第8話 昔ばなし

西暦1988年、10月。ソ連は地質学発展のため超深度掘削事業を進めていたが、様々な要因によって実質頓挫。ただの直径3メートルの深い穴となった。

そこで政府は、“掘削作業の効率化”と題して世界最大、最強の水素爆弾の実験を秘密裏に行うことを決定したのだった。


「3...2...1...」

バキッゴゴゴゴゴゴゴ……

すさまじい地鳴りとともに、地殻が割れたような、地球が壊れるような揺れが起こった。


「実験…成功です」

誰かがそう言うと、大歓声が上がる。しかし職員はほとんどが政府関係者。そこに地質学者は一人もいなかった。

「さっそく調査隊を向かわせるんだ!ぐずぐずするなよ?準備はできてるんだろうな?」

「はい!今さっきヘリで出発しました!」

「素晴らしい」

「諸君、これでひとまず休憩だ」


激しいローター音、重苦しいスーツ。外に見えるのは凍てつくようなウラジオストク北部の平野。

「なあヤコフ。お前どこの大学卒だ?」

「教えるもんか。でもいいとこだ。科学であの学校に勝てるやつはいないよ」

雑談をする二人の手は汗だくだ。


飛び立ってから三十分、ようやく爆心地にたどり着いた。ヘリから降り、大量の機材も降ろす。機材の中には13000メートル分のケーブルと頑丈なロープがある。

ロープを地面にしっかり固定し、二人は地下へ下りてゆく。1000メートル、2000メートル、二人はどんどんと降りてゆく。

「どうしたヤコフ、ビビってんのか?」

「ビビッてない」

1000メートル降りるたびにケーブルを伝って連絡が来る。周りがだんだんと熱くなっていく。

「現在…摂氏110度!」

特注の耐熱、耐圧スーツもこの熱さと気圧の前ではこたえるようだ。

「……おい、聞こえるか?現在の深さは13000メートルだ。計算ではそろそろ地に足がつくはずだ。どうだ?着いたか?」

職員が落ち着き払って呼びかける。

スタッ

スタ

足が何かに触れた。三時間ぶりの大地だった。

「…………こちら調査隊。“熊は舞い降りた”。」

再び指令室から歓声が上がる。二人もホッとし、早速調査を開始した。爆弾によってできた空洞は広く、まだ熱が残っていてとても熱い。二人は気圧、温度、周辺の様子や岩石の種類、空洞の大きさや形まで徹底的に測った。


あらかた調査が終わり、空洞の形の調査結果を眺めるヤコフ。

「……ん?どうした。もう帰るぞ」

「下のほうに何かある…これは…穴か?ちょっと見てくる」

「あぁそう好きにしな。俺はもう上がるぜ。はぐれるなよ!」


すでにヤコフはケーブルもロープも切り離していた。長さが足りないのである。

穴の下の方へと行くと、目の前には確かに穴がある。

……行ってみよう。

好奇心からか、それとも使命感からか、ためらうことなく穴に入り、進み続けた。

しばらくすると、目の前に赤い模様のようなものを見つけた。

……ん?なんだ?

近づくにつれはっきりする模様の正体。


……それは、文字だった。


「あぁ!」

ヤコフの叫び声が地底にこだました。

……赤く塗られた、見たこともない文字だった。

ヤコフは思わず懐中電灯を落とし、来た道に向かって全速力で走り始めた。

……なんだよあれ、なんだよあれっ……!

そんなわけない。ありえない……!

夢中で走り続けているうちに、自分がどこにいるのかわからなくなった。目印なんてこの場所にはない。人間もいない。地図もガイドもいない。

迷子になった。

「……おい……誰か……?」

震える声で言っても、なにも返ってはこない。

「……っ、おーーーーいっ!」

……それでも返ってはこない。

……どうなってんだ。うそだろ……?

待ちきれず、あてもなく走り始めた。どんなことがあってもいいから、死にたくはなかった。


走り続けた…どこまでも……


……二時間ぐらい走っただろうか。目の前に霧が現れた。水蒸気でできていた。恐る恐る霧の中を歩いていると、地面にカビやその他見たことのないような生き物が生えていることに気づいた。それらは強く、たくましくそこに生えている。

「一体全体どうなってるんだ……こんな空間はありえない……」

しばらくして霧が晴れ、湖が現れた。

「は……は……」

温度計を見ると、針は29.7度を示している。

「え……?常温……?」

次に気圧計を見た。針は1021hPaを示している。

「何故だ……何故なんだ……」

温度も気圧も地上とあまり変わらない。

「は……ははは……」

……助かった……のか……?


特に理由もなく、遠浅を歩き始めた。しばらく歩くと、遠くに孤島を見つけた。

数時間歩くと完全に体は疲れ切り、孤島についたとたん倒れ込んだ。


心の中から後悔の念が溢れる。頭の中では世話になった人たちの顔が蘇る。意味もなく人生を振り返った。

将来のためと勉強して、名門校に入り、狭い世界で生き、友達なんて一人もいなかった。人と話すことはできるが、それ以上のことは何もできない。やがて大学を出ると、政府の下で働く人生を選び、言われるがままに動いた。科学の知識が買われ調査隊に入ると世界はさらに狭くなっていった。極秘で動くことの方が多くなり、いつも同じところで、同じようなことを繰り返した。

そして入ってきた“実地調査”の任務。この頃はまさか帰らぬ人になるなんて思ってもみなかった。

……そんなことを考えていると、いつの間にか眠くなってきた。


夢の中で死ぬんだろう……


……いや。死なない。死んでたまるか。絶対に帰ってやる。

疲れが取れると、再び歩き始めた。もうハバロフスクにあった穴はふさがれ、隠され、私はいなかったことになっただろう。きっとこの場所が掘り返されることは一生ない。

となれば、唯一の望みはここからちょうど南にある日本。あの国は今景気がいい。もしかしたら13000メートルまで何か掘るようなことがあるかもしれない。日本までの距離はおよそ1000キロメートル。一か八かだ。これにかけるしかない。


湖で魚を捕っては、地熱で蒸して食べた。水を蒸発させて塩気を取り、飲んだ。スーツにあった鉄のストラップを布でこすって磁石にした。方位を測り、ひたすらに進んだ。


「着いた……」

丸一か月進み続け、計算ではおよそ日本の真下辺りだ。

……それで、どうすればいいんだろうか。ここで待つしかない。

「はぁ……」

大きくため息をつき、座り込んで地底の天井を見上げた。

この一ヶ月間、ほとんど感情を無にして進んでいた。感情を無にできなければ、きっと自殺している。そうなるくらいなら、感情をなくした方がましだ。

しかし、それでもなぜか目からは涙がこぼれた。もう精神が限界なのだろう。無にする力すらも残っていない。

次の瞬間、夢の中へと引きずり込まれた。


そして覚めないまま何かにゆすられ、どこかへ連れていかれた。

小さい船は、長い長い旅を続ける。


行先は、“オアシス”だった。

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