第1話 上の世界
暗闇に包まれた空間に、私はいた。
……ここはどこだ?
何か…動いている。
目の前には丸い核、細長い無数の染色体。
これは…細胞?
染色体が端に集まって……
あっ…分裂した。
目覚まし時計が鳴った。また一日が始まったのだ。
寝返りを打ち、ため息をつく。何だか今朝はやけに疲れている。まだ六時間しか寝ていないからだろうか。
7月2日、火曜日。スマホにはそう書いてあった。
あくびをしながら朝ご飯を作る。今日はただのご飯と玉子焼き。
コーヒーと牛乳を準備すれば完璧だ。
席について日課のニュース。
「おはようございます。今日は7月2日火曜日です」
「まずは最初のトピックから。」
「“与党の支持率30パーセント台”」
またため息をついた。わかってる。どうせ次の選挙で落ちるんだ。今更無駄だ。
こんな居眠りばっかりの、たまたま当選した、雑用係なんていらないだろう。
……
つまらないよな。
…行くか。
ーこうこうと照らす太陽、小鳥たちのさえずり。セミの声が聞こえ、子供たちがカラフルな服を着て遊んでいる。
2019年、東京。紺色のスーツを着て明治公園のベンチで缶コーヒーを片手に空を見上げている一人の男、これが私だ。私の名前は加藤深。31歳、国会議員だ。人生を普通に過ごしている。
今日も平和だなぁなんて思いながら新聞を眺める。そしてこの前の国会が頭をよぎる。
国会は例のごとく“地底”の話で持ち切りだ。ああしろだのこうしろだの、現場も見ないでものを言う。与党が意見を言って、野党が猛反発する。結局どっちつかずになり、私はその様子を寝るなり眺めるなりするだけ。政治は進まない。
今日も眠い一日だ。
「加藤さーんっ!」
聞きなれた声が遠くでする。真っ白のスーツに真っ黒の半ズボン。彼女は私の秘書だ。米浦あかり。私と同様に最近この職に就いた若手だ。
「山本議員がお呼びですっ!急務だそうですっ!」
「ええ?」
「急務ですよっ!」
「わかったよ」
「さあ、行きましょうっ!」
重々しい腰を上げ、国会事務所へと急ぐ。秘書さんは、不完全な完璧主義者のようで、見ていると面白い。キッチリ済ませようとするが、必ずほころびが出る。案の定、タクシーを呼ぶのを忘れていたようだ。
「…すっすみません…」
「いやいいって。そういうこともあるって」
SNSで拡散されつつも、何とかタクシーを捕まえ国会へ急ぐ。
国会事務所に到着すると、汗だくのまま山本議員の元へと向かう。こういう時は、たいてい応接室で待ち合わせだ。
応接室のドアをノックすると、いつもの声が聞こえてくる。
「はいっていいよ」
「すみません、遅れてしまって」
人生で何度目かもわからない謝罪だ。山本議員はもともと温厚な人なので怒られることはない。失敗ばかりの私にはまさしく理想の上司だ。
「まあまあ、謝ることはないよ。さあ座って」
落ち着いた優しい声。万人に心のゆとりを与える。隣ではもっと汗をかいた秘書さんが小声で「すみませんでした、すみませんでした、」を連呼している。
「急で悪かったねえ。さあさ、水でも飲んで落ち着いて」
今朝からコーヒーと牛乳しか飲んでいないので新鮮な感じがした。生き返る喉。薄暗い小さな応接室で話は続く。
「単刀直入に言おう。君にとあるところに行って現地視察をしてもらいたい」
嫌な予感がする。私は若手だし雑に扱われている。しかし山本議員の落ち着いた表情の裏に真剣さがある。普段とは比べ物にならない雑用をさせてくるかもしれない。
「あるところ、とは?」
「地底だよ」
「地下13000メートル。君は国会議員として初めてあちらの世界に行くんだ」
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