2023/11/4 朝

 珍しく早起きな休日、今日はジムに行った。


 そういえば、最近12月はじまりの手帳を購入した。深緑色の大人なデザインで、不必要に分厚い。マンスリーページ、ウィークリーページ、デイリーページに時系列ページ、さらには謎のウィッシュリストまで含まれているのだから、それはもう本当に。――おそらく、マンスリーページしか使わない。なんなら、そもそも手書きの手帳自体、私はあんまり使わなかったりする。仕事関連のスケジュールは全部仕事用のパソコンで電子管理しているし、そうすると、例えば帰省だとか、女子会だとか、あるいは病院(あまり行っていないが……)くらいしか書くことがないのである。私は別に、そこまで友人が多いタイプの人間ではないから、マジでなにも書くことがないページが平気で2~3枚続くことなんて普通にあり得る。


 せっかく買った可愛い手帳がもったいないので、一言日記でもつけることにしようと思っている。こういうのって、大抵三日坊主になると一般には言われているが、私はやはり(趣味の)文字書き人間なので、なんらかのきっかけで「よし、やめよう」と決心するまでは無限に続けられてしまうのだ。字は汚くなる。こればかりは止められない。綺麗な字を書くことができるのは、最初の2ページくらいまでだ。

 一言日記といえば思い出すのが、学校の夏休みの宿題である。私みたいな文字書き中毒の人間からすれば楽勝なのではないかと思われがちだが、実はまったくそんなことはなかった。学校の宿題としての一言日記はとっても苦手だった。理由は簡単だ、ネタ切れになってしまうからである。ネタに困って「何書けばいいかわからない」とこぼすと、大抵の大人は「なんでもいいのよ」「特別なことじゃなくていいの、まんごーぷりんちゃんが考えたこと、感じたことを素直に書けばいいのよ」と返してきた。しかし、いくら子供だからって、この言葉が嘘なことくらいちゃんと分かっていた。8月31日の日記に「明日からの学校が憂鬱なので家出しようと思います」なんて書けないし(中学校に入ったとたん、「意外と書いても許されるんじゃね?」という気持ちになった)、塾の夏期講習で一日が終わった日に「塾は体育の授業が無いので楽でした」なんて書いたら子供らしくない、と一蹴されてしまうことは目に見えている。何を書いても良い、と言いながら、「子どもは夏に海で遊んで、おじいちゃんおばあちゃんの家に帰省して、虫取りをして、スイカを食べて、おじいちゃんから戦時中の話を聴いて命の尊さを改めて実感して、いとことちょっとケンカをしてまたすぐに仲直りをして、遊び疲れて夜9時には寝ないといけない」という暗黙の了解がそこにはある。でも実際、必ずしもそんな毎日を送っているとは限らないじゃないか。それこそ夏期講習で一日が終わる日だってある、ピアノの練習で一日が終わることだってある。そうでなくても、おかあさんと一日中ドラマの再放送を観て、それからスーパーに行って買い物のお手伝いをして終わる日だってある。でも、そういう一日を書こうもんなら「もっと小学生時代にしかできないことを」だとか「人と関わったときの話を書きましょう」とか「体を動かすようなイベントはなかったの?」とかさぁ……もう本当にさぁ……赤ペンで書きこまないでよ、私の尊い一日に……。みたいな。宿題としての一言日記は、提出物としての性質があり、「大人を喜ばせる」という明確な目的がある以上、そういう赤が入るのは仕方がないことなのだろうけれど、仮にこれがTwitterだったら先生のコメントは結構なクソリプだと思う。

 結局、宿題としての日記の正解がいまだにあまりよく分かっていない。小学六年のときの私は結局「嘘日記を書く」という結論に至り、なつやすみのおもひでをでっちあげて提出する、というところに落ち着いた。本当にそれでよかったのだろうか? ――まぁいずれにせよ、その経験は物語づくりの練習として大いに役立っている(?)ので、個人的にはそれはそれでありなのではないかな、とは思う。

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