ドラゴン倒して英雄になります!

えびもっちーん

第一章 始まりの世界

第1話 キラという女神

 ――まどろみの中、自身の鈍い感覚が透き通るような音色を知覚する。高くクリアで純白をイメージさせる響きはまるで天上の妙なる音楽めいて心地よい。その音に陶然と酔いしれるため音に意識を傾けると、漸くそれが誰かの声であることが理解できた。


 声の主は天使のものか悪魔のものか。銀鈴のように高く心の芯にまで染み込むような声は清純で美し過ぎたため、彼は前者であることを疑わずに聞き惚れるしかない。

 やがてそれが自身に向けられた声だと気づき、霞のように希薄だった意識が覚醒する。


 彼が一番初めに目に留めたのは声の主であろう女性であった。端正な目鼻立ちは大人の色香を、湛える微笑は子供らしさを感じさせ、その容姿を端的に言えば美女。よく見なくても美しく可愛らしい絶世の美女である。


 真白な空間にただ一人。すらりとした風貌や処女雪のように白く瑞々しい肌から十代後半か二十代前半だと推測できる。

 黄緑色の艶のある髪は腰まで流れ、黄金に輝く瞳は全てを見通すかの如く真っ直ぐにこちらを見つめてくる。まるで心の穢れすらも見透かされているような気がするが、自身のことを何も知らない彼に動揺はない。


 ただ一色の世界で椅子に腰かけ優雅に紅茶を嗜む姿はまさに女神。そう心の底から湧き出た感情のままに、彼は口を開いた。


「女神様、俺は死んでしまったのですか? そして、これから先天国で暮らすことになるのですか?」


 非現実的な展開にそれらしいことを言ってみた彼には記憶の大半がぽっかりとなかったため考察の仕様がない。

 そんな考えても何も分からなかった末のぶっ飛んだ問いかけに、彼女は金色の瞳を見開いて頬を赤らめながら美しい声で返答する。


「女神様なんて……コホンッ、確かに貴方はこちらの世界に迷い込んだ魂で……もしかして、こちらの世界で暮らしたいのですか?」


 適当な問にノリのよい返答、どうやら軽い冗談が現実になるなんて欠片ほど思っていなかったらしい彼は開いた口が塞がらない。自身の生死や名前すら不明なので、いきなりこちらの世界と言われてもイメージし難いのだ。


 ことによると漫画や小説でいう異世界ものという展開ではなかろうか。

 なんて考えても詮無い妄想をついしてしまう。


「異世界といえば剣と魔法の世界か? 勇者としてモンスターと戦って仲間を集め魔王を討伐し英雄になって王女と結婚する、あの異世界か?」


 軽い混乱の中、そんなご都合主義的な展開しか思いつかずに唇の隙間から思考の一端が漏れる。が、幸い目前の彼女には聞こえなかったようだ。


 汚部屋のように乱雑とした思考の渦から、楽観的で都合の良いことだけが真っ先に浮かび上がる。しかし、自己の利益しか見なければ悪徳セールスや詐欺に引っかかりやすいように、あらゆる不利益を思考しなければいけないと頭を振り、彼は再び思考の渦に身を委ねる。

 利己的な考えは真っ先に疑うべきことだと理性的に判断するが、そもそも記憶が曖昧なため突っ掛かりが掴めずに黙りこくることしかできない。


 そんな現状を解決するべく、彼女は選択肢を二つに絞り話を単純化させる。


「慎重に考えて頂いて構いませんが、貴方の未来は遺憾ながら決まっています。消滅か生存の二つに一つです」


「後者一択で」


 彼は真顔でさも当たり前のように即答した。


「それは良かったですね……。では、貴方に魔法と加護を与えましょう。魔法は〈言語理解〉と〈魔力障壁〉を、加護は自身の特性や経験によって左右されますので発現してからのお楽しみということで……」


 微笑を湛えながらそう言い、彼に向けていた左手を下ろして彼女は良かったとばかりに頷く。


 その様子を見た彼の脳内には、もし否定すればどうなっていたんだ、という疑問が浮かび上がる。だが、好奇心は猫を殺すという言葉が自戒になり寸前で押しとどめられた。

 物事には知らない方がいいことがある。これはそういった類のものだと明敏に感じ取れたから。


 そして、なにより先に知るべきことがあるだろう。例えば、こちらの世界とはこの白い空間のことなのか、魔法や加護とは具体的にどのようなものなのか等々、知りたいことは山ほどある。


 しかしその中から、


「質問良いですか? なぜ女神様はこんなことをしているのですか?」


 彼は一番疑問だったことを言ってみる。

 こんなこととは、なぜ彼女が異邦人に便宜を図るのかという意味であり、彼は少しばかりの疚しさを覚える。状況からして善意であることは想像に容易いから。


 そんな様子の問にも優しい慈愛の笑みを湛えながら彼女は口を開く。


「この世界に迷い込んだ魂は行き場を失い、やがてアンデットとして邪悪なモンスターになります。私はそんな無垢の魂を救済し、アンデットのいない世界を実現させたいのです。なので、消滅するかこの世界で再び死亡しこの世の理に従うかの二択を提案しているのです。あと私は女神と言われていますが、そんな高尚なものではありません。私はキラというただの魔法使いなので……」


 淡々と答えられてしまったが、要するにこの世界において彼は厄介な存在なので消滅、あるいは新たな人生を送るかを選択させ面倒事を解決したいということらしい。


 そして、彼は選んだ。

 であれば万事解決の円満解決だが、話が終わらないということは他にもなにかあるのだろうと身構える。

 それは助言か制約か。彼は慈悲の心があるのなら異世界移住特典なるものが欲しいなどと、たわけたことを胸中で懇願する。


 その思いが神にでも届いたのか、キラと名乗った魔法使いは一振りの剣をどこからともなく取り出す。

 それは文字通り空中から出現し、白魚のような手指に握られた柄から、ゆっくりと引き抜かれるように姿を現していく。


 鞘に納められた剣はいうなればロングソードだ。

 黒を基調とした単色に爽やかで冷ややかな瑠璃色の印象。滑らかな質感をしながら刺すような鋭い光を反射させる豪奢な星の装飾。決して人殺しの道具として汚されるべきではない芸術の成す一品。


 目が眩むほど美しい至宝は当然、煌びやかな世界にこそ相応しい。

 一目でそう思わせるほどの高貴さとは裏腹に、重厚な刀身は遠心力に任せて振り回すだけで鈍器となる質量。

 そして、鞘に隠れた狂気は未だ殺意を示していない。


 剣は斬殺、刺殺、撲殺と命を絶やす手段が複数ある万能武器だが、その分寿命は短い。剣の打ち合いは当然、鎧や骨を断つ際の刃こぼれは速やかに剣を蝕み劣化させる。

 それにも拘わらず、これほどの美が施されているということは非実用的な用途で用いられるのか、もしくは所有者の権威を示すためという含蓄があるのか。


「この剣の名はマテリア・オブスクラ。二百年前、魔王を倒した剣です。色々と逸話があるのですが、ただの剣です……」


 郷愁に誘われたように追憶の様相を一瞬見せる。

 そして、意を決したように改めて向き合うキラ。


「私のささやかな願いを聞いて頂けませんか?」


 その黒剣が想像に難いほどの代物であることが確定し、それに伴いお願いとやらの重要度や難易度が計り知れなくなる。おいそれと引き受けるわけにはいかないが、話を聞くのはやぶさかではないと、彼は警戒しつつ話を聞くことにした。


「聞かせてください。貴方の願いを」


 彼の言葉にキラは一際嬉しそうに微笑む。

 その仕草だけで女性ですら恋に落ちてしまうだろうが、彼は自身の性別や情緒すら曖昧なので残念ながらその絵を嗜むことができずに思考を巡らす。その結果、先程の会話を反芻させ、質問に正確に応えられていないことに気づく。

 魂の救済、アンデッドのいない平和な世界の実現、それは目的ではなく手段だ。


 では、本当の目的は何か――


「私の願いは龍王と魔王の討伐です。それらが達せられなければ、こちら側の世界に生きる人類が滅亡します。私はこの生と死の狭間に縛られているので此処に来た誰かにしか干渉できません」


 やはり他人のためなのか、と彼は感激する。

 厳粛に言ったつもりだったのか、そんな彼を以外そうに見つめながらキラは返答を待つ。


 魔王とは異世界ものの王道じゃないかと、彼は胸中で未知の異世界に胸を躍らせる。

 ゲームやファンタジーにおける勇者が自分であるという錯覚から逸る気持ちを抑えつつ、一抹の懸念を解消すべく質問する。早計な判断は命取りになると思考して。


「女神様、魔王を倒せば元の世界に帰れますか? あと、その剣が無力な俺に力を与えてくれるのですか?」


 元の世界に帰れるのかという質問は訊いてみただけであるが、後の質問は真剣そのものだ。

 それは、世界のために頭を下げる彼女は誰よりも儚く美しいと本心から思ったからだ。

 そして、自分もそうなりたいと、少しでも協力したいと思ってしまったがため、自身の無力さに嫌気がさす。平々凡々たる人間が何かを成せるとは到底思えないから。


 これが以前の記憶による情緒なのか、それとも自身の人格による情動なのかは判断のしようがない。記憶を取り戻せば色々と思い出すだろう、と彼は楽観的に思考を放棄するが。


「……元の世界に帰還する方法は現状ありません。ですが、もしかしたらそのような魔法もあるかもしれませんね! 魔法は無限の可能性を秘めた偉大な奇跡ですから!」


 と、女神様と言われ満更でもなさそうに和やかな雰囲気でキラは言い放ち、今度は彼の真剣さに応えるように厳かに答えた。


「まずはこの剣に付与した魔法について話さなければいけませんね……」


 そんな前置きに間を挟み、決心したように口を開くキラ。


「この剣に付与した魔法は、言わば、未来の記憶を得る魔法です。詳しくは――ややこしいので、龍王と魔王のどちらかを討伐するまでの死を記憶として保証する魔法だと理解してください。私が創った魔法ですが、なにせ私も効果を体験したことがないので詳細を提示できません」


 まるでファンタジーの剣だが、魔法があり龍王や魔王がいるくらいだから不思議ではないのかもしれないと、彼は現実味がないためすんなりと受け入れられるような気がした。


 死んだ事象を記憶にするという魔法。

 ――未来が分かる。それはつまり、未来を自在に改変できるということだ。

 言い換えれば、未来を確定させる力。今この場で龍王と魔王のどちらかの死が確定されたのと同義だ。


 それすなわち――


「願いが叶う剣ですか」


「願いの成就は人が達成すべきことであって、剣そのものの役割ではないのです。あくまで、剣は手助けに過ぎないのですから」


 つまり願いを叶える剣であり、マテリア・オブスクラの力で龍王と魔王のどちらかを討伐しろということらしい。

 魔法や異世界のことなどよく分からないことは多々あるが、既に彼の答えは決まっていた。


 彼が口を開こうとしたとき――ふと足元が無いことに気づいた。そして、知ってしまったがために、自分自身を支えることができない。まるで水面からゆったりと沈むような感覚を味わうが、視界に彼女が映るため感覚だけが麻酔しているのだと理解できた。


「時間が迫っていますね。端的に言うと、この剣を志のある方に渡してほしいのです。なので、決して貴方が叶える必要はありません。ですが、現世にこの剣が渡らなければ人類に未来はありません」


 キラの美声は紗がかかったように聞こえづらく、視界が翳るたびに意識がぼやけてくる。

 しかし、それどころではない。彼は自身が溶解され、消えて無くなるような錯覚に恐慌する。それに伴い芽生える焦燥感によって早く返答をしなければと、早鐘に急かされながら彼は叫ぶ。


「やります!」


 その一言でキラは満面の笑みを浮かべた――気がした。


「本当ですか⁉ 志のある人がいなければ権力者に託してください。剣の意志により、きっとあるべき人に流れていくでしょう」


 それを言うと今度は彼の未来を憂うように表情を変える。その表情すら彼には届かず泡沫に消える。


 もう彼は光を知覚できない。深淵に飲み込まれるような感覚は死を連想させた。

 暗闇に墜ちる感覚に僅かな恐怖はあれど、キラを信じて身を委ねる。それしか打つ手がないのだから。


「アルスという人を頼ってください。きっと――」


 なにも見えない世界の中で、自分が奔流に消えていくことだけを理解しながら彼は遠退いていく意識に神経を尖らせる。もう少しで途切れるだろう最後の感覚だけが未だに美しい音色を知覚させる。


 最後に聞こえたのは「ありがとう」という感謝の言葉だった――――。

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