第壹章 新しい朝 7P
*
次の日の朝。まだ日が昇って間もない頃にランディは目が覚めた。早く起きられた理由は今までの習慣というのもあるが、前々日から寝ていたからもう寝ることが出来ないのだ。
「……ぬ、起きた」
妙に気合いが入った声を上げてベッドから出ようとするも一度断念。部屋は寒くて吐く息は白くなる。ベッドを出ることは容易でなかった。しかしこのままでは何も出来ない。数分、布団の中に潜り、身体に温かさを貯め込み、思い切って上体を起こす。肩や体を回して軽く慣らしながら自分の体調を確かめる。頭はスッキリし、体には動かない所もない。もう元通りで沢山、食べて体重を戻すだけ。軍人の身体は実に便利だ。気分も絶好調で何かが吹っ切れた。
「よいしょ」
ランディはブーツを履き、立ち上がると身嗜みを整えようと思った。体臭はないが気持ちが悪い。出来れば、早く体を拭いて髭を剃り、服も変えたい。やることが決まるとランディは毛布に包まりながら部屋の隅に置いてある自分の荷物の方へと向かう。準備をするのだ。ランディは荷物の前に座るなり、がさごぞと中身をあさり始める。そして中から剃刀と石鹸、タオルを一枚、小さな木桶、着替えを出す。
用意が出来たランディは壁に掛けてあった苔色のコートを羽織って扉から踊り場に出た。レザンを起こさないように階段を下りたランディは居間に向かう。一階の廊下は床板が傷んでいるようで上を歩くと軋む音がする。そんな音も出したくないのでソロリ、ソロリと歩く。何に気を使っているのかは分からないがまるで泥棒のように居間の中へと入って行く。居間はほの暗かった。まだ日が昇っていなのだから仕方ない。荷物を置いて水を汲みにランディが木桶を持って裏手の玄関から外に出る。
「ふわぁ―― お」
まだ少し眠くて欠伸が出る。風はなかったが寒かった。実際の所、『Chanter』は本当に田舎で面白みはない。全てが在り来りで都会のように変わったものはなく、至って平凡。ランディ自身、外に出ていなかったので此処に来てからもそういう考えていたのだが。のほほんとしつつ、裏手から通りに回ったランディは目の前に広がる光景を見て思わず立ち尽くした。空が青と金と白で出来ていたからだ。薄暗い町並みに光が広がり始める。日が昇って行くにつれ、町の建物を覆っていた影がなくなっていく。光を反射し、キラキラと光る地面や屋根に薄く積った雪。そう、一日の始まりを見たのだ。
「うわあ、凄いな。これだけ綺麗な朝焼けを見たのは久しぶりだ……」
最近こんな風景を見ることがあまりなかったランディは髪の毛の合間から目を輝かせ、すっかり見入る。王都は大きく、工場や人も多いので空気も酷く淀んでおり、空が汚れてあまり環境がよろしくない。その為、こんな景色は拝めなかった。不覚にも感動したこの景色を心に刻む。ついでに背伸びをしながら深呼吸をして歯が痛くなるような冷たく、キーンとした朝の空気を味わうランディ。何もかも忘れてずっと眺めていたかったけれども生憎、深呼吸をする為に外へ出たのではない。
「はっ! 思い出せ、何か違うだろ」
ランディは自分の目的を思い出し歩きだした。『Pissenlit』は歩ける距離で殆どの物が手に入る。井戸も通りを跨いで少し奥の方にあるため迷うことはない。実を言うとランディは昨日、窓から外を眺めた時に見つけていたので何の疑問もなく、水を汲みに行ったのだ。水を木桶に満たし、目的を果たしたランディは『Pissenlit』の中へ戻っていく。
中に戻るとまず、髭を剃ることにした。大体、十八歳の頃から髭と戦っているランディ。慣れるまでは、何度髭に煮え湯を飲まされたことだろうか。ある時は顔中が血だらけ、またある時は変に剃り残してしまい恥ずかしい思いもした。幾多の敗戦を記したランディだがもう昔のような隙はない。流し台に立つと石鹸を泡立て顔に塗り、持って来た剃刀を手に。剃刀を抜いた。刃渡りは掌の半分ほど。綺麗に磨かれていて鏡のように光を反射する。さっさと邪魔者たちを剃って行くランディ。
「終わった……」
剃り終わったら水を顔にかけタオルで拭う。そして体を拭く為に顔を拭いたタオルを木桶に浸し、絞る。寒い部屋の中だが上の服を脱いで素肌を晒すランディ。良く鍛えられているから体つきはしっかりしている。所々に細かい切り傷があり、腹部には後ろへ抜ける大きな刺し傷があるので痛々しい。服を着ると頼りなさが出るのは線が細いからだろう。絞ったタオルをランディは薄らと鳥肌が立った素肌に当てる。
「うわああああ!」と思わず、情けない声を上げたランディ。しかし、見ている方も嫌な光景なのは間違いない。身体を震わせながら全身を拭き、服を着てようやく一安心した。今はさっぱりして気持ちが良い。濡れた前髪を掻き分ける。髪の下にはある困ったような目、間の抜けた口、垢抜けない雰囲気を残す顔。一時間ほどで怪しい青年ではなくなった。でも今度は頬がこけていることや、格好がまともになったので線が細いのが際立ってしまい、元気な好青年と言うよりも病弱、薄幸な青年だ。
「よし! さっぱりした! でもまだ時間も余っているし、どうしようか……」
容姿が一八〇度様変わりし、目もばっちり覚めたランディは何か仕事はないかと辺りを見渡す。
「寒い、すっごく寒い」
寒くて好い加減、我慢が出来なくなって部屋を暖めようと暖炉に火を入れる。暖炉の前に椅子を持って来て火に当たりながらやるべきことをゆっくり考えた。料理などに使う水の樽は満杯で汲んでくる必要はない。他にも家事はあるがぱっとしたことは思いつかなかった。
「うん……そうだ、朝食を作ろう」
そろそろ、普通の人なら起きる時間だろうからとレザンや自分用に朝食を作ろうと考えるランディ。直ぐ行動と腕をまくり、昨日の洗い物を片づける。冷たい水を根性で乗り切り、その後は朝食の食材探し。他人の家を荒らすのは気が引けるが、別に悪いことをする訳ではないのでランディは罪悪感を一先ずはそこらに投げ置く。うろちょろして探した結果、卵とベーコン、野菜を見つけ出せた。初めに暖炉近くに引っ掛けてあった鍋に半分ほど水を入れ、火にかける。野菜とベーコンを細かく切り、沸いた鍋に入れていく。蓋をして野菜がしんなりするまで煮込む。煮えたら塩、粗挽きの胡椒で味を調え、一品目のスープが完成部屋には優しい匂いがふんわりと広がる。二品目を作ろうかと思い、卵を手に取ろうとした矢先、足音が上から聞こえて来た。足音は階段に移り、段々と居間に近づく。足音を耳に入れつつ、フライパンに油を垂らし、火に掛ける。ランディが料理をしているとレザンが居間へと入って来た。
「おはようございます。レザンさん」
ランディはレザンに元気よく挨拶をした。
眠気が抜けきらない顔をしたレザンが部屋に入って早々、料理をするランディの姿を見て怪訝な顔をするだけで挨拶を返さない。暫しの間、無言の時間が続く。だが直ぐに痺れを切らしたレザンは意を決したようにランディを警戒しながらゆっくりと口を開いた。
「君は誰だ? 確か家には二人しか人間がいない筈……何処から来た」
レザンの顔が怖い。警戒されるのは蛹から蝶のように様変わりしたランディの所為だろう。変わる過程を見なければ誰も信じないくらいの変化なので無理もない。
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