第27話 なぜ私は歌いたいのか?(2)
少女は庭を駆けまわっていた。
まだ幼い少女は無邪気に母親の元に駆け寄って摘んだ花を渡しては、また奥庭園のほうへと向かう。
「もう、エリーヌったらあんなにはしゃいで」
「ふふ、可愛いじゃない。女の子だけど活発! うちも負けてないんだけどね」
庭にあるテーブルにお茶とケーキがおかれており、優雅に一口食べてはおしゃべりが尽きない。
夫たちは仕事なので、子供と母親で避暑地であるこの場所にやってきた。
彼女たちは小さい頃にこの地域で住んでおり、エリーヌの母親であるフェリシーの実家で数日過ごすことになった。
「でも、アンリ様はもう見目麗しいし、それに頭脳明晰で次期国王と言われてるんでしょ?」
「そんなっ! あの子には無理よ!」
実際に第一王子であるゼシフィードが生まれるまでは、あまりのアンリの優秀さに皆舌を巻いていた。
今もそれは変わりなく、研究者と肩を並べるほどの知識を有している。
まあ、彼にも悪戯好きで大人を困らせた過去もあるのだが……。
「あ、そういえばアンリ様は?」
「確かエリーヌちゃんのことを見に行くって裏庭園に行ったわね」
「え、なんかやだ!! あの二人いい感じじゃない!?」
「え? そうかしら!? 二人が結婚なんてしたら、私達……きゃあー!!」
どんどん膨らむ夢と妄想でまたお茶が進む──
一方、エリーヌは鼻歌混じりに花を摘んでは遊んでいた。
「ふんふん~ふ~ん! おおきなおふねが~」
その声は次第に大きくなり、向こうの方にかすかに見える海に向かって奏でる。
まだ少しだけ拙い発音ではあるが、のびやかに楽しそうに歌っていた。
「せんとうが~」
「『船頭』だよ。そこは」
可愛らしい金髪を靡かせて振り返ると、そこにはシルバーの髪をきらきらと輝かせた少年がいた。
少女はこくっと首を傾けると、意味がわからないというようにじっと彼の瞳を見つめる。
ゆっくりと少女の隣に立つと、海を見て彼は少女に教えた。
「船頭は船をこぐ人だよ」
「おふねを?」
「そう」
爽やかな夏風が二人をふんわりと包み込む。
「もう一度歌ってくれない?」
「え?」
「歌、君の歌が聞きたいんだ」
「えりーぬの、ですか? はい! いいですよ!」
そうして彼女は目を閉じて歌い出すと、今度はさきほどとは打って変わってしっとりとした曲調の歌を奏でた。
「──っ!!」
少年は一瞬にして心を掴まれた。
(この子……なんて感情を揺さぶる……うた……)
少年が少女のほうを見ると、なんとも歌の精霊が乗り移ったかのように歌っていた。
本当に彼女が歌っているのか、とさえ思ったほど。
やがて歌い終わると、なんとも無邪気に微笑み、少年に感想を聞く。
「どうでしたか!?」
「ああ……すごいな。君の歌は幸福の音色だね」
「こうふく?」
「幸せって意味。あの奇跡の歌手と言われたジュリア様にも引けを取らない」
「すごいってことですか? えりーぬ、すごいの?」
あまり意味を理解できないが、なんとなく褒められていることを理解した彼女は嬉しそうに飛び跳ねる。
「ねえ、おにいさんはえっと……」
「アンリ」
「あ、アンリさま! おうたきいてくれて、ありがとうございます!」
「いいえ」
お辞儀をすると少女は近くに置いていた花を持って、彼に渡す。
「ねえ~これ、おにわにあったのですが、アンリさま、よかったら」
「ああ、可愛いね。なんて花なんだい?」
「おなまえはわからなく……すみません」
「いいや、じゃあ次に会った時までに俺が調べておくよ」
「ほんとうですか!?」
「ああ、楽しみにしていてくれ……エリーヌ」
「はい!!」
はっとそこで目が覚めた。
エリーヌはベッドに倒れ込むように寝てしまっていたので、すっかりもう夜中になっている。
(思い出した……歌が好きになったのは、あの時、褒められたから……あのアンリさ……ま……っ!!!)
そこまで心の中で呟いて彼の名が『アンリ』だと気づく。
まさかとは思って記憶をたどってみると、すべてのピースがはまっていく。
エリーヌは部屋を飛び出した──
まだ研究室にいた彼に声をかける。
「君の歌は幸福の音色だね」
「──っ!! それ……思い出したの?」
「やっぱり、アンリ様だったのですね。あの方は……私に歌を、歌の喜びを教えてくれた、最初のお客様……」
エリーヌは植物を眺めていたアンリに近づいていく。
彼もまた、彼女の覚悟を聞くために向き合った。
「俺もつい先日思い出した。あの花をルイスが描いてて」
「教えてください。あの花の名を」
「──スイートアリッサム」
「すいーと?」
「小さな白い花を多くつける花だよ。可愛いらしくて、まるでエリーヌのよう」
「褒めてくださるのですか?」
アンリは少しだけ顔を逸らしながら、小さな声で肯定する。
そんな夫の初々しい愛情表現がエリーヌには心地よかった。
「アンリ様、その薬、飲みます」
「……どうしても?」
「はい、私はもう一度、歌いたいです。誰かの心を揺さぶる歌を、忘れていた愛の歌を歌いたい……」
その言葉に静かに頷くと、テーブルのほうへと向かって小瓶をエリーヌに差し出す。
「あれからなんとか安全性を確認できないか、試してみた。今のところ害は発生していない。万一に合わせて吐き出させる準備もしている」
「はい、ありがとうございます。それだけあれば十分です」
「いいかい、一滴でいいからね」
こくりと頷いて小瓶の蓋を開けると、一つ息を吐いて一滴舌の上に垂らした。
そうしてゆっくりと喉に染み渡らせる。
しばらくの間二人は経過を見るが、彼女の様子に変化はない。
エリーヌはアンリと目を合わせると、目を閉じて息を吸った。
「あ~──っ!!」
「声が……歌声が……」
久方ぶりに聞いた自分の歌声──
少しかすれてまだ本調子ではないが、響き渡った。
彼女は胸に手をあてて、うずくまって泣いた──
翌日、ルイスとディルヴァールに歌声が戻ったことを報告している最中、事件は起こった。
「アンリ様っ! エリーヌ様っ!」
「どうしたの、ロザリア」
ロザリアは珍しく慌てた様子でエリーヌに手にあった手紙を渡す。
それはエリーヌへの招待状だった。
「ゼシフィード様からの……それに公爵夫人としてではない。これは……」
アンリもその招待状を見てにやりと笑った。
「ふん、あいつ。ついに本気で潰されたいらしいな。エリーヌ、提案がある」
「はい、私もです」
二人は目を合わせて笑みを浮かべる。
(私はもう一度歌います、そうして、あなたに最高の鎮魂歌をお送りしますわ)
舞台の幕が上がった──
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