第13話 真夜中の王宮夜会(2)

 エリーヌが履きなれたヒールをかき鳴らして第一王子ゼシフィードの元へと向かった後も、まわりの悪態は尽きない。

 扇の裏でひそやかに繰り広げられる美しくない会話に、エリーヌは凛とした面持ちで立ち向かう。

 ゼシフィードは金色の髪をかきあげてエリーヌの瞳を見つめた。


「ふん、どうだ。あの『毒公爵』のもとは?」

「ええ、それはそれは心穏やかに過ごさせていただいております。殿下のおかげでございます」


 品よくそうしてわざとその形のいい唇で笑みを浮かべる。

 元婚約者の面白くないその表情を見た彼は、こめかみのあたりをぴくりとさせて一瞬だけ嫌そうな顔をした。


 その瞬間、会場は少し薄暗くなり、ゆっくりとしたバイオリンの音色が響き渡る。

 それを合図に皆手を取り合って音楽に合わせて踊り出した。


 すると、ゼシフィードはエリーヌに手を差し出す。

 どういうつもりなのかわからず、一瞬戸惑っていると、彼は挑発するように言う。


「この第一王子の誘いを断るというのか?」


 確かに今回の夜会でのエスコートはゼシフィードとなっていた。

 彼女は少し思案した後に彼の手を取って一歩踏み出す。


 元婚約者なだけあり動きの勝手は知っているが、それでも今まで目を引いていたような一体感のあるダンスではない。

 わずかにずれたリズムと足並み──

 ゼシフィードは手をぎゅっと握り締めて彼女の瞳を見つめようとしている。


 ゆっくりとしたワルツのテンポよりも少しだけ早いゼシフィードの足取りは、エリーヌに近寄っては離されてを繰り返す。

 彼女の瞳は彼を映さずに遠くの月を眺めていた。


 自分を映すことがない彼女にいら立ちを募らせた彼は、強引に彼女を抱き寄せるとそのまま唇を重ねた。


「──っ!!」


 すぐさま離されたその唇と、そして彼女は『彼の意図』に気づいて思わず吐き出そうとするがすでに喉を通ってしまっていた。

 彼女の唯一の失態は、彼への想いが消えたからこそ、彼から目を離してしまったこと。


「なに……を……」

「ふふ、ゆっくりお休み、私の腕の中で……」


 エリーヌの視界が段々と揺らぎ、彼が抱き留める腕を払いのける力もなくなってしまっていた。


(毒……? いえ、これは……いしきが……)


 意識を失うときに彼女は一瞬誰かを思い浮かべた。

 けれど、その顔はすぐに煙のように消えてしまってそうして彼女は意識を失った──



 目を覚ました時には何か柔らかい感触の上にいることに気づいた。

 エリーヌはぼうっとする意識の中でなんとか情報を得ようと辺りを見渡す。


 高級なウッド家具にゴールドの指し色が月明かりに照らされて輝いている。

 薄暗く明かりも灯っていないこの部屋に、エリーヌは見覚えがあった。


(ゼシフィード様の部屋……)


 段々覚醒してきた頭に手を置き、目を閉じて思い返す。


(私、彼とダンスをしていてそれで……!)


 そこまで思い出してベッドの横にその彼がいるのが見えた。


「エリーヌ、目が覚めたようだね」


 シーツを手繰り寄せてベッドの上を這って逃げようとする。

 しかし、薬で鈍ったその身体はいとも簡単に彼に捕まり、ベッドへと押し戻されてしまう。


「なにするの……!」

「なぜそんな私に逆らうような目をする? なあ?」


 その瞳はどこか曇っていてそれでいて彼女を刺すような攻撃的な様相をしている。


「あなたこそ、ロラとうまくいってないの?」

「だまれっ!!」


 傍にあった花瓶を床に払うと、つんざくような甲高い音と共に花たちが床に散る。

 わずかに濡れた彼の手はエリーヌの頬を撫でていく。


「おやめください」

「ふん、あの毒公爵に絆されたか」


 その言葉を言いながらひどく顔を歪ませたゼシフィードは、怒りがふつふつと湧いてきたのか、語気を高める。


「高貴なお前が、変わったなあ!!」

「私は高貴でもなんでもございません。ただの……」


 歌手、という言葉を言いたくても言えなかった──


(声がない、自分にはもう、歌える声が……)


 その一瞬の力の弱まりを感じたゼシフィードは、にやりと笑ってエリーヌの腕を掴んだ。


「──っ!!」

「もう一度、私のもとに戻ってこい。そうしたら、歌声を戻してやる」

「……え?」


 困惑するエリーヌをよそに、彼は不敵に笑った──

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