短編集

吹雪舞桜

Day01『傘』:ある雨の日の話

「どうしよっかなあ……」

 ポツリと零れた声は雨音に掻き消された。

 素材屋の軒先から見上げた空はどんよりとした分厚い灰色の雲に覆われていて、バケツをひっくり返したような激しい横殴りの雨が降っている。店を訪れた時に見た気持ちがいいほどの青空は見る影もない。夏を目前に控えた今の時期は天気が急変しやすいと聞くので、この雨もその影響なのかもしれないが、それにしては、もう二時間くらいは降っているのに止む気配がないのは如何なものだろうか。

 そんなことを考えながらここで立ち往生すること三十分。来店客や町の住民、早々に店仕舞をした店長たちが足早に帰る後ろ姿を見送ったのが、もうずいぶんと前のことのように思える。

 仲間たちとの旅の途中でこの町に立ち寄ったのは、この先に待ち構えている悪路に備えて物資補給と休憩のためだった。今日は天気が不安定みたいだからという理由から満場一致で一日自由行動と予定が決まったので時間を気にする必要はない。しかし、だからといって、いつまでもここで立ち往生しているわけにもいかないのである。

 何しろ、買い物中に素材屋の店長さんから、広場前にある喫茶店で期間限定のメニューがあると教えてもらったのだ。七夕にちなんだ料理やデザートを七月七日までの一週間限定で出していると聞いて、絶対に食べなければと決意した。こんなゲリラ豪雨くらいで立ち止まっていられない。

 一向に止む気配のないゲリラ豪雨の中へ、意を決して飛び出そうとした時だ。

「よう。雨宿りか?」

 掛けられた声に心臓が大きく高鳴った。

 振り返ればそこには、予想通り、素材屋の軒先に駆け込んできた幼馴染みがいて。彼は目が合うと、見惚れるほどの爽やかな笑顔を浮かべた。

 そんな彼に気付かれないように深呼吸をしながら心の中で、平常心、平常心と唱える。ほんのり顔が赤くなっているような気もするが、ゲリラ豪雨のおかげで仄暗いからきっと気付かれないだろう。

「びっくりした! こんなとこで何してるの?」

「ああ。物見台を建てるのに使う木材がこの雨で腐らないように、雨除けをかけるのを手伝ってたんだ。こんなに雨が強くなると思わなくてびっくりしてる」

「ね。雨すごいよね!」

 そんな会話をしながら彼は当たり前のように、肩が触れそうなほどすぐ隣に並んできた。旅をしている最中は気にならなくても、こうして平和な町中にいるとつい意識してしまう。ドキドキする気持ちを誤魔化すように幼馴染みからゲリラ豪雨へと視線を逸らした。

 ふとこちらを振り向いた彼は首を傾げる。

「宿まで走るか? それとも、もう少しここで雨宿りしてくか?」

「どっちでもないよ。私、まだ行くとこがあるの」

 そう言えば、彼は心配そうな顔を返してきた。

「まだどこか出掛けるのか? この雨の中?」

「うん。広場にある喫茶店に行こうと思って」

「喫茶店? 腹減ってんのか?」

「今日から七夕までの一週間限定で限定メニューをやってるんだって! さっきお店の人に教えてもらってから、絶対食べるって決めてたの」

「なるほどな」

 頷いた彼は、それから考える素振りをした。

 思っていたのと違う反応に戸惑いを隠せず、無意識に小首を傾げてしまう。

 ふとこちらを向いた彼の真剣な表情はもはや不意打ちに近いもので、高鳴った胸がドキドキと暴れていて止まらない。ジッとこちらを見つめる彼の目が、何かを言いたそうにしているのに気付いた。

 彼が何か言うよりも先に、慌てて口を開く。

「じゃ、じゃあさ。せっかくだから一緒に行く? ほら、この雨の中でどうせ濡ちゃうなら一緒に濡れてくれると心強いし、それに二人で食べたほうが美味しいなぁ、なんて……」

 ふと、彼が困ったように笑っているのに気付いた。

 そりゃそうだろう、と頭の片隅で冷静な部分がセルフツッコミを入れる。普通に考えれば、どしゃ降りの雨の中でわざわざ出掛たりしない。そんなトンデモ誘いに二つ返事で頷くのは、仲間のうちの一人の彼が親友と呼ぶ世間とズレた感性を持つ友人ぐらいだろう。

「やだな、そんな顔しないでよ。さすがに私だって、こんな雨なのに本気で誘ったりしないって。風邪引いたら大変だもんね」

 へらりと笑って、彼の背中をポンと叩いた。

「しばらく待ってみたけど、雨、まだまだ弱まる気配がないから私はもう行くよ。宿まではちょっと遠いから、気をつけて戻ってね!」

 そう告げて雨の中へ飛び出そうとしたが。

「待ってくれ」

 今度は腕を掴まれて引き止められた。

 当の本人にとっては何気ない行動でも、こちらにとってはそうじゃないから困ってしまう。顔が赤くなっているのが手にとるようにわかるが、情けない悲鳴を上げなかっただけ自分を褒めてあげたい。

 平常心を保ちつつ振り返れば、彼はニッと笑った。

「俺も一緒に行く。せっかく誘ってくれたのに断る理由がないだろ。それに、話を聞いて、俺もその期間限定メニューが食いたいと思ったんだ」

「えっでも、……いいの? だってさっき……」

「さっき? ああ、違うんだ。俺はもう濡れてるから構わないが、君はそうじゃないだろ。広場の喫茶店はここからだとそんなに遠くないが、雨を除けれないから濡れちまうなって、そう考えてたんだ」

「そっそうなんだ」

「そしたら一緒に濡れようとか言われるんだ。俺の心配は何だったんだって思ってさ」

 まさか、そんなことを考えていたとは思わなくて拍子抜けしてしまう。あの真剣な顔がそれを考えてたのなら、彼の言葉を素直に受け取るなら、誘う前から一緒に来てくれるつもりだったのかもしれない、なんて考えるのは都合が良すぎるだろうか。

 気の利いた言葉のひとつも出てこなくて閉口してしまうが、彼はお構いなしだ。

「気を取り直して。行くなら早く行こうぜ!」

 言いながら彼は腕を掴んでいた手を離した。

 かと思えば、今度は手を掴まれた。離れないようにと握りしめられた手に顔だけでなく耳まで赤くなるのがわかった。弾かれたように彼を見やれば、楽しそうなにんまりとした笑みを向けられる。

「どのみち濡れるとはいえ、走れば多少はマシだろ。俺が手を引くから転ばないように気をつけろよ」

「えっ? あの――」

「ほら、行くぞ!」

「ひやっ……!」

 問答無用と言わんばかりに手を引っ張られて、ゲリラ豪雨の中へ飛び出した。痛いほどの大粒な雨に髪や服が一瞬でびしょびしょになる。雨に濡れる感覚が冷たいのか涼しいのかはよくわからないけれど、繋いだ手だけが妙に熱を持っていて熱く感じた。

 手を引かれるまま、その背中を必死で追いかける。

 静かな町中で激しい雨音と二人分の足音だけが耳に届いて、何だか妙にテンションが上がってしまう。ふつふつと沸き上がってくる気持ちに自然と口角が上がってしまい、こういうのも悪くないと思えるから不思議だ。楽しいね、と声をかけられるほどの余裕がないから手を握って伝えれば、すぐに握り返される。彼も同じ気持ちだったらいいなと、そう思えた。

 結局、水魔法で簡単な雨除けの傘なら作れるってことを彼には言えなかった。

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