第7話

コドラ公爵は試合を見て血相を変えてVIP席を離れた。

そして足早ににシンシアの控え室に向かっていた。


「バカな!ありえん!

あろう事かあの平民の娘、私の言う事を無視しやがった!

平民如きが!後で覚えておけよ!」


その表情には焦りがあった。

シンシアが魔力を込めた剣を持って行ってないという事は控え室に置いてあると言う事だ。


「控え室で見つかるのはマズイ。

平民の控え室に行く人間などおらん。

そうなれば私が真っ先に疑われる」


疑われた所で証拠は無い。

シンシアが何と言おうとコドラ公爵が知らぬ存ぜぬを通せば罪に問われる事はない。

だが、それで楽観視するほど公爵はバカでは無い。


公爵家では水面下で勢力争いが起きている事は察知している。

もし調査が長引けば公爵不在の状況が増える。

それは敵勢力に付け入る隙を与える事になる。


「ただでもムースが初戦敗退しただけでなく、あんな一方的に負けていると言うのに…」


シンシアが違法武器で失格になれば、優勝者不在、尚且つコドラ公爵に対する暗躍と騒いでうやむやにする計画だった。


更にはその暗躍を領内の対抗勢力のせいにする計画まで立てていた。


乱暴な手だったが、それを可能にするだけの権力が公爵にはあった。


公爵は乱暴に控え室の扉を開ける。

しかしそこには剣が無かった。


「どこに行ったんだ!」


怒りを露わにしながらも控え室の中を物色する。

だが当然出て来るはずはない。


「あの小娘め!

一体何処に置きやがった!

この私の邪魔ばかりしおって!」


公爵の怒りのボルテージは更に上がり、もはや部屋の中を探してるのか、荒らしているのかわからない程に暴れていた。


「お父様。

お探しの物はこれですか?」


突然聞こえた声に驚き、公爵は声の主の方を見た。


そこにはリリーナが見下すような微笑みを浮かべ、エミリーの持っている剣を示した。


その剣は紛れもなく公爵の探している剣だ。


「リリーナ。

それを何処で?」

「この部屋ですわ」

「そうか。

見つけてくれてありがとう。

それを渡してくれないか?」

「それは出来ません」

「なに?」

「これはお父様が不正をした証拠ですから」

「不正だと?」


公爵は眉を顰めた。

それをリリーナは無視して続ける。


「この剣は強力な魔力が込められていますね。

こんな物を試合で使用したら相手はひとたまりもありません」

「そうだな。

それをあの平民が持ち込んでいたから、回収に来たんだ。

危ないからそれを渡しなさい」

「フフフ。

苦しい言い訳ですわね」

「なんだと」

「これはお父様がシンシアに無理矢理渡した物ですわ」

「証拠も無くそんな事言っていいと思っているのか!」


公爵が威嚇するように声を荒げる。

しかしリリーナは涼しい顔で聞き流す。

その態度に公爵は焦りを覚え始めた。


「証拠ならありますわよ。

それも決定的な証拠が」

「そんなバカな!?」


自分に繋がるような証拠は残していない。

その自信が公爵にはあった。


今まで少なからず裏工作をして来た公爵にとって、それぐらいお手の物だ。


だが、リリーナの自信たっぷりの顔に焦りが加速する。


「残念でしたわね。

お父様が公爵の地位で脅し、シンシアにこの剣を強要している場面を私はバッチリこの目で見ましたわ」

「まさかそれが決定的な証拠だと?」

「そうですわ」

「クククッ!

ハハハハ!」


公爵は安堵して、思わず笑ってしまった。

そんなの証拠と言える物では無い。


「そうやってカマをかけようと言うのだろう?

だが、そうはいかない。

何故なら私はそんな事していないからな」


そう、あくまで公爵はシンシアがその剣を取るように圧力を与えただけだ。

強要などはしていない。


つまりリリーナは見てなどいない。

そう公爵はそう確信した。


「いいえ。

私は間違いなく見ました」

「そんなの何の証拠にもならない。

お前の言う事より、私の言うことをみんなは信用するだろう。

所詮子供の戯言にすぎん。

今なら許してやるからそれを渡せ」


公爵の勝ち誇った様子にも、リリーナは一切屈する様子も無い。

むしろ心底軽蔑したような眼差しを向ける。


「何だその目は。

それが父親に対する態度か!」

「往生際が悪いですわね。

私が見たと言ったら見たのです」


リリーナは一呼吸ついて真剣な表情で公爵を見据えて続けた。


「聖なる神のお言葉を伝える者として神の名の下に誓います」



この世界の殆どの人が信仰している聖教の宣教師は崇められ、優遇されている。

その分大いなる責任が課せられている。

その見習いである聖教宣教師学園の生徒も同等である。


そんな彼女達が神の名の下に誓う。

その言葉は決して嘘であるはずが無い。


万が一にも嘘だった時は、宣教師としての立場を失うだけで無く、例え何度生まれ変わっても神の加護を一切受けることが出来ない。


それは聖教を信仰する者にとって死よりも辛い事だ。


「ば、ば、バカな……」


当然聖教を信仰している公爵にも効果は絶大だった。

決してリリーナの言った事は本当では無い。


だが、今のリリーナが見たと言えばそれが真実のなる。

神の名と公爵の名では比べるまでも無い。


「貴様!宣教師の禁を犯すと言うのか!」

「お父様こそ神の名の下に誓った言葉を嘘と仰るのですね。

なら確かな証拠を出してください。

もし何も無いのに嘘だと仰っているのなら、それこそ聖教の神に対する侮辱にほかなりません」

「ぐぬぬぬ」


公爵は唸った。

もちろん証拠などあるはずも無い。

無いものを無いと証明する事など出来ない。

それは悪魔の証明に他ならない。


どうしようも無い公爵は剣を抜いてリリーナに切り掛かった。


もう公爵に残された手はそれしか残っていなかった。

しかしリリーナは固まってしまった。


まさか切り掛かって来るとは思ってもみなかった。

見習いとは言え宣教師に切り掛かるなどありえない事だからだ。


だけどリリーナはまだ子供だった。

追い詰められた人間が理に叶わない事をする物だと知らなかった。


公爵の剣を間に入ったエミリーがナイフで受け止める。

そのエミリーの脇腹に公爵が蹴りを入れる。


エミリーの体は真横に吹っ飛び、持っていた魔力のこもった剣とナイフが地面に落ちる。


「お父様。

覚悟!」


状況を飲み込んだリリーナが隠し持っていた剣を突き出した。


でも一瞬遅れた。

公爵はそれを剣で弾く。


大の男と小さな女の子とでは力の差は出来前。

リリーナの剣は弾き飛ばされて宙を舞う。


ガラ空きになったリリーナの体を公爵の左のボディブローがめり込む。


「っか!」


リリーナの肺から全ての空気が吐き出される。

お腹を抑えて蹲ったリリーナの体を目掛けて公爵が剣を大きく振りかぶる。


「リリーナ様!」


エミリーがリリーナの盾になるように2人の間に割り込んだ。

振り下ろされる剣。

覚悟を決めたエミリーがその剣を真っ直ぐに見据えた。


その背中越しに見たリリーナの目にはスローモーションで見えた。

少しずつ降りてくる剣。

自分が動かないとエミリーが斬られる。

頭で分かっていても体は言う事を聞かない。


自分の浅はかさを痛感した。


「いや」


その二文字がこぼれ落ちるのがやっとだった。


しかし、剣がエミリーの手前でピタリと止まった。


その剣の剣先の上に紫のロングコートを着た少年が立っていた。


いつの間に現れたか誰にもわからない。

そこにいるのが当たり前のように突然現れた。


公爵がどの方向に力を入れても剣はピクリとも動かない。

その脂汗をかきいて必死の形相を白い仮面が見下す。


あまりにあり得ない光景にリリーナとエミリーはただ呆然と見つめるしか無かった。


「な、な、な、なんなんだお前は!?」


混乱しながらも公爵がなんとか言葉を絞り出す。


「俺はナイトメア。

今宵、悪夢へ誘う者」

「一体なんなんだ!?」


公爵は理解出来ずに同じ事を叫んで思いっきり上方向に剣に力を込める。

そのタイミングでナイトメアは跳んだ。


勢い余って数歩後ろに下がって大きな音を立てながら尻餅をつく公爵。

対象的に宙返りをしたのち一切音も無く地面に華麗に着地したナイトメア。


「この薄気味悪いガキが!」


尻餅をついた恥ずかしさを誤魔化すように大声を上げた公爵が切りかかる。

その剣を弾いたのはナイトメアでは無くスミレの剣だった。


「ねえナイトメア。

私の鍛錬の成果を見ててくれない?」

「構わん。

相手は弱すぎるがな」

「この私が弱いだと!」


2人の会話に怒りを露わにして再び切りかかる。

しかし、それも簡単に弾かれて後退りする。

それでも果敢に攻め込んだ。


「弱いだけじゃないわ」


再び弾かれて後退りする公爵。


「あなたの剣は軽い」


再び切り込むが結果は同じ。


「遅い」


繰り返される剣の撃ち合い。


「鈍い」


少しずつ公爵は後ろに追いやられていく。


「何より醜い」


リリーナは信じられない光景に目が離せなくなっていた。


王国の貴族は必ず剣術を学ぶ。

公爵程の地位となれば生半可な先生はつかない。

現にコドラ公爵は王国内でも有数の剣士だ。


しかし、その公爵が自分と歳の変わらないであろう少女に圧倒されている。


技術、力、速さ、鋭さ、美しさ、全てにおいて少女は圧倒的だった。

特に美しさは際立っていた。


「そんなバカな。

小娘如きにこの私が……」


壁まで追い詰められた公爵にスミレがゆっくり歩んで行く。

公爵の目に戸惑いが浮かぶ。


今の地位を手に入れてからも剣術の稽古を欠かした事は無かった。

なのにこれ程の差を見せつけられた。

かつてこれほどの力の差を見せつけられた事があっただろうか?


いくら足掻いても無駄だ。

そう言われているよう。


「そんなバカな事があってはならない!」


雄叫びをあげて渾身の一撃を振るう。

その振り切った手には剣が無かった。


持っていたはずの剣は遠くの地面に刺さっている。

もはや剣を弾き飛ばされた事すら気付けなかった。


死を前にどうする事も出来ない公爵の首をスミレの剣が捉えた。

そして紙一重の所で剣が止まった。


剣を消してスミレは振り返りナイトメアの方へ歩いて行く。

公爵は放心状態になって膝から崩れ落ちた。


「素晴らしいぞスミレ。

この短期間でよくここまで登り詰めた。

何より悪党の美学を分かっている」

「もちろん。

あなたの美学を穢すような事は絶対にしないわ」


スミレはこれ以上無いぐらい美しく笑って答えた。


「あなた達は何者なの?」


ようやく思考が動き出したリリーナが尋ねる。

白い仮面が真っ直ぐに向けられてその問いに答える。


「俺達は悪党。

世界のルールに縛られず自由に生きる者」

「悪党なら何故私達を助けてくれたの?」

「それが悪党の美学だから」

「お父様を斬らなかったのも?」

「美学だ」

「フッフッフッフッ」


突然後ろで公爵が笑い出す。


「何が美学だ。

人を斬る勇気が無い臆病者なだけだろうが!」


叫ぶと同時に突進して、地面に落ちていた剣を拾い上げた。

その剣はシンシアに渡した剣。

魔力を込められた剣。


全てを吹き飛ばす気で剣をスミレの背後から叩きつける。

スミレは動かない。

動けない訳では無い、動く必要が無かった。


その剣は一切の予備動作も無く公爵の正面に現れたナイトメアの左手の指に挟まれて止まった。

起きるはずの爆発すら起きない。


「魔力を打ち消しただと!?」


爆発する魔力に寸分違わぬ魔力を正反対の方向で与える事で打ち消せる。

言葉にするのは簡単だが、実際やるのは至難の技だ。


それをナイトメアは当たり前の様にやってのけた。

その技術に公爵は恐れを超えて憧れすら覚えるほどだ。


「何か勘違いしていないか?

俺の美学に他人の命を奪う躊躇も、他人の命を守る慈愛も存在しない」


剣を受け止めた左手首を捻ると、小枝のように簡単に剣が折れた。


「『美学その5

素晴らしい物には惜しみない賞賛を』

あの娘の剣術はお前のとは比べるのもおこがましい程強くて美しい」


折った剣先で公爵の手元に残った剣を弾き飛ばす。


「『美学その11

芸術作品を汚してはならない

汚す奴を許してはならない』

あの娘の控え室であるこの場所をお前達の血で汚すなどあってはならない」


控え室に複数の足音が聞こえて来た。

騒ぎを聞きつけた騎士団が向かって来ている足音だ。


「『美学その7

恩には恩を仇には仇を、悪党には悪党を』」


右手に刀が生成された。


「一体何事だ!」


控え室に騎士団が雪崩れ込んむ。


そんな事はお構い無しにナイトメアの右手に生成された剣が公爵の心臓を貫いた。


「っが!」


短い悲鳴を上げた公爵の体の何処からも血が出ない。

超能力で血を操作して傷口からの出血を防いでる間に気力で剣の周りの傷口を塞いだ事で、剣だけが貫通した奇妙な状況になった。


「何なんだこれは……」


公爵は自分の置かられた状態が理解出来ずに呟く。

霊力により痛みも感じなくされていた。


周りにいる誰もが全く理解できず、動く事が出来ない。


「グッド・ナイト・メア」


ナイトメアの言葉と共に公爵の体は一瞬だけ濃い紫色の炎に包まれた後に跡形も無く消えた。


「き、貴様は一体……」


未だに状況が理解で出来ない騎士団だったが、目の前の得体の知れないナイトメアを敵に決めて剣を構える。

ナイトメアは全く動じずに白い仮面を向けた。


「俺の名はナイトメア。

奪いたい物は奪い、消したい物は消す。

俺は誰にも縛られない、ただただ自由を求める。

故に悪党。

一縷の救いすら無い悪党」


ナイトメアはロングコートを翻して、自身と隣まで歩いて来たスミレを隠す。

そして跡形も無く煙のように消えた。

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