第15話 緑の巨人

 武器を構えて立つリゼとリュート。

 二人の目の前には、見上げるほどに巨大化したトラ男の姿がある。

 トラ男の血走ったような眼光は睨むだけで人を失神させそうな迫力を放ち、血管が浮かび上がるほど膨張した筋肉は敵に敗北のイメージを植え付ける。


 しかし、そんな敵を前にしてもリュートに臆した様子は無い。

 リゼも彼がいるからか力強い視線でトラ男を見ていた。

 そんな二人の様子にトラ男は鼻息を荒くして言った。


「ムカつくぜ!」


 グオオオオ! と叫べば、トラ男は鋭い爪でもって二人に攻撃を仕掛けた。

 その攻撃を二人が左右に分かれて躱していく。

 直後、床にはくっきりと切り裂いた跡が出来た。


 その光景を見たリュートはすぐさまリゼに声をかけた。


「リゼは出来るだけ離れて戦え。接近戦は俺がやる」


「わかったわ。援護は任せなさい」


「ハッ、俺の前で堂々と! だったら、そっちの女を先に潰すだけだ!」


 トラ男はギロッと視線をリゼに向ける。

 グルルと牙を見せながら呻れば、素早く動き出しリゼへと大きく右手を振りかぶった。

 その瞬間、リゼを庇うようにリュートが立ちはだかる。


「俺を無視すんなよ。寂しいだろ」


 トラ男が振り下ろした爪は、リュートの大剣の振りによって弾かれた。

 そのことにトラ男は「ぐっ!?」と目を開き、弾かれた反動で右足を一歩下げる。

 自分よりも小さい相手に力負けをした、その事実に口元を歪め、牙を見せつける。


「テメェ、さっきの俺との戦い、本気じゃなかったな?」


 トラ男が睨みつけて言えば、リュートは涼しい顔で煽る。


「最小限の力で勝てるのが一番だろ? 傭兵家業は動いてばっかだから疲れんのさ」


「舐めやがって......調子乗って後悔すんなよ!」


 トラ男はリュートに向かって爪を振った。

 それは一回だけに限らず、何度も凶悪な爪がリュートの命を奪おうと向かって来る。

 空を切り裂く爪は風圧にも斬撃性を持っているようで、度々爪が外套の一部を引き裂き、布の切れ端が宙を舞っていった。


 全ての攻撃をリュートはギリギリで躱していく。

 しかし、次第に彼は壁際に追い込まれ始めた。

 チラッと背後を向けば、後二メートルもない距離に壁が見える。

 その事実に僅かに目を開くも、すぐに目線をトラ男に戻した。

 一方で、そんな彼にトラ男はニヤァと笑みを見せた。


「どうした? さっきの威勢はどこに無くしたんだ?

 俺の爪にビビッて手も足も出ねぇんだろ!」


 トラ男は威勢よく言った。

 爪がリュートの前髪に触れる。

 パラパラと赤い髪の毛が宙に漂う。

 しかし、リュートに臆した表情は無い。


「確かに、テメェのリーチと床を抉る一撃は凶悪だ。俺も攻めあぐねているのは事実。

 だが、俺ばっかに集中してていいのか? テメェは知ってるはずだぜ? 俺が一人で戦ってないことを」


「ハァ?」


 トラ男は眉を上下互い違いにして首を傾げる。

 瞬間、思い出した。

 リュートに煽られたことでの怒りでつい意識を割きすぎてしまい、先ほどまで近くにいたもう一人の少女の存在を忘れていたことを。


「まさか――がっ!?」


 トラ男が振り向こうとした。

 それよりも早く、背中から強烈な電撃が直撃した。

 それは瞬く間に全身へ巡っていく。

 撃たれたことによる背中の痛みと熱、全身の痺れにその男は数秒苦悶の表情で停止した。


「背中ががら空きよ。っていうか、私のことを忘れてもらっては困るわ」


 リゼが両手の銃をトラ男に向ければ言った。

 その言葉にその男はさらに口元を歪め、拳に血がにじむほど力が入る。


「クソが! どいつもこいつも舐めやがって!」


 トラ男は顔を上に向け、胸を上に向けるように体を逸らせる。

 ウガアアアァァァ! と猛々しく吠えた。

 その男に対し、リゼとリュートは至って冷静な様子だ。


「死ね! クソが‼」


 トラ男は暴言を吐き、リュートを見た。

 大きく右手を伸ばし、再び爪での攻撃を仕掛ける。


 リュートはその攻撃を弾こうと大剣を振るった。

 だが、今度弾かれたのは彼の方で、大きく後ろに後退していく。

 彼は大きく目を開いた。力が増してる、と。


 それからのトラ男の怒涛の連続攻撃にリュートは防戦一方。

 躱しさえしているが、どんどん後ろに下がることを余儀なくされる。

 しかし、ある瞬間それ以上彼に後ろのスペースが無くなった。


 壁に追い込まれたリュートをトラ男は間合いをさらに潰していく。

 立てた爪を右から左へ薙ぎ払った。


 その攻撃をしゃがんで躱すリュート。

 そこへトラ男は右足で下段蹴りをする。かかった! と。


 リュートは咄嗟に息を呑んだ。

 今の彼の位置は壁際であり身の丈ほどの大剣を振り回すスペースはない。

 相手の攻撃を避けるという後手に回ってる状態で振り回す時間もない。


「こっちを無視してんじゃないわよ!」


 その時、リゼが注意を引くようにトラ男に向かって銃弾を放つ。

 それはその男の背中に直撃し、一瞬攻撃を遅らせた。


 その隙をリュートは見逃さなかった。

 彼は右手に持つ大剣を逆手に持ちかえ、横に振るった。

 巨大な刃がトラ男の足を刈り取ろうと動く。

 しかし、それはトラ男が宙返りすることで躱されてしまう。


「これで頭かち裂かれてしめぇだ!」


 トラ男は着地すると、すぐにリュートに左手を大きく振りかぶる。


 瞬間、リュートは自分の周りに大剣を振り回す程度のスペースがあることを確認する。

 そして、柄を両手に持ち、その攻撃に合わせて振り上げた。


 大剣の刃と鋭く伸びたトラ男の爪がぶつかり合う。

 「オラァ!」とリュートが力で押し切ればトラ男の爪を破壊。

 攻撃が弾かれた反応でバランスを崩したトラ男。

 そこへリュートが後ろ回し蹴りを顔面に直撃させる。


 「がっ!」とトラ男は体を反転させる。

 口の中を切ったのか、口の端を僅かに血で濡らして。

 そこから見えた先には床に座って怯える役に立たない男が見えるのみ。

 先ほど攻撃を撃ってきた小娘の姿はどこにもない。


「こっちよ」


 声に反応してトラ男が見れば、少女が懐にいる。

 さらに銃口を胸部につきつけていた。


 トラ男はすかさず息を呑んだ。

 「待て」という言葉を言いきる前に、リゼは引き金を引く。


「貫雷弾」


 銃口から放たれた雷の弾丸は瞬く間にトラ男の背中へと突き抜ける。

 ゼロ距離からの高電圧の感電攻撃にトラ男の胸部は僅かに焦げており、背中の同じ位置にも焦げ跡が出来ていた。


 トラ男は「がっ」と内部から込み上がってきた血を吐いた。

 さらに全身を走り抜けた雷に白目を剥き、両腕をプルプルと痙攣させる。


「まだだあああぁぁぁ!」


 直後、トラ男の目に黒目が戻った。

 同時に、突然叫んだかと思えば、すぐさま自身の周りから敵を蹴散らすように雑に腕を振り回していく。


 距離を取って回避したリゼは巨獣化という現象に眉を寄せ、ため息を吐いた。


「ハァ、噂には聞いてたけど、本当に耐久力が跳ね上がってるようね。

 これまでの一連の攻撃からの私の高火力の攻撃も耐えるなんて。

 ゼロ距離よ? ゼロ距離。ちょっと自信失くすわ」


「だが、二対一には変わりない。このまま油断せず終わらせるぞ」


 瞬間、リュートの言葉を聞いたトラ男はピタッと暴れていた体を止めた。

 顔を軽く上に向け、目線はまるで虚空を見ている位置に。


「二対一......そうだ、二対一だからこんなイライラすんだ。

 だから、こんなに舐められんだ。だったら、変えりゃいい」


 トラ男は体の向きをリゼの方へ向けると、ゆっくりと歩き出した。

 その行動にリゼは咄嗟に身構え、リュートは武器を構える。

 しかし、どこかおかしい男の様子に二人はすぐに動きを止めた。

 なぜなら、トラ男はリゼを素通りしていったからだ。


「へ?」


 トラ男が立ち止まったのはリゼの父親の目の前。

 その男の行動にはリゼの父親すら困惑した様子で目を丸くさせる。

 その男は父親を見下ろしながら言った。


「なぁ、お前は魔族を崇めてんだろ?」


「え......あ、あぁ、もちろんだ! 僕の今の命は魔族様あってのものだ!」


 父親は何回か頷きながら答えた。

 その回答にトラ男はニヤッと笑う。


「なら、そんな魔族様からのプレゼントだ」


 トラ男は今にもはちきれんばかりの筋肉に張り付いたような服の胸ポケットから、一つの注射器を取り出した。

 注射器の中身は緑色で如何にも体に良くないとわかる。

 当然、父親も反射的に身を縮めた。


「な、なんだ、それは!?」


「お前が俺達の所に来るよりも先に魔族から渡されたものだ。

 危険を感じたら使え......そう言われてな。

 これも特別な力を与えてくれるものに違いない。そうだろ?」


「そ、それは......も、もちろんだとも! 僕の力は神が与えた力なんだから!」


「なら、テメェもその力で戦え」


 トラ男は少しずつ後ずさりする父親の胸倉をサッと掴み、持ち上げた。

 父親は襟が上がったことで、息苦しそうな顔になった。

 父親の額に脂汗が大量に流れる。


 トラ男が注射器を父親の腕に刺せば、中身を体内に注入していく。

 全てを入れ終わった容器を捨て、父親をドサッと目の前に落とした。

 数歩後ろに下がって距離を取れば、トラ男の前で父親に変化が起こった。


 ボコッと父親の注射器を打たれた箇所が緑色に変色し、風船のように膨らんだのだ。

 その光景に父親はたちまち顔を青ざめさせた。体が変化していく!? と。


 同じくその光景を見たリゼとリュートは目を見開き、口を半開きにした。

 頬のそばには緊張の汗が流れ、その場から動けなかった。


 父親は腕をボコボコと膨らませると、次はもう片方の腕、その次は右足、左足、胴体、首、顔面と原型を留めないように膨らんでいく。


 徐々に膨らんでいけばその膨張具合は二メートルを超えるトラ男よりもさらに大きくなった。

 全長は四メートルほどの全身緑色にでっぷりと膨らんだ“何か”となった。


 胴体が風船のようになり、それにおまけで小さい四肢と顔がついてるようなもの。

 さらに父親が持つ本来の両腕は頭の下から生えてるようになり、またそれとは別の大きな腕が膨らんだ腹から右と左に二本ずつ生えていた。


 顔面は溶けたような感じであり鼻が無い。

 目は無くなって真っ黒になり、口の中も闇を詰め込んだように真っ黒だ。

 目元が辛うじてリゼの父親の面影が見える程度。


 それほどまでに醜く変化したその“何か”を見たリゼとリュートは顔を青くして、目に映る光景をに体を強張らせた。

 これが本当に元人間なのか、と。

 一方で、トラ男は関心そうに頷く。


「ほぅ、これが緑の巨人グレムリンか。

 話を聞いちゃいたが、実際に見るのは初めてだな」


「ア......ウアァ、アゥ.......」


「まともな言語じゃねぇな。ハハッ、やっぱり俺自身に使わないで正解だったわ」


 I緑の巨人グレムリンを落ち着いた様子で見るトラ男。

 そのことにリゼは怒りに口を歪ませ、銃口を向けて叫んだ。


「あんた、私のクソ親父に何してんのよ!」


 その言葉にトラ男は首を傾げた。


「あぁ? テメェ、まだ自分を売った男を親と思ってんのか? ハッ、泣けるねぇ。

 だが、これはテメェが悪いんだぜ? 俺にこんな手を使わせたテメェらが」


「ふざけんな。勝手な言い分で責任転嫁しようとしてんじゃねぇよ。テメェは絶対に許さねぇ」


 リュートは鋭い眼光をぶつけ、柄を握る手に力が入る。

 しかし、強力な味方を手に入れたトラ男からすれば、その言葉に腹を立てることはない。


「ハッ! 勝手に言ってろ。どうせお前は俺達に殺されるんだからな」


「アィエ‶......」


「あ?」


 トラ男は緑の巨人が何か言った気がして視線を向けた。

 しかし、言葉にならない声を絶えず垂れ流しているばかり。

 気のせいか、とトラ男は視線をリュート達に戻した。


 一点を見つめるばかりの緑の巨人は、トラ男の近くの腹から生えた大きな腕を一本振り上げる。

 瞬間、緑の巨人は腕を横に振り抜き、トラ男は強く弾かれた。

 トラ男は盛大に血反吐を吐き出す。


 巨獣化した肉体の防御力を上回る力で攻撃を加えられたトラ男の内臓は、瞬く間にアバラがが粉砕し、その骨が心臓を貫いた。


 あまりの一瞬の出来事にトラ男は苦悶の表情すら出来ていない。

 何が起きたかまるで理解できていないという感じだ。

 そして、壁を突き破ってトラ男は地面に寝転がり絶命した。

 肉体はもとの人間のサイズに戻って行く。


 一方で、緑の巨人はウサギが苛立ちに地面を蹴るタッピングのように、巨大な腕で床を叩く。

 古びた床がギシ、バキッと崩れていくも、されど緑の巨人は動きを止めない。

 直後、言葉にならない声でもって走り出した。


「ァイエ゛ェェェェエエエエエエ!」


 その行動にリュートとリゼはすぐさま顔を引きつらせた。


「ヤバい! 逃げるぞ、リゼ!」


「わかってる!」


 二人は素早く背を向け走り出し、今いる廃屋を脱出する。

 二人の近くには多くの気絶して倒れる“悪食の爪”の男達がいたが、もはや構ってられる猶予は無かった。

 直後、その廃屋を突き破って緑の巨人は二人を追いかけてきた。

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