2023/10/16夜

 今日は別についったが不調だからこっちに来たわけでなく、140字にまとめるのがちょっと難しそうだったから来ただけ。あと、手軽に長文を書き散らしたかった。


 私の周りには尊敬すべき人がいっぱいいるのだが(リアル・ネット共に)、最近、特に尊敬のまなざしを向けてしまう/どうしようもなく羨ましくなってしまう人間のタイプというものが顕著に変わってきたという自覚がある。ここ2~3年の間で徐々に変わってはいたものの、特に直近数か月で、急激に、グイっと変わった。変わった理由は、なんとなく自分でも分かっている。


 少し前まで、「TOEIC満点!」「私は地頭が良いんです!」「私は仕事でこんなこともあんなこともした!」「こんな恵まれない環境でもここまで自力だけで這い上がった!」「努力なんてしなくたって私は天才」「勉強も運動も音楽もできるし顔も可愛い」みたいなことを言っている人を見るとシンプルに羨ましさと尊敬の念を抱いたものだった(私の場合、尊敬と淡い嫉妬心はセット笑)。

 しかし、ここに来て急にそういうのがあまり輝かしく見えなくなってきて……。なんか、人間なんて皆ある程度それなりに頑張って生きているので、頑張っている面を表に出して声高にアピールすれば、誰でもそれなりにそういうことって言えちゃうよな……って。急に心が動かなくなってしまった。

 代わりに、例えば大きめの成功を収めたときに「環境に恵まれていたんです」「優秀な先輩/後輩に助けられました」「私はほんの手伝いをしただけです」って言えてしまう人が、シンプルにかっこよすぎるなって思うようになってきた。あとは、まったくベクトルは違うが、いっそ自身の優秀さや功績を自慢されたときよりも「子どもが可愛い」という自慢をされたときのほうが「この方にはかなうまい」という気持ちが強くなってきた。いや、もはやそこまで行くと嫉妬心なぞ微塵も芽生えない。尊敬・貴さ・もはや謎の感謝(?)の念が芽生える。これは私が単にアラサー女性だからかもしれない。


 別に、過剰な自己アピールが醜くて、謙虚な姿勢が美しい、と思っているわけではない。そうではなくて、例えば「自分を助けてくれる周囲の人間」「優秀な右腕」「健康な子ども」みたいな、自分の意思ではどうにもならないものをちゃんと持っていて、しかもその存在やありがたさにちゃんと気づけるだけの心の余裕と賢さを有しているのって、最強すぎん? と思う。文章はうまくないかもしれないが、まぁ、伝わっただろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る