虚弱な私には嫌われ者のあなたが必要なのです

アソビのココロ

第1話

「今日も雨ですね」

「はい、ソフィア様。三日も降り続くと嫌になってしまいますわ」


 王都自邸での何げない私の言葉に、侍女は思ったより感情の入った返答でした。

 ほとんど寝たきりの私には、天気など晴れでも雨でもそう変わらないのです。

 窓の外の明るさが違うだけ。


「お洗濯物が乾かなくて」

「あっ、そうね」


 使用人にとって天気の良し悪しは重要なのでした。

 すぐに思い至らなかったことを反省します。


「ソフィア様、今日は顔色がよろしいようですね」

「ええ。大丈夫よ」

「お食事を運ばせましょうか?」

「今日は食堂まで行くわ」


 体力を付けるためなるべく歩くように、とはお医者様に言われています。

 しかし情けないことに、私が食堂まで歩けるのも身体の調子のいい日だけなのです。

 ニールネス伯爵家という高位の貴族の家に生まれたからこそ生き長らえておりますが、平民だったらとうに天に召されていたと思います。


「おお、ソフィアか」

「おはようございます、お父様、お母様」

「ムリして喋らなくてもいいのよ。さあ、おかけなさい」


 食堂には既にお父様とお母様がいらっしゃいました。

 うちにはもう一人、伯爵家を継ぐべき兄がおりまして、三人とも私のことを大事にしてくれます。

 私なんか何の役にも立たないのに。


「今日のスープは美味いな」

「ソフィアの顔を見られたからですよ」


 私はいつもスープと少しのパンくらいしか食べられません。

 おいしい。

 少しでも私の健康にいいようにと、料理人が栄養価を考えて作ってくれているスープです。


「ソフィアは聞いていたかな? ヘクターが学院の剣術トーナメントで優秀者八人に入ったのだ」

「まあ素敵!」


 ヘクターお兄様は明るく溌剌としている自慢の兄です。

 ソフィアの分の元気までもらってしまってすまない、などと言うこともありますけれど、そんなことありませんのに。


「興奮すると身体に悪いですから、気を静めていらっしゃい」

「はい」


 お母様が最も私のことを気遣ってくれます。

 弱い身体に生んでしまってごめんなさいと言われたこともあります。

 そんなお母様のことは尊敬していますし大好きですが、自分の弱い身体だけは恨めしいです。

 貴族学院にも通えず、嫁ぐこともできないであろうこの身は、本当に役立たずなのですから。


 体の調子のいい時には家庭教師や本で学ぶようにしています。

 知識はかなりのレベルだと褒められることもありました。

 でもそれが有意義に使える場面などないのではないかと考えると、憂鬱になるのです。


 お父様がためらいがちに言います。


「……ソフィアは健康になりたいか?」

「えっ? はい」


 当たり前ではないですか。

 眉を顰めるお父様。


「……おそらく世界一の実力であろう、魔法医がいるのだ。たまたま我が国に立ち寄ったという話を聞き、会うことができた」

「……」


 お父様が沈痛な面持です。

 どうもいいお話ではないようです。


「ソフィアの症状について話した。特に病気ということではないのだが、生まれつき虚弱で体調を崩しやすいのだとな。その魔法医は言った。ソフィアを実際に診てみないとわからないが、治せる可能性は高いと」

「本当ですか!」

「落ち着きなさい。本当だ。しかし……」


 ああ、治療費が超高額なのでしょう。

 私がこれ以上家に迷惑をかけるわけにはいきません。

 残念ながら諦めるしか……。


「首尾よく治せたら、治療費はいらないからソフィアを嫁にくれと言うのだ」

「えっ?」


 これは予想外です。

 何故に?


「すまん! 儂がソフィアの可憐さ儚げな美しさを強調し過ぎたばかりに……」

「それは仕方ないですわ。ソフィアはとっても可愛いですもの」

「ええと?」


 誰にもどうにもできなかった私の身体を治せる?

 素晴らしい実力者だと思います。

 そんな方に望まれるのはむしろ本望なのですけれど。


「その魔法医は嫌なやつなのだ!」

「ええと?」


 温厚なお父様がこう断言するのは珍しいです。


「何というかこう、雰囲気が醜悪なのだ」

「あなたがそう仰るほどですの?」

「ああ。正直ソフィアの身体のことさえなければ、即座に断わっていた話だ」


 お父様が首を振ります。


「ソフィア、どうする?」


 私に選択肢はありません。

 今の私にできることは何もないからです。


「もちろんお会いします」

「わかった。ソフィアがその気なら連れて来る」

「お願いします」


 本当に治るとよろしいのですけれど。


          ◇


 二日後、お父様が魔法医さんを連れて来てくださいました。

 かなりの長身、髪や瞳の色に合わせているのか、全身黒尽くめの格好でいらっしゃいます。

 美しい方だと思いますが、なるほどお父様の仰るとおり、生理的に嫌な感じがいたします。

 どういうことでしょう?


「彼が魔法医ザナドゥだ」

「ソフィア嬢ですね?」

「はい、よろしくお願いいたします。ザナドゥ先生」


 まだお若い方ですのね。

 それなのに世界一の魔法医と言われるほどだなんて。


「確認いたします。ソフィア嬢の身体が丈夫になったら、僕の妻になってもらえるということでよろしかったでしょうか?」

「はい。結構です」

「ありがとうございます! ソフィア嬢のような可愛らしい方がお嫁さんなんて嬉しくて嬉しくて!」

「あのう、私の身体の方はどうでしょうか?」

「えっ? 身体ですか? 父親の伯爵がいらっしゃるところでは言いづらいですけれども、華奢で好みです」

「そうではなくてですね」


 意外と面白い方のようです。

 あ、でもお父様はイライラしているようですね。


「娘の身体を治せと言っているのだ!」

「あ、もう治ってると思いますが」

「「えっ?」」


 ザナドゥ先生何もしてらっしゃらないですよね?


「あっ? 体が軽い?」

「何、本当か?」


 ウソみたい。

 魔法医の治療ってこういうものなの?

 ザナドゥ先生すごい!


「本当に特に悪いところはありませんでした。魔力で身体の活性を高めただけでソフィア嬢は健康になれます。ちょうど僕の得意分野でしたから」

「信じられません……」

「今後いきなり身体の調子を崩す、みたいなことはなくなりますけど、筋力は全く足りておりません。食事と運動で少しずつ改善していきましょう」

「ありがとうございます!」


 尊敬度マックスです。

 それなのに人間的に好きになれないという感じが消えません。

 何故でしょうね?


 あっ、もしや強大な力と引き換えに反動があるのでは?

 そんな事例があると、本で読んだことがあります。

 デメリットを承知してまで効果を追い求めるザナドゥ先生すごい!

 私がお支えしなくては。


「僕は失礼しますね。また明日様子を見に来ます」


          ◇


 ――――――――――数日後。


「あの男、どうなっているんだ?」

「ザナドゥ先生ですか?」


 朝の食事時の会話です。

 私は毎日ちょっとずつ歩く距離を伸ばし、食事の量も多くなってきました。

 健康を実感しています。

 本当にありがたいです。


「お忙しい先生だと思いますけれども、とても熱心にリハビリに付き合ってくださるのです」

「いや、そのことではなくてだな」


 お父様には何か懸念がありますか?

 いい先生ですよ。


「最初に会った時は、何て不快感を催すやつだと思ったものだ。しかし昨日見た時はそうした感覚がかなり消えていたように思える」

「言われてみると……」


 確かに今のザナドゥ先生は普通ですね。

 私は先生に毎日会っているから気付きませんでした。


「何が変わったというわけではないだろう?」

「黒尽くめの格好もお変わりありませんしね?」


 お母様が言います。


「まあまあ、悪いことではないではありませんか」

「まあ、そうだな。我々が慣れたのかもしれん」


 お父様もお母様も軽く考えているようです。

 私は何かが引っかかる気がするのですが。


「ソフィアはあの魔法医に嫁ぐのだな?」

「もちろんです。約束ですから」


 相手は世界中を旅する魔法医です。

 ついてゆけるだけの体力を身に付けないと!


「ソフィアがいなくなってしまうと考えると寂しいですね」

「お母様……」

「でも元気になってくれて嬉しい」

「……」


 鼻の奥がツンとします。

 お父様もお母様も涙目です。

 別れはつらいですけれども仕方ないのです。

 ザナドゥ先生の力は世界中で求められているのですから。


「ハハッ、まあ先のことだ。ソフィアはもう少し体力を付けることを優先しなさい」

「はい」


          ◇


 ――――――――――さらに数日後。


「何とぞ願いをお聞き届けいただきたく!」

「はあ」


 ザナドゥ先生が何故かぺたっと平伏しています。

 どうしたのでしょう?

 お父様もお母様も困惑しています。


「僕をニールネス伯爵家に置いてください!」

「「「は?」」」


 ザナドゥ先生は漂泊の魔法医ではなかったのでしょうか?

 世界各地に先生の医術を必要としている人がいるのでは?


「じ、実は魔法医の力を失ってしまいまして……」

「「えっ?」」

「ああ、なるほど」

「どういうことだ、ソフィア」


 どういうことかはわかりませんけれども。


「ザナドゥ先生は極めて強力な魔法医の力をお持ちでいらっしゃいましたが、あれは代償を伴うものではないかと考えておりました」

「そ、その通りです」

「お父様も先生の不快感が消えていると仰っていたではありませんか」

「つまりあの嫌な感じが代償であったと?」

「代償は自分では制御できないと、本で読んだことがあります」


 もっとも私の想像でしかなかったですけれども。

 これ以上はザナドゥ先生が説明してくれるでしょう。


「ソフィア嬢の言うことがほぼ当たっています。僕は魔法呪医の力を生まれつき持っていまして」

「魔法呪医?」


 生まれながらにして超常の力を持つ人というのはたまにいます。

 魔法を使える人はその中でも比較的多いのですが、魔法呪医というのは初めて聞きました。


「簡単に言いますと、身体の不具合を癒すことができるが、代償として他人から嫌がられる要素を自分の身体に溜めてしまうというものでして」

「要するに治療するほど嫌われてしまうということか?」

「はい」


 ある程度想像はできていました。

 が、何と不憫な能力でしょうか。


「安寧が得られないと言いますか石もて追われると言いますか。ほとほとこの能力には困り果てておりまして。聖道教会に寄進することで、聖女様の意見を伺ったんです」


 聖女様もまた超常の力を持つ方です。

 神の意思を聞くことができるとされています。


「愛し愛される存在ができれば力は消えるだろうと」

「だからソフィアを嫁にくれという条件を出したのか」

「そうです。ソフィア嬢からも好意を得られないといけないようでしたので、正直難しいのではないかと考えていたのですが……」


 ザナドゥ先生と視線が合います。

 初めて会った時の生理的に受け付けないような感覚は、もうすっかりありません。

 長身で爽やかな笑顔の男性がそこにいます。


「ソフィア嬢が僕に寄り添ってくれようと、努力してくれたからだと思います。本当に感謝しています」

「いえいえ、とんでもありません。この身をザナドゥ先生に治していただいたこと、私こそ感謝しております」

「ふむ、それでそなたをニールネス伯爵家に置いてくれとは?」

「魔法呪医の力を失った僕にはもう、世界を遍歴する理由もありませんので」


 あっ、そうですね。

 じゃあ私も家を出ていく必要がないじゃないですか。


「歓迎するぞ!」

「僕は大したことできませんけど……」

「嬉しいわ! あなたもニールネス伯爵家の一員ね!」

「えっ?」


 ポカンとするザナドゥ先生。


「……ひょっとして歓迎されていますか?」

「無論だ! ソフィアの身体を治してくれて、しかも取り上げずに家にいてくれるのだろう?」

「余剰の男爵号がありますよ。生活の心配はありませんからね」

「私もせっかく丈夫な体を得たのです。積極的に外に出て、社交に励みたいと思います。事業も起こしてみたいです」

「あ、ありがとうございます!」


 ザナドゥ先生がむせび泣きます。

 他人から必要とされながらも、魔法呪医の副作用で愛されることがなかったんだろうなあ。

 私も泣けてきてしまいます。


「よし、今日はザナドゥ君の歓迎会だ!」


          ◇


 ――――――――――一年後。


 ザナドゥさんは色々すごいです。

 ザナドゥさんは大変なお金持ちでもありました。

 いや、これまで多額の治療費を受け取ってきたでしょうから当たり前ですけれども。


 各地の有力者を癒してきた実績は強力な人脈となっていました。

 しかも今のザナドゥさんは感じのいい好青年ですから、婚約者である私が薬草と薬品を手がける事業を起こした時も、皆さんがこぞって出資してくださったのです。

 とてもありがたいです。


 そしてザナドゥさんは魔法を使えます。

 えっ、魔法の力は失われただろうって?

 驚異的な魔法呪医の力は失ったのですけれども、簡単な回復魔法や治癒魔法は使えるそうで。

 要するに代償を要求するような強力な力を使えなくなっただけということです。

 一々呪文を唱えないと魔法が発動しないから面倒、などとザナドゥさんブツブツ言ってましたけど。


「ソフィア」

「はい、ザナドゥさん」

「ありがとう、僕は幸せだ」

「私もです」


 呪いのような力とおさらばすることができたのは私のおかげだ、とザナドゥさんはいつも感謝してくれます。

 でも私だって同じことです。

 ザナドゥさんのおかげで健康になれたのですから。


「いよいよ明日は結婚式だね」

「楽しみです」


 ザナドゥさんに抱きしめられます。

 心地良いお日様の匂いがします。


「あっ、こら!」


 ……お父様の声ですね。


「明日まで待ちなさい!」

「も、申し訳ありません」

「お父様ったら無粋なんですから」

「あまりにソフィアが可愛いものですから、つい」

「うむ、それは納得するけれども」


 アハハと笑い合います。

 ザナドゥさんと知り合えてよかったです。

 視線を上げると、ザナドゥさんの屈託のない笑顔がそこにあります。

 きっと幸せ、ずっと幸せ。

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