冷たい水の中の猫
森川めだか
冷たい水の中の猫
冷たい水の中の猫
森川 めだか
前編
ねずみがいる。
どんよりとした灰色の雲が覆ってこれから晴れるのか雨なのか、分からない不安定な空模様の夜だった。
冬の白い光が何もかも映し絵にしつくさって、私に襲ってきそうだった。
私の肌も白くなってきたようだ。拳銃を掴む手も私の指も分からないほどに銀色だ。
感触がない。
マスクに口紅が付いちゃう。
ゴローと店長と練った計画で、ケリーから借りた拳銃を手にしている。
握もスーパーナミヘイの店員だった。
いつもの古ぼけたランチジャケットを着ているから従業員に気付かれる可能性もあるが、そんなの、誰でも着ている。
ただ脅せばいいのだ。
脅して、金取って、逃げる。それだけの計画だった。
そうして閉店直後のスーパーナミヘイに来て今、下から二階の従業員室の足音を聞いている。
上にはバイトの高校生二人。チョロい計画のはずだった。
ドアが開いて誰かが入ってきた。店長だった。顔も隠していない。
「今日は気分がいい」
「店長、何やってんの。話が違・・」
拳銃を奪われた。
「愛してる、愛してる、とっても、とっても・・」
店長は歌いながら拳銃を抜き身のままドアを出た。
様子が違う。
脇の階段を上がる音がして、足音が乱れた。一発、二発、発射されたかと思うと何かが倒れた音がした。
握は確かめもせずにドアを出て、走りながら従業員室を見上げた。ちょうど明かりが消されるところだった。
「ゴローは最初っから分け前が欲しくて協力したんじゃない、私は二人も殺すなんて聞いてないよ」
「少なすぎるよ」
「私は違う人生を生きるわ。あしからず」
「何であんなことやったんだろう」
「血圧の関係でしょ」
「犯人が憎いです」その報道を聞いたばかりだった。
「ケリーはどうしてる?」
「ケリーって誰だ?」
「ケリー。ケリー・アートン」
「ああ、あいつか」
ゴローはいつも酒に酔っていた。ケリーを私に紹介したのがゴローなのだ。この結果的に強殺になってしまった話を持ってきたのが店長だった。ただの強盗のはずだったのに。
「銃が売れなくて、何とか、って言ってたかなあ」
「人、殺したからね」
「今度、映画見に行かないか」
「よく、言えるわね。そんな事」
私はあの階段の色、湖水色が忘れられないというのに。
「いいよ、何でも」
「お前、いくらもらった?」
「同じだよ」
「本当か?」
「映画代でなくなるよ」
電話を切ってから握は、爪の白い部分を見た。荒れて、かすれたみたいになっている。
丁寧にベースコートを塗った。
ゴローは今、煙草を吸っている。
「どうなった?」
なぜか笑って、暗い中を横切って私の隣の席に座った。
「どうなりもしないよ。映画は映画だもん」
「昔はコンビニエンスストアもなかったんか」映画の昭和の風景を見ながらゴローは言った。
「だから店長はスーパーじゃとりやすいって考えたんでしょ。あの古い頭では」
「のった俺らも俺らだよな」ゴローはまた笑った。
「あのイカれポンチ・・」握はゴローの首を絞めるフリをした。
「いっそ殺してしまいたいわ」
映画が終わった後は併設されたフードコートでコーヒーを飲んだ。
「チョコレートとコーヒーだけで生きていけたら、人間、幸福だね」
「あと、煙草だね」
映画の感想でも語り合うのか、これからどこ行く? とでも話し合うのかフードコートは若い男女で溢れていた。
「これから・・、どうするんだっけ?」
「ホステス」握は唇を突き出した。
ゴローは後頭部の髪を掻いた。
「今だったら監視カメラがあれば捕まるよな」
「映画の話?」
ゴローは肯いた。
「どっちもだ」
握はゴローの話を聞いていなかった。
「そういうのが宿罪になるんだよ」
「あ?」
こんな所でこんな話をしているのは私たちだけだろうなと思って聞いていなかったのだ。
「宿罪だよ。前世に犯した罪」
「あんた何、言ってんの?」
「うるせえよ」
ゴローはそこで話をやめて、私から横を向いて、何してるんだかと思ったら右手で拳銃を弄ぶような動きをしていた。
「やめなよ、バレるよ、もうみんな知ってるんだから」
「そうか?」まだゴローは拳銃をあっちに向けたりした。
握は同じ席に座っているのに他人のフリをしてコーヒーを飲んだ。
遠くにいる男女に向けて撃ったり、自分に向けて舌を出したりした。
ここにも監視カメラがあるのに。
「酔ってんでしょ。もう私行くから」コーヒーを残して握は立った。
「バーン」後ろからゴローは撃つフリをして、振り向いたらテーブルに顎を付けて笑っていた。
「アリシア」というホステスクラブが握の家の近くにあるから、そこで働かせてもらうことになった。
脚だけ大きく開けた握のボディコンスーツは、人気が上々だった。
「お疲れ様です」帰りは古ぼけたランチジャケットを上から着て、自転車で帰る。
強殺はその後、忘れられてきたようだ。
「憎まれっ子世に憚る、か」白い息を吐いて、脚を動かしながら握は呟いた。自分が生きてることもそうだ。
派手な口紅を落として、グロスだけ塗った。
赤いボディコンスーツは目立つけど、前から来る自転車は握に道を空けて行った。
今日、ゴローが店に来た。
私を馬鹿にしに来たのだ。
酒も頼まないで、「お多福」と酒を飲んで顔がむくんだ握に言った。
「他の女の子、呼びましょうか」
「携帯電話で誘拐でも始めようかと思ってるんさあ」
「やめてよ、そんな話」握は声を潜めて鋭く言った。
「もう拳銃使うのはごめんだ」
「ゴロー」
「SADって知ってるか」
「何かの国連機関?」ゴローに酒を用意しながら握は眉をしかめていた。
「季節性感情障害だと。冬とかに具合悪くなったり、何かの気圧の配置とか、分からなかったんだけど、あいつもそうだったんじゃないか」
「店長? 確かにおかしかった」ゴローの前にグラスを置いた。氷が揺れる音がする。
「そうと鬱を繰り返すらしい」一口、飲んで腕を握の肩に置いた。
「はなはだ元気になったり、落ち込んだり、歌ってたんだろ?」
「もし、そうだとしてもそれが何? 起こったことは起こったことなんだから」
ゴローは舌打ちをしてため息を吐いた。腕を下ろして眼は細くなっている。
「髪、伸びたね」
握はゴローの黒髪を触って、耳の上にかけた。
「天候も関係するかも知れないよ」ゴローを慰めたつもりだった。
中学生が私の脚の間を気にしながら来るけど、握は気にせず立ち漕ぎを始めた。
「用立ててくれないか。ケリーに拳銃を買うように言われてるんだ。あいつ、脅す気だよ」
「店長が責任持って、買うべきでしょ」
「あいつ、忘れてんだ」
「何を?」
「全部だよ。事件のことも、自分が何したのかも。何も知らないでまだナミヘイに勤めてんだ。だから、俺おかしいってちょっと調べたんだ」
「ハッハー!」何もかも馬鹿馬鹿しくなってきた。
あの日は確か、曇っていた。太陽も罪を照らさなかった。
後編
「シバラク、ケリー」握はケリーの腕に手をやった。
今さら何しに来たというのか、ケリーはアリシアに来た。
握の生活も落ち着いた頃だ。
ゴローからは何の話もない。
「困ってるんだ」持って来ていたのは拳銃だった。
握は慌てて尻の下に隠し、「何やってんのよ」と半分責めた。
「それはもう売れなくなったし、持っててもしょうがない」
「まさか、お金が目的で来たの?」
「お前らのせいだろうが」
「大きな声出さないでよ。かっこわるい」
「いいか? 俺も組織の一員だ。いつまでも使えない拳銃持ってても怪しまれる。リスクあるのはお前らだぞ」
「いくら?」
ケリーをアリシアの裏の駐輪場に連れて来た。
「持ってるだけでいい?」寒さで脚を動かしながら握は、黒い革製の財布から札を全部出して渡した。
その日はたまたまクラブの給料日だったのでいい金が出せた。
「20万だな」ケリーはそれをクシャッとポケットに入れ、さっきの拳銃をよこした。
「まあ、それでいい」
握は更衣室に入って、それをハンドバッグに入れた。ゴローに見つかったらまたとやかく言うんだろう。
うるさいからいつも持っていよう。
その日も、握はペダルを漕いでアリシアに行こうとした。
どこをどう行ったのか。この裏道を抜ければスーパーナミヘイだ。
私は下に自転車を停め、あの湖水色の階段を上っていた。ナミヘイの字は取り外され、雨水で汚れた部分がその跡を残していた。
従業員休憩室。現場があったその場所には店長があちらを向いて座っていた。
「パアン」撃ったらスッキリした。
自分でも何でこんな事をしたのか信じられなかった。
長年寄り添いあった夫婦でも不満が爆発することがあるのだ。いくらごまかしても・・。
何か敗けた気がした。
朝食を食べているところだったらしい。勉強机で、サンタクロースにお手紙書くように座ってたわ。
「何でこんなの当ててたのかしら」
握はライトボックスを横に倒した。
握は新しく設置されていた監視カメラで捕まった。ゴローもケリーも黙りだ。
本当の動機は考えても分からないけど、畦になっていた部分が埋まったんだろう。音もなく降る雪で気付かぬ間に用水路を踏んでしまったのだ。そして私は今、冷たい水の中にいる。
かじり合う蛇のように追いかければ追いかけるほど消えていくfのようだ。
淡々とした裁判はまだ始まったばかりだ。
今はスーパーナミヘイの事件のことを問いただされている。
「私はそこに何もありません」
「・・では、店長殺害の件に移る」前の人はペロと紙をめくった。
私の横の人が入れ替わり立ち替わり立って何か話していた。
「・・事件の時は心神耗弱でした」右の人が何か言って、裁判長にうながされ、左の人が立った。
「逮捕前の供述によると被疑者は動機を分からないと言ってますね。今はどうですか?」私は右の人を見た。右の人が肯いた。
「太陽が赤いから」
「検察の質問は以上です」
検事だか何だかが座って、私の弁護士が右から立った。
握は落ち着かずポケットを触った。
何かポケットから落ちた。店長の机の上からガメた薬だった。
「被疑者は心神耗弱の状態であり、交感神経が・・」
握はその薬をヒートから外し、噛んでみせた。
「二人でドアを閉めてー、二人で名前消してー!」
「被疑者は見ての通り季節性感情障害の影響を受け」
「二人で・・」
「閉廷します」
「その時、こ・・!」
・・の両親はそれぞれ連名で「良い報告ができそうだ」と語った。
とりもなおさず。
ねずみがいた。すずめのように。
鑑定送致のホテルから出ると熊笹が揺れていた。
冷たい水の中の猫 森川めだか @morikawamedaka
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