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 金城カネシロ廃病院。

 坂の上である事と、傍らのか細い街灯でこの位置からでも視界に収める事が出来た。

 来た時に感じていた不気味な雰囲気は遠目からでも健在で、こうして見ていると和輝達を見続ける監視塔の役割を担っているかのような存在感が有る。

 かつては和輝もあの病院に行った記憶は有る。朧げな当時の記憶では、入る前に見上げた窓の中で沢山の看護師達が行き来していた。

 その様子を思い出していた和輝は、廃病院を直視せずにぼんやりと全体像を視界の中に入れた。

 あの頃のように見上げる事は出来ない。

 現在進行形でこんな体験をしているからか、見ていると何だか窓の中から人影が見つめ返して来る気がして。

「確かに怪しいと言えば怪しいわ。もしかしたら関係してるかも」

 でも、とまひろは続けた。

「私は井戸の方が怪しいと思うの。廃病院が関係してるんだったら、彼女が縛られる場所も廃病院になるのではなくって?」

 まひろの言う事も、もっともだと思えた。

 幽霊の知識など小指の先程のものしか持ち合わせていない和輝にも、まひろの言わんとしている事は何となく理解出来る。

 例えば、交通事故で死んだ幽霊なら事故に遭った現場に出て来る。アパートで自殺した幽霊なら、そのアパートや自分の住んでいた部屋に出て来る。

 病院で何らかの原因により死亡し、近くの井戸に出て来る。それは少しピンと来ない。

 それなら夏樹が井戸に現れたのは、そこに直接的な原因が有ると過程した方がまだ想像の余地が有る。

 そう、これも例えばだが。

「なぁ、もしかして井戸の底にアンタの骨が沈んでたり……」

 自分で言っておきながら、瞬は顔を引き攣らせた。

 あの井戸には蓋がされていなかった。

 今の夏樹が溺れるくらいの水は有るらしいから、誤って転落すれば溺死か、それとも餓死か。

「や、無かったですよ」

 潜ったらしい。

 どうやら和輝の推測は外れた様だ。

 そもそもが当てずっぽうに過ぎないのだ。何とでも言える。

 それに、言い当てたからといって何だ、という話ではあった。

 優弥がどう話を持っていく気だったかは知らないが、死因を特定したからといってどうするつもりなのだ。

「何か気になる事、有んの?」

 訊いた上で神妙な顔をして考え込んでいる優弥に、舞が訊ねた。

「……いや、訊いてみただけだ。そうか、記憶が無いんじゃあな」

 舞に顔も向けずに反応した優弥は、そう呟いた後に顔を上げた。

「ま、人を脅かすのも程々にして貰えれりゃ俺は良いかな」

 優弥の忠告に、舞が二、三回頷いて同意した。

「えぇー? やっぱり怖かったですかぁ?」

 今日一日で随分自信が増してしまったらしく、ふやけた顔で夏樹が笑う。

 この分なら、瞬の家に住めば一年中彼女の笑顔が見られるだろう。

「いやいや、そりゃさっきもヤバかったけどさぁ」

 その瞬は、何かを思い出して苦い顔をした。

「井戸に行く前から足音でビビらせて来たじゃん? 前戯にしちゃ」

「『前座』な」

「前座にしちゃやり過ぎだって!」

 良からぬ事を言い出しそうだったので、和輝は慌てて口を挟んだ。

 幸い女子二人……と一応女子とカウントして良いか悩むもう一人は気付いていない様子だ。

 夏樹は黙したまま首を瞬の方に向け、初めて聞く単語の様に繰り返した。

「足音?」

 それは優弥と舞が言及した最初の足音の事だろう。

 和輝達が全力疾走を重ねるきっかけとなった出来事だ。

「あれで井戸の方に誘導したんじゃないの?」

 舞が問う。

 答えは返って来なかったが、五人と一人の間に大きな疑問符が浮かんでいるのが目に見える様で、それが答えになっていた。

「……帰るか」

 そそくさと優弥が後ろを向いた。

 そこに恐怖の感情は無く、これ以上の面倒は御免だ、の文字がハッキリと顔に出ていた。

 同様にして瞬と舞も無言で優弥に続く。

 まひろだけは名残惜しそうに夏樹を見ていた。

 そんなまひろに擦り寄りながら、夏樹は去って行く人間とまひろを慌ただしく交互に見遣る。

「え、えっ! どうしたの!? 井戸は!? 病院は!? 私の記憶は!?」

 非常に残念ではあるが、どれも区切りとなったようだ。

 願わくばカンマではなくピリオドであって欲しい。

「ごめんね。また来るからね」

 勝手な約束を取り付けて、まひろは夏樹の手を握った。

 というか触れるのか、とこの局面で和輝は新たな驚きを得てしまった。

「あ、じゃあじゃあ。最後に一つだけ!」

 夏樹はまひろの手を軽く握り返したかと思うと、手を離して自身の両手で合わせた。

 何か、頼み事でもしたいポーズだ。

 これが本当に最後なら聞いてやらん事もない、と和輝はまひろと一緒に夏樹に身体を向ける。

「憑いてっても良いですか?」

 和輝は、言葉の意味を反芻し、良く理解した意味で頷いて淡々とした口調でこう答えた。

「ダメです」

 この返答だけは、間違っていなかったと思う。

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