第10話 地下診療所
翌朝。今度はヤコフに朝早くから起こされた。
「さあて、食うもん食ってるんだから働かないとな!」
私は、ヤコフと同じところで働くこととなった。診療所だ。
当然、いくら理想郷だからと言って、働かなくていいわけにはいかない。
一応、私も地上で育った身なので、専門的なことはわからないが基本的な医療の知識はある。ヤコフが来る前は、傷は唾をかけて放置なんてことが当たり前だったそうなので、まあ少しは戦力になるだろう。
ヤコフはというと、科学者というだけあって私よりもずっと医療に詳しい。まさにこの村の生命線である。
「残念だがこの場所に休日ってもんはないんだ。年中無休で働いてもらうぞ!」
「えぇ……」
土日祝なんてものはない。それに給料もないから、かなりブラックである。
とはいえ、“働かざるもの食うべからず”だ。食と住がもらえるのであればそれでいい。
診療所はというと、かなりこざっぱりとしている。あるのはいくつかのベッドのようなものと、椅子がいくつか、そして少しの医療器具っぽいものだけだ。
包帯の代わりには、魚の皮を剥いで、すすぎ、蒸して殺菌したものを使っている。よくもまあ、こんな所で包帯なんて作るものだ。
「俺が何年という歳月をかけて作り上げた、地底世界初の診療所はどうだ?」
「な、何というか…すごい…親近感がありますね……」
「地上のものと比べちゃいかんよ。ここは地底なんだから」
そんな雑談をしていると、早速、最初の患者が来た。
「足を滑らしてしまってね。けがをしてしまったんよ」
患者は漁師。彼の足にはそこそこ大きなすり傷がある。
「よし。早速取り掛かるぞ」
そう言うと、ヤコフは例のばんそうこうと精製水を持って来た。隣で突っ立ているだけの私など気にも留めない。傷口の深さやそのほかいろいろなことを確認し、
「ちょっと痛くなるぞっ」
そう言って、傷口を精製水で洗い流して包帯を巻いた。接着剤はないのでただ巻くだけだ。
「お大事に」
ヤコフはニコッと笑う。患者も傷口から視線を変え、
「ありがとうな」
と言ってニコッと笑った。一人と一匹は固い握手をし、患者は湖のほうへ歩いて行った。まさにプロの仕業だ。
「あの魚人も友達なんですか?」
「当たり前だ。村の人とはだれとでもああやって俺は接する」
「へえ…」
「あと…」
「何ですか?」
そう言ってヤコフのほうを見ると、顔にしわが寄っているのが分かった。
「魚人という言い方はやめるんだ。匹で数えたりするのもやめてくれ」
一気に緊張感が漂う。背筋が凍った。彼の険しい表情を見るのは初めてだ。
「彼らには彼らの名前がある。彼らと私たちはおんなじだ。人とおんなじなんだ」
私がかなり驚いているのを見てか、トーンを一つ下げて言った。
「君が使っている言葉は人間という種族の言語だ。共通の言語じゃあない。対等にならない限り理解しあえないし、友達にだってなれない」
……
少しの間沈黙が流れる。
ヤコフは私の背中を押した。その先には二人目の患者がいる。
「どっどうも……」
ぎこちない。彼らに自分から話しかけるのは初めてだ。
「どうも。こんにちは」
ゆっくりと、穏やかに彼女は言った。患者はおばあちゃんとその付き添いだ。ヤコフのほうを振り返ると、遠くで微笑んでいる。
「今日はどうされましたか?」
「うちの母親の調子が悪くて」
付き添いの人が言う。
そう言ったとたん、おばあちゃんがせき込んだ。
「っえぇ……」
どうすればよいのだろうか。なぜせき込んでいるかわからない。とりあえず、温度計で温度を測ってみよう。
ヤコフ手作りの、あのなんか液体が入っているタイプの温度計をおばあちゃんのわきに挟んだ。しばらくして、
40.7度。
「っえ!?」
……これはまずい。高熱だ。
気配がして、後ろを振り返るとヤコフが立っている。
「固定概念にとらわれるな。ここじゃそれぐらいが平熱だ」
我々にとっては高温だが、彼らにとっては平熱のようだ。
「加藤さん…でしたっけ……?」
「はっはい!」
「うちの母、肺が悪いと聞きまして……」
「あっああ。肺が…悪いんですね…」
「でも、ヤコフさんに治療してもらって。具合が悪くなったら、経過観察…でしたっけ?それになるって聞いて」
「経過観察?」
「一週間で退院できるそうで」
「はっはぁ……」
また悪い予感が。
「さあて、研修生君。初日から悪いんだけど、重要任務だ。おばあちゃんを介護してあげてくれ」
後ろから、ヤコフが白い歯を見せて言ってきた。
めんどうくさいことになった。誰かも知らないおばあちゃんを介護しなければならない。それも一週間。介護なんてまともにしたことがない。
「はぁ……」
思わずため息が漏れた。
焦っている私を、彼女は優しく見つめている。
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