第44話 常識が常識でない世界

「さて、今日から行動開始だ。とにかく周りには気を付けてくれ。

 おおよそ信用するには危ない相手ばっかりだから」


「わかりました。ナハクさんもよろしくお願いしますね」


「うん、任せて。僕とセイガが必ず守る」


「ウォン」


 リュートは自信満々に言ってのけるナハクを見て微笑む。

 そして、彼は「また後で」と言って背を向けて歩き始めた。


「で、私達はここにいる生徒を探すで良いのよね?」


 隣を歩くリゼの言葉にリュートは頷いた。


「あぁ、合ってる。これから探すのはソウガ=ユークリッド。年齢18歳の青年だな。

 リゼはこの人と面識はあるのか?」


「そりゃあるわよ。印象を言うなら、見た目は威圧感あるけど基本的に気前の良い人物よ。

 私は用がある時以外男の人と話さなかったからそれ以上の詳しい印象はわからないけど、彼のことだったらナハクの方がよく知ってるんじゃないかしら?」


「そうなのか。ま、話が通じる相手であればいいや」


「悪かったわね、初対面で粗暴で」


「何も触れてないですやん」


 急に不機嫌になるリゼにリュートは困惑する。

 そんな彼の反応を見て、リゼは「冗談よ」と笑った。

 彼女の尻尾がゆらりと揺れる。


「それでどうやって探すの......って確かあんたの小型通信機アクシルは特別製だっけね」


「試作品だけどな。でも、リゼの時もこれで見つけたのは確かだ。

 手ぶらで行ってもいいんだが、こっちの印象としてはちょいと弱いだろう。

 というわけで、ちょっくら寄り道してくぞ」


 リュートが近くの路地裏に入った。

 通りのギラギラした雰囲気とは違って、少し入っただけでその道はガラリと雰囲気が変わった。

 まるで夜の森のような薄暗いその場所には、薄汚れた壁に寄りかかった浮浪者のような存在達が二人を眺める。


 平然とリュートが歩く一方で、リゼは気味悪そうに視線を彼の背中だけに集中した。

 スラム街に近い場所に住んでいた彼女でもこの場所の雰囲気が慣れないようだ。

 というのも、ここに住む人達はリゼ達知ってる浮浪者達と質が違う。


 リゼの家の近くに住んでいた浮浪者達は“死んだ目”という点では同じだが、どちらかというと勝手に落ちぶれた者達やもともと家が貧乏だったという人達だ。

 故に、貧乏は貧乏なりに必死に生き抜くような生活をしているのだ。


 しかし、ここにいる者達は違う。

 ここの者達はほとんどが“落ちぶれさせられた”人達なのだ。

 誰かを信用し騙され、自分の財産を奪われたり、大切な人を買われたりなど人間同士の醜さに揉まれ、生き地獄を味わってる人達なのだ。

 故に、彼らは自分が這い上がるためのエサを探す、飢えた獣に等しい。


 また、金が全てのこの箱庭では貧富の差がハッキリとしているのも特徴だ。

 同時に、それは金さえあれば貧富になれる可能性があることも示唆しており、どのように効果的に金を生み出そうかと考えている金の亡者でもある。


 そして現在、リゼが受けている視線は「あの少女を娼婦として売れば金を手に入れられるのでは?」という意味合いがほとんどだ。

 しかし、誰も動こうとしないのは、身の丈ほどの大剣を背負っている男が近くにいるから。

 命あっての物種である。


「リュート、あんたが一人にならないよう強く勧めた理由がよく分かったわ」


「少しでも理解できたなら何より。でもま、これはまだ序の口さ」


 リュートとリゼがしばらく路地裏を歩いて行けば、やがて一つの隠れたバーにやってきた。

 看板に「金色の風」と書かれた店に入れば、ガヤガヤとした雰囲気に包まれていた。

 しかしそれも、リュート達が店に入った途端静まり返る。


 人相が悪そうな男達が睨みつけるように見る中、一人の大柄な男がリュートの前に立ちはだかる。

 そんな男の圧にも負けず、リュートは涼しい顔で目線を返す。


 大柄な男は大きく手を振り上げれば――思いっきり肩を叩いた。


「リュートじゃねぇか! デカくなったな!」


「久しぶり、タンザフ。お前も相変わらずデカいな」


 タンザフと呼ばれた大柄な男はリュートの肩を組めば、周りにいる男達にも声をかけた。

 すると、店にいた男達の誰もがリュートのことを知っているようで、好意的な声を上げた。

 そんな状況にリゼは一人状況が読めず蚊帳の外。


 リュートはタンザフに勧められるままに、近くの席に座っていく。

 リゼも周囲を気にしながら、借りてきた猫のようにリュートの隣に座った。

 彼女は狐人族フォクシアンであるが。


「にしても、こんなところに訪れるとな。五年ぶりぐらいになるか?」


「そのくらいだな。そっちも元気そうで何よりだ」


 タンザフはリゼに目線を向けた。

 その視線にリゼは身構える。


「この嬢ちゃんはどうした? もしかして二人目のコレか?」


 左手で小指を立てるタンザフ。

 リゼは「二人目?」と気になる言葉に心がザワつく。

 タンザフの言葉にリュートは首を横に振った。


「いや、今仕事中でな。ちょっと人数がいるんで手伝ってもらってる。

 ほら、こんな治安の悪い場所に女の子を一人にさせるわけにもいかないだろ?」


「それもそうだな。パッと攫われて犯された挙句に売られるのがオチだ。

 気が強そうな嬢ちゃんだから余計にな」


「気が強いと狙われやすいの?」


 リゼの素朴な質問にタンザフはサラッと答えた。


「そりゃ、普段強気な女の方が堕ちた時の扱いが楽だからな」


 その言葉にリゼはゾッと背筋が寒くなった。

 彼女は自分の常識が通じない存在としゃべっているかのような気分になったからだ。


「どういう意味......ですか?」


「簡単な話だ。普段気が強いってことは、自分を大きく見せてるってこと。

 つまりは周りに自分は大きい存在だとアピールしなけりゃ、本当は心が弱っちいことがバレちまうってことだ。心が弱い人間は扱いやすい。

 一方で、俺達のようなアングラに住む存在にとって一番厄介なのは精神がタフいことなのさ。

 故に、気が強い女は“自分の心は弱いんです~”って公言しているようなもんで、狙われやすいって話さ」


 リゼは顔色を悪くした。

 まるで自分に言われているように感じたからだ。

 彼女は店の外に出て外の空気を吸いたい気分に駆られたが、すぐに思い出す。

 この店もといリュートが近くにいるこの場所が一番の安全地帯だと。


 タンザフはリゼの様子をチラッと見ると、リュートに声をかけた。


「なんか脅しちまったみたいだ。悪いな」


「いや、リゼもそう思ってないだろうから気にしなくて大丈夫だ。

 それよりもここがどういう場所なのかってのがより実感させられたことに、むしろ俺は感謝したい。

 ここはどんなに警戒してても何かしら痛い目見ないと理解できない場所だからな」


「だな。そういや、今更ながらお前はガイル達と一緒じゃないんだな。

 大抵ここに来るときはみんなでバカみたいに飲み散らかす時だったじゃないか」


「それは......」


 リュートは顔を俯かせ、唇を噛んだ。

 彼は友人のようなタンザフに身に起こった出来事を話すかどうか迷った。

 脳内で考えた挙句、拳を握れば口を開いた。


「実は――」


 リュートはありのままのことを話した。

 今彼が何を目的として動き、何のためにここにやってきたか。

 その話の内容にタンザフは段々と表情を暗くし、やがてジョッキの酒に映る自分の顔を眺めた。


「そんなことが......お前も酷い目にあったな。せっかくあの地獄を生き抜いたってのによ」


「俺もたくさん魔族を殺してんだ。恨まれることは受け止めてる。

 だが、妹のネリルは誰も殺していない。

 アイツだけは巻き込まれることはあっちゃいけないんだ。

 だから、ネリルを取り戻す。

 俺はネリルの幸せのために戦ってきたんだから」


 リュートの言葉に、リゼは横から顔を眺めた。

 これまで聞いたことない彼の確かな本音の言葉。

 同時に、自分が傷つくことに躊躇がない理由も。


 彼女は思った。

 このまま聞いてるだけでいいのか、と。

 聞いてるだけの存在じゃいつまでたってもリュートから本当の信用は得られない。

 今はまだ力不足でも、それでもかけれる言葉ぐらいはあるはず。

 今度はあの時みたいに迷わない。


「リュート、あんたは一人じゃないわ。私がいるもの」


 その言葉にリュートはふと顔を上げてリゼを見た。

 彼は柔らかい笑みを向けると言った。


「ありがとな。助かる」


「お互い様よ」


 そんな初々しさがあるものの、確かな繋がりが見える二人のやり取りにタンザフは唇の端を上げた。

 そして、彼は後ろに振り向けば、周りの男達に声をかけていく。


「聞いたか、野郎ども。俺達の酒飲みの友達ダチが別れも言えず旅立っちまった。

 だから、せめて今からでもアイツらの冥福を祈ってやろうぜ。全員、ジョッキをかかげろ」


 タンザフの声に周りの男達やマスターまでもがジョッキを掲げた。


「献杯」


 男達は一斉にジョッキに口をつけて酒を喉の奥に流し込んでいく。

 脳裏には昔のバカ騒ぎした記憶を思い出しながら。

 そんな彼らの姿にリュートは笑みを浮かべた。


「ありがとな。そう言ってもらえて家族の俺も嬉しいよ」


「いいさ、このくらい。アイツらは外からやってきていつも楽しい話を聞かせてくれた。

 しかも、ノリも良かったからな。あそこまで気が合うと思った連中もここじゃいないからな。

 リュート、お前は俺達がアル中で死ぬまで死ぬんじゃねぇぞ。

 どうにも昔っから無茶する性格だからな」


「わかった。約束するよ。だが、酒で死ぬのはダセェからやめておけ」


 それから、しばらくリュートはタンザフと他愛のない会話を続けた。

 それはこの街に関する情報交換も兼ねてだったが、割合としては懐かしさに花を咲かせていた。


「それじゃ、ここじゃそのガルバンって男が仕切ってるのか」


「あぁ、そうだ。話を聞く限りじゃ相当あくどいことをしてるらしい。

 アイツは金のためならなんでもやる。まさに金の亡者の王と言う感じだな。

 悪いことは言わねぇ、近づかないことが一番さ」


「気を付けておくよ。んじゃ、俺達はそろそろ出発するわ」


 リュートは席に立ち上がれば、マスターに一つお土産に良さそうな酒を注文した。

 マスターが厳選してくれたお酒を買った彼はリゼと一緒に店を出た。

 裏路地から大通りに出る。


 少しだけ西に傾いた太陽に眩しさを感じたリュートが手をかざして日差しを防ぐ。

 すると、その横でぼんやりとした表情をしていたリゼが口を開く。


「良い人達ね」


「そうだな。見た目で誤解されがちだが、話してみれば気さくな人達なんだ。

 とはいえ、普通に暮らしてる人からすりゃ、あの見た目の人には近づきたくないと思うのも当然のことだと思うが」


 リュートはチラッと横目でリゼを見る。

 そして、質問した。


「俺が怖くなったか?」


「え?」


「俺があんな見た目の怖い連中とつるんでることがさ。

 俺からすりゃ良い人達なんだが、それでも危ないことに一歩どころか数歩進んでることには変わりない。

 そんな人達が知り合いにでもいるとしたら、普通は印象が変わるだろ?」


「そういう意味ね。それなら問題ないわ」


 リゼの回答にリュートは首を傾げる。

 彼女の表情から見ても嘘はついてないように見えるが。


「私だって住んでた場所は十分に薄汚い場所よ。

 であれば、似たような連中は十分に見たことある」


「だとしたら、なんであんなにタンザフの言葉に怯えてたんだ?」


 リュートが質問すれば、リゼは「そうね」と腕を組む。


「なんというか、あの人が言った時の目がね......質が違ったの。

 私の質問に答えてくれたあの時の目、まるで誰かに挨拶を交わす時のように自然な目をしてた。

 その時にね、『あ、この人達にとってそれほどまでに当たり前のことなんだ』って思ったの。

 そしたら、急に自分が今いる環境が悍ましく感じてきて」


「なるほど.......」


 常識の差。

 それがリゼが感じている恐怖感の正体だ。

 どこかの種族では挨拶に言葉を交わし、別の種族ではハグでもって挨拶をする。

 それと同じようにこの箱庭では女性に対しての地位があまりにも低い。

 いや、それ以上にこの箱庭の人達はなのだろう。


 故に、この箱庭ではお金が持ってるやつが強く、偉い。

 お金を持っていない奴はどこまでも落ちぶれ、光に吸い寄せられて近くの暗闇に群がる虫けらになり果てるのだ。


 リゼはそこまでの認識には至っていないが、それでも獣人としての勘の鋭さ故に言葉の奥に隠された得体の知れない恐怖を先に感じ取ってしまったのだ。

 だから、タンザフの言葉に恐怖した。


 リュートはリゼの姿に、昔自分にくっついて歩いていた妹の姿を重ねた。

 すると、彼の手は自然と恐怖を取り除くような動きになる。


「ま、ここは君の肌に合うような場所じゃないのは確かだ。

 だから、ここにいる間はちゃんと俺が守ってやるから安心しろ」


「っ!」


 ポンと頭の上に置かれた手にリゼはドキッと心が跳ねた。

 一瞬、自分が帽子を被ってることに対して悔しがったが、すぐに目を閉じて思考を切り替える。


「子ども扱いしないで。これでも私は成人してるのよ」


「そいつは悪かった。だが、俺の方がまだ世界を知ってるから、ここは先輩の後ろについてくるのがおススメだぜ」


「まぁ、あんたがそこまで言うなら......」


 リゼは赤らめた顔を帽子のつばを下げて隠す。

 しかし、尻尾は正直なようでしばらくの間、ゆらゆら揺れていた。

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