あなたは知らない。擬神わたしは知っている。彼の罪過かくごを。悪性あやまちを。


 犠牲者のも識らぬまま、だなどと罰当たりも甚だしい。いのちを失い、残骸ごみと棄てられた弱者もの。その怨嗟おもいですらも否定するとのたまうなら。


 そんな罪人もの、――犠牲者ひとびとから石礫つぶてを投げられても仕方ないだろう。


 余計なことを言わなければ良かったのに。


 だから、――犠牲者みんな怨嗟ねがい。返報の理を駆動する因果いと総軍あまねく。確固として個体こども標的にえ


 罪人への罰という、痛み無き穏やかな癒しから醒めて、……災いの霊樹は、とうとう異なる原罪いのち枝葉を伸ばす。


 神殿の柱にも似た、そびえ立つ樹身が重く鳴動した。ぐにゃりと滑らかに樹冠こうべを垂れて接地する。


 と地を揺する莫大な質量。取り囲む霊樹の胴体みき、たったひとつの矮小こどもへと、あまた巻きついていく。


 さながら巨大な蛇怪くちなわだ。蜷局とぐろを巻く樹幹の檻。選ばれた刑罰おわりは、圧壊にして研磨。


 終わりに至る最中、荒々しい樹皮にのように削られる痛苦は、きっと想像を絶するものとなる。


 逃げ場など、どこにもない。抵抗など無意味だ。助けを呼ぶことすらできない。


 ゆっくりと時間をかけて、運命が閉じられるそのときまで、――少女は、けして目を逸らさず、震えながら、両手を組み、悪性あなた


 “たとえ、この結果おわりに辿り着いたのが、あなたのせいだとしても”


 “わたしは、あなたを


 


 少女の決意ゆるし覚悟いのりを前にして。


 擬神かみは、――


 かつて、罪過かくごひとつで擬神かみを止めたから、――、すべてをなげうった彼に対する


 塗り潰された希望くらがりの中、が疾駆した。


 縦横にして無尽。円転にして自在。石火にして迅雷。


 引き裂く。千切る。散逸ばらばらにして、葬り去る白夜の瞬き。


 神秘に鎧われた樹皮かわをえぐり、樹身にくをおかし、幾重にも層を成した年輪ほねを裂いて、


 の土煙と轟きは、喝采のように。解体され、時の波紋が刻まれた、なまじろい断面なかみを晒す。裂かれていく擬神かみ樹身からだ。少女を閉じ込めた途絶おわりの孤牢が千切れ飛ぶ。


 千年を越えた復讐劇ねがい旧い神話おとぎばなし裂傷いたみが刻まれる。


 。位階を違えた“絶対”を覆す異常事態。いったい如何なる因果いとで発生したか。


 


 奇跡ならあってしかるべき因果もの、――騎士いま光輝かがやきも、神々ふるき荘厳とうとさも、未踏いたらず慈悲やさしさでさえも砂粒ひとつ含まない。


 隔絶し、外れてしまった奈落。基底そこでなお陰る呪詛のろいより来る産物もの


 四肢をがれ、皮を剥がれ、舌すら抜かれた、苦悶するだけの罪人。


 皮下ですら、はっきりとわかる引きれた烙印が刻まれた背中。肩甲骨のあたりから、長く、とても長い


 肉が削ぎ落された標本。つるりと真白い骨組織。細くて、しなやかで、なのに、ひどくまがしい人非人ひとでなしたる器官もの


 薄い肉を突き破って伸びた二対の。爬虫類の尾じみた数多の関節を備えている。先端はに枝分かれして、鋭い鉤爪状の刃が形成されていた。


 


 悪性ジョンが従える優越バケモノ一体ひとつ


 個体名を


 かのが繰る不条理。ねがいを持たず、いかなるねがいにも変容を果たす可能性かたちなし


 もって仮初めに形成された、――神話かみ否定ごろしの攻勢器官に他ならない。

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