第39話 ダーウィン結節

 この亀貝ダンジョンに潜るまで、俺はA級のダンジョンにしか潜ったことがなかった。

 そこでは、マネーインジェクションなんて、一万円分で十分に戦えた。

 それがSSS級の亀貝ダンジョンでは、四百万円分のインジェクションだ。

 今までの四百倍ものパワーが俺の中に流れ込む。

 指先まで力が満ちていくのがわかる。

 視界もはっきりし、聴覚も鋭くなっている。

 すべての感覚が一段階上のステージへと押し上げられている。

 わずかな空気の揺れまでも感知できそうなほどだ。

 

 吊り目の少女がこちらへとつっこんでくる。


 その爪の攻撃を余裕でかわし、俺はその腹に回し蹴りをぶち込んだ。

 吊り目は十メートルほど吹っ飛んでいく。

 同時に後ろから襲い掛かってきていたたれ目の少女の動きもまるわかりだ、俺はそいつの動きを完璧に読み切り、攻撃を楽々さばくと、刀を振り下ろした。


「おるぁ!!」


 よし、入った!!

 たれ目の少女の左腕が床にぼとりと落ちた。

 血が一瞬だけ吹き出すが、すぐに止まる。

 燃えるような目で俺をにらみつけるたれ目。


「お兄ちゃん、後ろ!」


 おっと、吊り目も再び俺に攻撃してきた。


 見える。


 見えるぞ。


 すべての動きがはっきり見える。

 四百万円分のインジェクションで、魔王級と言われるヴァンパイアロードの動きを完全に凌駕できている。

 本来なら早すぎてまったく対応できない攻撃も、今は逆にスローモーションに思える。

 今なら二人同時に倒してしまえそうだ。 

 だけど、そうするわけにはいかない、この二人のヴァンパイアのうち、一人は人間のアニエスさんなのだ。

 俺は左手で吊り目の金髪を雑にひっつかんだ。


「ぐがぁ!?」


 それを引き離そうとする吊り目、だが俺はそれより早く、吊り目の耳を刀でそぎ落とした。


「がぁうっ!」


 猛獣のような声をあげる吊り目の少女。

 俺は血にまみれた耳朶を空中でキャッチすると、


「みっしー! これを!」


 それをみっしーに向かって放り投げた。


 みっしーはそれを受け取り、手の平に乗せると紗哩シャーリーが身に着けているボディカメラに向けた。


「ねえ! この耳! この耳は!?」


〈グロ〉

〈ちょっと草〉

〈ピントがあってない……あ、あった〉

〈いやあこの耳で判別できるやついるか?〉

〈切り取られた耳とか初めて見た〉

〈こんなん絶対わからんだろ〉

〈耳垂が大きくて、特徴的なダーウィン結節。これ、アニエスのだぞ〉


「ほんと!? 間違いない!? 絶対!?」


〈間違いない、こっちがアニエスの耳だ。耳輪の形とダーウィン結節の形でわかる。耳フェチのあたしのプライドにかけてこっちがアニエス。絶対。〉


「あなた女!? まあいいや、基樹さん、この耳の人がアニエスさんだって!」


 吊り目の方がアニエスさんか!!


 それさえわかってしまえばもう俺たちの勝ちだ、あとは作戦通りにいくぞ、と思った瞬間。


 たれ目の少女――つまりヴァンパイアロード、アンジェラ・ナルディ――が、俺から距離をとるようにとびすさった。

 無駄だ、今の俺にはお前は勝てない、そう思ったとき。

 アンジェラは、不穏な魔法の詠唱をはじめた。


「ゆがめ、次元よ、ゆがめ、時空よ。すべての点と点をつなぐ面。たわんで縮まり抱き合え。さあ、あのものを。あちらへと」


 そして俺を指さす。


〈強制テレポーターの魔法だ!〉

〈一番やべー魔法だぞ〉

〈地球上のどこにとばされるかわからんぞ〉

〈っていうか壁の中に飛ばされたら即死で死体も回収不可能〉


 やばい、なんてとんでもない魔法を使いやがる。

 アンジェラが叫んだ。


「さあ、飛べ、愚か者よ! 転移テレポート!!」


 透明な、でも目に見える直径一メートルほどの衝撃波のようなものが、すごい勢いで俺に向かって飛んできた。

 あれに触れたら強制テレポートさせられる、だけど今の俺なら避けられる、俺は真横に飛び退ろうとして――。

 だがそこにいたのはアニエスさんの身体だった。

 俺の動きを読んでいたのだ、さすがヴァンパイアロード、アニエスさんの身体を操って俺の動きを封じたのだ。


「くそがっ」


 衝撃波が俺に直撃する!


「ぐおおおおおおっ!」


 俺はアニエスさんの身体をふっとばす。

 そしてそのまま横に飛んで衝撃波をよけようと――。

 いや駄目だ、足の先が触れる――!!

 そう、つま先だけ。

 つま先だけが衝撃波に触れてしまった。

 これが全身で受けていたら壁の中か、空中高くか、地面の奥深くか、海の底か、とにかくどこかに飛ばされて即死だったかもしれない。

 そうでなくても、世界のどこかに飛ばされてしまったかも。

 そしたら残されるのはみっしーと紗哩シャーリーだけ、絶望だ。

 だが、つま先だけだったからだろうか、俺の身体はわずか三メートルほど上方に移動しただけだった。


 だけだった、が。


 そこにあったのは石づくりの、ダンジョンの天井。

 俺の右足が、そこに埋まっていた。

 いつかのみっしーと同じ状況、俺は右足がダンジョンの天井と同化した状態で、ぶらーんとさかさまにぶら下がった。

 考えたり迷ったりしている暇はない、俺は瞬時に自分の右足を刀で切り落とす、血が噴き出す、左足だけで着地し、出血にかまわずアンジェラに斬りかかった。

 アンジェラは右手の爪でそれを防ごうとするが、俺の刀はもはや爪では止まらない、爪を切り落とし、返す刀でアンジェラの手首を切り落とす、そのまま刀を下段に振って両足も切り取った。

 アンジェラは無様に床をなめる。

 だが夜を統べる闇の女帝、ヴァンパイアロード。

 刀による物理攻撃だけでは滅することはできないかもしれない。

 実際、さっき切り落とした左腕はもう再生をはじめていた。


 だから。


 俺は今度はアニエスさんの身体の方へと向かう。

 片足で跳ねるだけで数メートルは跳べる、これが400万円。

 切り取った右足は不思議と痛みは感じないが、きっとあとからくるんだろうな。


 400万円分のインジェクションした俺の前では吊り目のアニエスさんはもはや無力、しかしその効果もそろそろ切れるかもしれない、急がないと。


 俺は容赦なくアニエスさんの身体にも刀で斬り付ける。

 両手と両足、肘の上と膝の上できっちりと切り落としてやった。

 くそ、俺はずっと女の子の身体を切り刻んでばっかだな、あとでトラウマになりそう。

 すくなくとも絶対に夢に見る。

 俺は両上下肢を失ったアニエスさんを床に押し付けた。


「みっしー!」


 俺は叫ぶ。

 みっしーが俺とアニエスさんのそば、数メートルのところまで駆け寄る。


「そこで止まれ!」


 あまり近づくと、個人単体ではDランク探索者にすぎないみっしーはアニエスさんによる思わぬ攻撃を防げないから危険だ。


「インジェクターオン! セット! 200万円!」


 そして俺は左手でアニエスさんの身体をおさえつけつつ、右手で200万円分のパワーを注入した注射器を――。

 みっしーに向けて投げつけた。

 以前紗哩シャーリーで実験したことがあるからこれがうまくいくのは知っていた。

 注射器はみっしーのおなかにぶすっ! とささる。


「ひゃーっ!!」


 まあみっしーが悲鳴をあげちゃうのもしょうがない。

 そしてさらに叫ぶ、


紗哩シャーリー、頼む!」

「うん! フロシキエンチャント! 暗闇ダークネス!」


 攻撃魔法系を使うみっしーは敵の視力を奪うのに閃光の魔法を使うが、治癒魔法系を使う紗哩シャーリーは逆に光を遮断する魔法で敵の視力にデバフをかける。

 そういう魔法体系になっている。

 まあどちらも初心者でも使える初級魔法なのだが。

 その魔法を風呂敷にエンチャントし、そしてその風呂敷でアニエスさんに抱き着いて床で丸まっている俺を護るように包み込む紗哩シャーリー

 両手両足を切り取らないと風呂敷のサイズに収まらなそうだったのだ、仕方がない。


 これで俺もアニエスさんも、光の影響を受けない。


 そして、200万円分のインジェクションを受けたみっしーが魔法を詠唱した。


「私の心の光よ、はじけよ! はじけてきらめけ! 閃光スパーク!!」


 ただの目くらましの魔法だ。

 しかし、200万円分のインジェクションは目くらましを目くらましのままにはしておかない。


 永遠の夜を約束していたはずのダンジョン内に、小さな太陽が出現して、周辺すべてを強い光で照らしだした。


 

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