Ⅰ巻 第傪章 『Peacefull Life』 13P
漸く帰れるということもあって顔に疲れの色が見えるもランディは一安心だった。この後も仕事はあるが多分、店員としての仕事や店番だけの筈だ。地面から徐にランディはフルールの家へ視線を向ける。フルールの家はパン屋だ。店名は『Cerisier』。大きくて全体的に丸っこい、柔らかな字体で描かれ木製の色鮮やかな看板。建物自体は大きくない。客足も疎らで大体、忙しい時間帯を捌いた後のよう。
「考えてみれば届け先の忙しい時間帯もリサーチしとかないと。被ると相手も俺も面倒だ」
今、置かれている状況に疑問を抱き、これまた難しいことが頭に浮かんだランディ。そうなると開店時間からかき入れ時期、食品など商品関係から星の数ほどある条件を調べねばなるまい。
これは流石にやろうと思って直ぐに出来ることではない。時間が必要だ。
「まあ、それは後で―――― 考え始めたらきりがない」
考えた結果、直ぐに悲惨な答えが出たのでこれ以上は何も考えず、『Cerisier』へ足を踏み入れた。内装はやはり食品を扱っている店だけあって小奇麗ということばが良く似合う。
雨の日にも関わらず、明るさと温かさが、何より店内にはパンの良い香りが立ち込めていた。中には物が殆どなく、品物は全てカウンターの上にある籠や皿、後ろの商品陳列棚に様々な種類のパンが。その他にもジャムや酢漬けのキャベツが瓶に詰めてあり、品物は豊富。壁には綺麗な人物画、風景画から小さな子どもの落書きのような絵まで様々な絵画が飾ってあった。
店内にはフルールしかいなかった。
どうやら、彼女の両親は奥にいるか、何処かへ出かけているらしい。店番のフルールはカウンターで椅子に座りながらお転婆そうな顔に暇という字を浮かべてだらっと伸びていた。
「いらっしゃいませ。今日のおススメはレーズンと胡桃入りの菓子パンでってあら、ランディ?」
「こんにちは、フルール。それともプランタンさんかな」
来客を知り、挨拶するフルールが想像通りの驚き方をしたので笑いが出たランディ。
「えっ、何? どういうこと?」
不思議そうに首を傾げ、フルールが問うた。
「今日は『Pissenlit』店員、初日ってことさ」と言い、ランディは胸を張る。
「なるほどね。じゃあ、うちへは配達しに来たってことか……でも何か注文したっけ?」
「はいこれ」
「ん、ども!」
「いえいえ、仕事ですし」
ランディはカバンから小さな小包を取り出すとフルールにそのまま手渡す。
「どれどれ、中身はと」
手渡されたフルールは早速、中身を確認し始めた。
「そう言えばフルール、町で変な噂が……」
「今はその話題を出さないで!」
視線を小包へ向けたまま、ひんやりとした声で妙に恐怖心を煽るフルールが話を遮った。
「ごめんなさい……そう言えばもう一つだけ聞きたいんだけど」
遠慮がちにランディがおずおずと手を上げた。
「何?」
刺々しさを残すフルールの返事。
「いやね、ご両親は御在宅かなと」
ランディはカウンターに寄り掛かってフルールに聞いた。
「どうして?」
想像もしなかった質問に驚いたフルールが小包から目を離し、ランディに顔を向ける。
「それがフルールにはとてもお世話になったから御挨拶だけでもしておこうかと」
「別に要らないよ、そういうの。無駄に律義よね、ランディ」
要らん、要らんとフルールが手を振った。
「常識だって」
「……どっちも用事があって外に出てる。帰って来るのは少し遅いかも」
「それならどうしようか」
「ランディ、別に無理しなくても良いの。何だったら私から伝えておけば良いことだし」
フルールは中身を確認した後、小包をカウンターの上に置き、欠伸を一つ。
「うーん」
「ランディ、そんな細かいことは良いからもう少しこの町を楽しみなさいな。仕事やら大人の責任なんかを背負うのも良いけど長く続かないよ?」
だらけるフルールのアドバイスは的確だった。気合いを入れても燃え尽きては仕方がない。
「でも意外とそういう物を背負うのは楽しいよ。逆にあくせく働かない方が苦痛だ」
「別にずっとだらだらしろとは言ってないけど」
フルールは一度、考えるように上を向くと話を続ける。
「買い物をしたり、お酒飲んで騒いだり、趣味を持つなり、昼寝したりのびのびとすべきだわ」
「したいけど、まだ余裕がない」
はあ、と溜息をつくランディ。
「駄目ね。今はそれで良いかもしれないけど年とってから仕事以外、何もないつまらない人間だったってがっかりするのがオチよ」
「そんな先のこと、唐突に言われてもどうしようもないよ!」
挙げ句、フルールにはまだまだ考える必要がない未来までも心配される始末。
「今日はこのくらいで言うのは止めておくけどよーく考えなさいな。わあった?」
ちょいちょいと指を振りながら、フルールはランディを言いくるめる。
「うい……小姑」
「ああ――ん?」
「いっ、いえ何もありませんです、はい。うん―――― そう言えば話が変わるけど、壁に色々な絵が飾ってあるよね……面白い」
地雷を踏み掛けたランディは冷や汗を掻きつつ、突然、目に入った絵に話題を切り替えた。
「本当にいきなり。でも目の付け所は悪くないよ、ランディ」
苦しい話の逸らし方だったが、珍しくフルールはランディを褒めた。
「ふふっ、壁に飾ってあるのはね。全部、あたしが書いたの」
「そうなの? なるほどだからこんな可愛らしい絵から風景画や人物画なんかの本格的な絵まで飾ってあるのか」
納得しながらランディは改めて部屋の中に飾ってある絵画に好奇心が籠った目を一枚、一枚に向けて行く。小さな頃に描いた絵は別としてフルールが描く絵の全ては写実主義的な作品だった。写実主義とはありのままの現実を絵に描き上げる表現だ。題材は田舎の牧歌的風景やどこにでも存在するような日常生活の営み、人物画など今目の前にある物、全てなので多岐に渡る。
昨今、新古典主義やらロマン主義などが叫ばれて過去の伝統や格式に重きをおいたり、はたまた既存の枠組みからの解放や感情の表現などと主義主張や文学、政治に至るまで様々な所で爆発が起きていた。だがこれらとは違って国や個人、昔や未来など関係なく、今そこにある物を大切にするというのが写実主義だ。
つまりは幻想も感情も格式も伝統もなく、日常で息づく者へ焦点を当てて絵筆を走らせること。勿論、フルールはそんな写実主義などという言葉を念頭に入れて絵を描いてはいない。写実主義と言う言葉はあくまでも客観的な評価。レッテルであり、書きたい題材は何時でも何処でも目の前に広がっていて、要するに描きたい時に描きたい物を絵描いただけ。
何か、自分の中に明確なポリシーがあって描いた物では決してなかった。確かにこれと言って凄い裏話はない。ただ、安い褒め言葉かもしれないが絵には命が吹き込まれていた。人物画は人の厚みと血の温かさ、風景画は風が吹いて木々が動き、建築物には時代の重さが感じられると言うように『Chanter』がそのままあった。それなりに良い値段で買い取って貰えるような作品も二、三ある。
「そう、小さい頃から描いているからね」
えへへとフルールが髪を梳きながらはにかむ。
「でもこれだけ上手いと―――― もしかして」
不意にランディの頭の中である言葉が浮かび上がった。
それは。
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