生まれながらの長老なし

月島金魚



 山越え谷越え、これぞ秘境と呼べる山間の沼地のそばに、太古の昔からそこにありそうな大樹の森に隠れるようにして、人気の少ない村が現れた。


「先日のひどい吹き降りで川が氾濫し、水辺の村はことごとくやられたようだが、ここは木々に防がれたらしいな」


 そんなつぶやきすら響くような不気味な静寂の中を鬼島きじますぐるが歩いて行くと、村を出る手前の一軒家、木戸の開け放たれた板の間で、さめざめと泣く老夫婦と、白装束に身を包んだ黒髪の美しい乙女の姿が見えた。


「とうとうお前の番になってしまったね。どうか臆病なわたしたちを許しておくれ」

「あの化け物が憎い。なにゆえ我が村を狙うのか……」


 なんだ生け贄か、と鬼島は思った。それでさっさと通り過ぎようとした。


「ちょいとお待ちくださいまし!」


 老婆の金切り声と、裸足で庭をすっ飛んできた禿げ頭の老爺に着物を捕まれ、鬼島はあれよあれよという間に家の中へと引きずり込まれた。


 前に居並ぶ三人はそろって顔色が悪い。が、そのわりには目に力があった。


「俺がこの村を通ることを知っていたな?」


 鬼島が凄むと、はい、と老爺は素直に首肯した。


「お侍さまが来るのを見た者がおりまして」

「手は貸さねえぞ」

「そこをなんとか」

「俺はたしかに剣の腕は立つが、先を急ぐ身だ」


 老爺は隣で睫毛を伏せる娘を一瞥して、


「ご覧のとおり、うちは貧しい。差し上げるものといえばこれだけですが……」

「いらねえ。生憎女には困ってねえ」


 鬼島は目つきは悪いが色気があって、色町なんかに行けば大変とモテた。


 とりつくしまもないので、老婆は骨と皮ばかりの両手で顔を覆った。


「村中の娘はもちろん、年端のゆかぬ子どもすらもうおりませぬ。残されたのは……」

「お前んとこの孫娘だけってか」

「いえ、これは男子おのこです」

「邪魔したな」

「お待ちを!」


 老人二人に馬鹿みたいな力で帯にぶら下がられながらも、鬼島はずるずるそれを引きずって庭へと向かっていった。


「人でなし! 不運に打ちひしがれる年寄りを見捨てて行くのか! 恥を知れ!」

「やかましい! それが人にものを頼む態度か!」

「若者は黙って年寄りの言うことを聞くもんじゃあ!」


「旅のお方」


 と、背後でつぼみが震えるような密やかな声がした。娘――否、少年がつつましく指をそろえて頭を下げる。


「どうぞ、そのまま行ってください。とうてい人の敵う相手ではございません。私は喜んで役目を果たします」

「まあ、お前……」


 老婆はぱっと振り返り、四つん這いで少年のもとまで戻った。


「刺し違えるつもりなんだね。そうなんだね?」

「うまくいけば、皆の役に立てますから」

「なんていい子に育ったんだろう。……でもねえ、爺さま」


 老爺は厳しい顔をして、


「今は亡きお前の母さまもさぞかし誇らしいだろうよ。だがね、決して手を出してはいかん。逆上されれば残されたわしらとて……」


 老夫婦が重く押し黙るのを見て、少年は幸薄そうな笑みを紅の濃い唇に乗せ、凪いだ瞳を鬼島に流した。


「ご無礼をお許しください。どうぞ今日のことは綺麗さっぱりお忘れくださいませ」

「言われなくともそうさせてもらうが、お前、剣の心得はあるのか」


 少年は体に巻きつこうとしている祖父母をもぞもぞ動いてどかし、帯の下から黒漆の懐剣を取り出した。


「母の形見です。喰われてから、これでぐさっと」

「相手は蛇か」

「はい。どうして……?」

「こういうのは大蛇おろちと相場が決まってる。そんなちっぽけな刃じゃ、魚の小骨が喉に刺さったくらいのもんだ。無駄死になるぞ。生け贄になるふりをして逃げたらどうだ」

「たとえそうなるとしても」


 少年ははじめて双眸に剣呑な光を宿した。


「私の生を見せつけてやるのです」


 くくっと鬼島が喉で笑うと、一同は不審そうにそれを見た。


「――いいだろう。その生、俺が見届けよう」


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