転校生がやって来る

そうざ

A Transfer Student is Coming

 ハテルはよく海を見に行く。

 往時は潮干狩りや海水浴で華やいだ遠浅の砂浜も、半世紀前の大津波に拠って様変わりした。現在は白けたコンクリートの堤が曲線を描き、無数の消波ブロックと共に小さな離島を無味乾燥に囲っている。

 やがて人の数が減り始めた。漁で成り立っていた暮らしは寂れに寂れ、限界集落の烙印を押されるまでになった。

 ハテルは、島で唯一の学校に通う小学生。春休みが終われば、晴れて六年生になる。それは、唯一の子供が島外の中学校へ旅立つまでの最後の一年が始まる事を意味する。

 この見慣れた風景を懐かしく思い返す日が来るのだろうか――曖昧模糊とした自分の未来を想像しながら、凪いだ水平線を眺めるハテルだった。


「あ……」

 また沖にが見えた。もう慣れっこにはなっているが、気にはなる。

 やがて消え失せるが、不思議な事に、ずっと見詰めていたにも拘わらず、いつの間にか見えなくなっているのだった。

 堤の彼方へ視線を移すと、その先に小さな人影があった。体育座りをして海を眺めている。幾ら距離を詰めても人影は小さい。子供に違いなかった。

 残り数メートルという所で、相手もハテルに気が付いた。

 女の子だった。

 すっと立ち上がってハテルの方を見ると、直ぐにまた海に視線を移した。

「こんにちは」

 ハテルは思い切って声を掛けた。島で子供に出会う事自体、上級生が居なくなった今、新鮮な驚きだった。

「観光ですか?」

 女の子は目を泳がせながら首を振った。観光客など年に数組が関の山である事は、百も承知している。

「……転校して来たの」

 ハテルは人生十二年目にして初めて、に出会った。

 仕事を求めて本土へ越す家族は珍しくない。これまでに幾人もの子供が転校して行った。最後に見送ってからもう三年になる。それ以降、教室に机は一つだけになった。

 転校生は離れ離れになる悲しい存在とばかり思っていた。しかし今、全く逆の存在にもなり得る事を知り、ハテルは目から鱗が落ちる思いだった。

「何で?! どうして?!」

「え……?」

「どうして転校して来たのっ?!」

「……親の仕事の都合」

 ついさっき、週に一度の定期連絡船で家族と共に海を渡って来たという。しかし、子供心にもこの島に仕事どころか未来すらない事はハテルも理解している。

「何処から来たの?!」

「遠い所」

「何年生?!」

「六年生」

 ハテルは益々心が躍った。一緒に勉強し、一緒に運動し、一緒に給食を食べ、一緒に遊び、一緒に帰る――島の学校で過ごす最後の一年は同級生が居る。

 これは運命の出逢いだ――ハテルは広がる海に向かって歓喜の雄叫びを上げたい気分だった。

 遠くから女の子を呼ぶ声が聞こえた。女の子の両親が迎えに来たのだった。

「それじゃ」

 女の子はそそくさと堤を駆け降りた。去って行く女の子の背後に、居ても立っても居られなくなったハテルが反対方向に全力疾走する姿があった。


              ◇


「どうしたんだ、そんなに慌てて」

 島で唯一の若い教師は、唯一の教え子を怪訝な顔で出迎えた。

「てぇ、てんっ……転校生!」

「まぁ、上がんなさい」

 古い民家の畳敷きに通されたハテルは、教師の妻が用意したお茶を一気に飲み干した。妻は学校の用務員でもあり、普段から顔見知りである。

 ハテルははやる心を押さえられない。

「今度、転校生が来るんでしょっ?!」

「そんな事、先生は知らんぞ。誰に聞いたんだ?」

「本人からだよ」

「本人?」

 ハテルの上擦った説明に、夫婦は顔を見合わせるばかりである。

「最近、妙な事が多いわよね」

 妻がハテルの湯飲みにお茶を継ぎ足しながら呟いた。


 数ヶ月くらい前から、沖合いに見慣れない船団が見受けられるようになった。

 島民の多くは漁で生計を立てている為、海に関する異変には何かと敏感である。当局に問い合わせても、不審な外国船等は確認されていないとの回答しか得られなかった。

 船団は、現れたと思ったら直ぐに見えなくなり、気が付いた時には意外な程の近距離に見え、黒光する船体を陽光に晒したと思ったら、ほんの一瞬余所見よそみをした隙にもう忽然と消えているという有様だった。

 やがて島民は、あれは蜃気楼の一種に過ぎない、と口裏を合わせる事で日々の安穏を求めるようになってしまった。


              ◇

 

 夢を見ていた。

 白い午後、白い砂浜を走って行く白い女の子。それを追い掛けるハテル。

 ここが何処なのか、ハテルには分からない。生まれ育った島にこんな綺麗な海岸線は存在しない。

 もしかしたら、昔はこんな景色があったのかも知れない、とハテルは思う。

 ハテルは夜な夜な同じ夢を見続けた。その度に女の子との距離が縮まり、もう少しで手が届きそうになるのだった。


              ◇


 新学期が始まった。

 この日を指折り数えて待ち望んでいたハテルは、前夜に中々寝付けなかったにも拘らず、いつもより早く目が覚めてしまった。

 通い慣れた海沿いの通学路も、やがて見えて来る校舎の屋根瓦も、何もかもが新鮮に見えた。いつもの今日が違う今日のように感じられる。ハテルは思わず駆け出した。

「おはようございます!」

 勢い良く滑った教室の扉が、空しく音を立てた。

 そこには誰も居なかった。教室にハテルしか居ないのは、毎日の光景である。早く来過ぎただけだと思ったハテルは、自分だけの机に着いた。

 窓の外は春の気配に染まっている。

 陽光と薫風、葉を茂らせた樹木と様々な野鳥の声。

 そして、春霞はるがすみの空を背景に、見慣れない灰色の塊がそびえていた。


              ◇


 外来企業アマゴンが着々と進めていたのは、離島にハブ港を建設する計画だった。

 全世界へと開かれた一大貿易拠点は、主たる従業員の生活拠点でもあった。社員数は実に一万人余り。宅地が造成され、あらゆるインフラが整備され、近未来的な街が出現した在来の島民を蚊帳の外にしたまま、全く新たな生活圏が誕生したのだった。

 地名も町名もことごとく改称され、島は完全に生まれ変わった。限界集落の汚名は過去のものになった。島民は代々の家業をて、アマゴン傘下の下請け業に従事せざるを得なくなった。

 学校も一新された。広大なグラウンドや巨大な校舎を配した、国内随一の小中高大一貫のマンモス校が花々しく開校した。生徒数は元の何千倍にもなった。

 旧校舎は解体されて消え失せた。

 

「事前連絡が行き届いていなかったようで、済まなかったね」

 職員室に通されたハテルを待っていたのは、アマゴンの社員証を首から提げた理事長だった。見覚えのあるその顔は、堤に女の子を迎えに来ていた父親のものだった。

「これを肌身離さず付けておいてね」

 そう言ってハテルの首にIDタグを掛けたのは、学園長を務める母親だった。

「さぁ、そろそろ時間だから行きましょう」

 学園長の後に続き、ハテルは白く長い廊下を進んだ。

 窓から海岸が見える。通い慣れた堤は近い内に解体され、アマゴン社員専用のプライベートビーチが整備されるという。

 学園長は晴れやかに言う。

さぞかし綺麗な砂浜に生まれ変わるでしょうね」


 多目的ホールの裏口からステージの袖へと進む。ざわめきと熱気が二人を包んだ。

 学園長が登壇すると、場の空気が一気に張り詰めた。

「本日から新学期が始まります。その前に、皆さんに紹介したいお友達が居ます」

 学園長が袖に控えたハテルを呼び込む。無数の視線がハテルに集中する。ホールを埋め尽くす転校生の集団、その最前列に転校生代表の女の子が控えている事にさえ気付く余裕はなかった。

「本来は逆なんだけどね、この方が効率が良いから」

 学園長が耳元で囁いたが、極度の緊張に震えるハテルには聞こえない。

 演台に置かれたマイクがハテルの弱々しい声を拡大する。

「てぇ転校生の皆さん、初めましてぇ。僕は、この島の一人だけの、在校生で――」

 ハテルの脳裏に、昨日まで見慣れた故郷の風景が懐かしく蘇っていた。

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