第6話 戯言はほどほどに
「お休みなさい、セフル奥様」
「では、いい夢を、エニラお嬢様」
「また明日、レディーマリベール」
ウィルフリードはその「船の大株主の息子」の身分で乗客たちの部屋を訪問した。
上流社会の挨拶はつまらない。しかも無意味に長引きされるものだ。
変わらない笑顔で聞き飽きたセリフを何回も繰り返したウィルフリードは、本物の貴族じゃなくても、それなりの訓練を受けたことがあるでしょう。
でないと、恐ろしい才能の持ち主だ。
気のせいかも知れないが、彼の口から状況を知ったご婦人たちは不安になるどころか、かえって機嫌がよくなったようだ。
訪問済みの部屋に異常なし。
でも、引っかかったようなことがある……
「全部、女性だった」
ふっと気づいた。
「?」
「あんたが訪問した部屋、全部女性の部屋だった」
「やきもちですか? 嬉しいですね」
「それで誤魔化せるとでも思っているの? 真面目に返事しなさいよ!このクソ悪党!」
! 私、何を言っている……!
慌てて両手で口を遮って、廊下を見渡した。
幸い、誰もいなかった。
好きで淑女のふりをしているわけじゃない。
でも、淑女のイメージは大変便利なものだ。
「欲しいもの」を手に入れるために、まだ壊してはいけない。
頭に水を被らせても怒らずにいられたのに、なぜこいつの戯言なんかに……
絶対、こいつのせいだ……
まさか、何か怒りやすい暗示のようなものでもかけられたのか……
彼を睨んでいる目つきはどれほど暗いものなのか自覚はある。
「はいはい、わかりましたよ。いくら僕のことでも、そのような目に睨まれたら罪悪感があります」
罪悪感という言葉の意味がわかって言ってたの。
「レディーたちの身の安全を心配しただけです。か弱い女性は危険人物に狙われやすいから」
「そうかな、一等船室は下の船室より狭くて隠れところが少ない、クルーズも多い。特別な目的でもなければ、犯人がここに入り込んだのは単なる取り乱した行動でしょう。人質を取ろうとしても、部屋にいる人の性別がわかりにくい、男性と女性の確率は均等のはず……」
ちょっと待って、ということは……
「部屋分けの時、あんたは一番目で選んだのね。まさか、最初から部屋にいるのは女性だと知っているの?」
「またやきもち? 知ったとしても、真夜中に潜り込むつもりはないし、こっそり連絡先を交換するのもしませんでした。心配しなくていッ! おっと」
――!
「頬にキスするなら、お手ではなく、唇でお願いしますね」
手首は掴まれたのは二回目だ。
あのきれいな顔にあざもよく似合うと本気に思った。
どのみち、もう彼の戯言に付き合いたくない。
私は一歩前をでた。
「どうせ部屋登録とかを覗いたでしょう。犯罪のために」
「一人旅をする女性として、周りの物事をよく見て、強い警戒心を持つのはいいことだ」
!
不意に、ヴィルフリードはまた私の前を越した。
彼は少し身を屈めて、顔を近寄せてくる。
「けど、オレといる時に、余計な心配はいらない。欲しいものだけを見ればいい」
はじめて気づいた。
彼の目はどこでも見られるような青色ではない。夜の海に思わせる、深海の色だった。
霧のような記憶に残っている、「あの眸」と同じ色だった。
「なにかありましたか?」
ウィルフリードの背後からの呼び声がした。
「挨拶」行動の乗客たちだ。
「いいえ、異常なしです」
ウィルフリードは私を離れて、乗客たちに向けた。
情報交換した結果、調べ終わった部屋はすべて異常なし。
「船員さんたちはまだ空き部屋と準備室などを調べています。残ったのは一番奥にある二部屋だけです」
「カルロスの姫様とブリストンの若旦那様の部屋ですね」
やはり、ウィルフリードはどの部屋に誰が住んでいるのを知っている。
「あのお二人は、先ほどホールで不愉快なことがあったらしい、唐突に邪魔しに行くのが失礼だと思いまして……」
「姫様の部屋は私に任せてください」
ほかの人が迷っているうちに、先手を取った。
「ホールでお世話になったから、お礼をしに行きます」
「では、僕たちは姫様ところに、ブリストンの若旦那様のほうは皆さんにお願いします」
ウィルフリードはほかの人の行く先を決めた。
「なにがお願いします? 大勢集まっていて、サークル活動でもやっていますか?」
噂をすれば、子爵息子が現れた。
「ブリストン様、ちょうどいいところです。少々面倒なことがありました。ご協力をお願いしたいです……」
「入口で船員から例の事件を聞いたが、それですか?」
「入口……とういうことは、封鎖が解除された後、まだお部屋に戻っていないですか?」
「ずっと船尾で体を冷やしていたが……」
「では、詳しい話はこちらへ」
ある中年紳士はブリストンを別の方向へ案内した。
私の隣を通る時に、子爵息子はいきなり止まって、視線を私に刺した。
その痛いほど人を刺す目線は意味不明だが、少なくとも友好の意味ではないとわかっている。
「お前、一体何者?」
「私のことですか?」
水かけの挨拶をしたのに、私のことが知らないというの?
答えるつもりないが、私の代わりにウィルフリードは返事した。
「お嬢様のことより、例の事件のほうが緊急です。ご協力をください」
「……」
ブリストンは一度唇を噛みしめて、紳士が案内した方向へと歩きだした。 途中で一回振り返って、こっちを睨んだ。
「お知り合いですか?」
「知らないです」
私のことが知らない人を知る必要はない。
「もしかして、あなたに一目ぼれして、関心を引き寄せるためにわざと嫌がらせをしたのでは」
「どこかの三流ロマンスか!」
「冗談です。でも、三流ロマンスとはいえ、意外に気持ちを楽にさせる効果がありますよ。たまに読んでも悪くないと思います」
悪党のくせに、普段そんなものを読んでいるの……
「犯人はまだいるとしたら、恐らくカルロスの姫様の部屋にいるでしょう」
遊びはもう十分だったのか、ウィルフリードは本題に戻った。
「あんたもそう思うの」
私の判断も同じだった。
「あなたもそうですよね。何か手掛かりでも掴みましたか?」
「特にない。だた、犯人があのブリストンの部屋に入ったら、状況はこんな静かでいられないと思った。でも彼はずっと部屋にいなかった。その判断は間違ったのかもしれない」
「いい考えではありませんか? 他人の導きを頼る人より、自分で考える人が好きです。たとえその判断が間違ったとしてもね」
たとえ、間違ったとしても……
姫様の部屋の前で、ウィルフリードと一度目線を交わしてから、ベールの糸に手を伸ばす。
とたんに――
!!
またきた!
冷たい刃物に刺されたような痛みがお腹を襲った。
腕で体をきつく抱きしめて、倒れないように必死に両足を支える。
「大丈夫?!」
ウィルフリードは速やかに私の肩を支えてくれた。
「……大丈夫、よくあることよ……すぐ治る」
幸い、痛みは数回だけで止まった。
さっそく呼吸を調整し、体勢を整えた。
ウィフリードは私に視線を送ったまま、何も言わなかった。
この前話した「薬探し」のことでも思い出したのでしょう。
その気になりそうな視線を見ないふりをした。
「じゃ、入りましょう」
顔色が大体回復したと感じたら、ベルを鳴らした。
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