冥闢のダークブレイズ

星住

プロローグ

 朝靄の立ち込める林道を走り抜ける蹄の音が響いた。


 その数は二頭分。


 音の反響が少ない林のため、それなりの人間が聴けば直ぐにその数は把握されるだろう。


 ただ、駆ける馬の速度は尋常ではない。


 薄闇にさらされた悪路と視界の悪さを無視して、通常の馬の速度では有り得ないスピードで道を駆け抜ける。       


 このペースで馬を走らせていては馬自体が潰れる速度だ。


 普通の馬ならばーーの話である。


 走る騎馬はどちらもただの馬にあらず。


 吸血馬である。


 吸血馬を操れるのは吸血鬼のみと謳われるが、片方に乗るのは人間だ。


 本来御しきることは能わず落馬するのみと誰もが思うところだが、その人間は何故か乗りこなしている。


 本来有り得ない光景だが、それは有り得ない二つの事柄が重なったための奇跡のようなものであった。


 一つはその搭乗者が放つ殺気のために、大半の動物どころかモンスターさえも逃げるか気絶、悪ければショック死し、乗れる動物がいない状態だったが、既に死んでいる吸血馬はその例外に位置する。


 彼の殺気のみでは死なず、恐れを感じないためだ。


 二つ目は単純に吸血馬は吸血鬼以外を背に乗せることは無く、人間など振り落として踏みつぶすところだが、


搭乗者の鬼気迫る殺気が吸血馬の脳すら震え上がらせ、指示を聞く状態に陥った為である。


 恐れを感じないはずの吸血種だが、本来忘却した恐怖と言う感情が正常な思考能力を奪う。


 その二つの偶然が嚙み合って現状の疾走を可能としているのだ。


 騎馬二頭は一頭をペースメーカーに、ぴったりと背後にもう1頭が付き従う。


 先頭の騎馬に乗る白い外套に身を包んだ銀髪の少女は、チラリと背後の馬に乗る黒づくめの青年に視線を送る。


 背後の青年はその視線に気づいて、馬を並走させる位置まで押し上げた。


「このフエキドウ林道の少し先に無人の休息所がある。そこで一旦休憩するぞ」


「休憩は必要ない。吸血馬は疲労がないのだろう?」


「先に色々と話がある。それに、もう少し先に進めば最接近のメレリオンの町がある。今の貴様をそのまま進ませる分けにはいかんからな」

 夜の闇に紛れて、やたらと鳥らしき鳴き声と何かが落ちる音がする。


 それは、夜目が聞かない鳥達の断末魔の落下であった。


 少年から放たれる殺気を受けて、逃げ出すもの、ショック死するものと様々だが、木々に当たらずに空に逃げ出せた鳥は少ない。


「ガルン。お前は先ず、その垂れ流している殺気を抑えろ。このまま町にいったら死人が出るぞ」


 少女の真摯な訴えで、ようやくガルンは無意識に発している殺気の強さを思い出した。


「……了解した」


 渋々従う事にしたガルンを、銀髪の少女アズマリアは珍しく憐憫なまなこを向けた。


 戦いの果てに得た力は、圧倒的な殺傷能力の代わりに平穏な生活を捨て去った結果に見える。


 今後、彼には人として生きる事の方が遥かに難易度の高い作業になることだろう。


「とにかく第二王子の目的は不明だが、姫を攫った以上直ぐにどうこうする気は無いはずだ。身体を焼却するなどする気ならば、シュバルツェン・パシェッエンで十分行えていた。それをしなかったのは、何かしらの利用価値を見いだしているからに他ならない」


「どのみちろくな利用価値ではない筈だ。早々にパリキスを奪還しなければならない」


「そう思うなら頭を冷やせ。いいな?」


 アズマリアはそう言い聞かせると、再び馬を先導するように前に出した。



       ◇ 


 フエキドウ林道を抜けた先には、神誓王国しんせいおうこくメルテシオンの郊外にある町、メレリオンがある。


 避暑地として良く使われる町であり、広大な土地に並ぶ家は少ない。


 メレリオンにはメルテシオン王都から貴族も簡単に行けるようにと、大陸大街道の一つ“センターライン”と呼ばれる中央道に接続しているため、魔導士により補強された石路は丈夫で陸路としては申し分ない快適な道だ。


 そこまで出てしまえば、メルテシオン王都に向かうのは簡単である。


 逆を言えば、第四聖骸を持ち去ったと思われる第二王子をそこまでに捕捉できなければ、王都に到着してしまっている可能性が大だ。


 元々、吸血鬼の住まう夜魅の国から帰還したガルン達と、第二王子との出立した時間的な差がどれだけあるのかは分からないので、急いでも既にメルテシオン王都に到着している可能性は非常に高いだろう。


  焦るなと言うのは無理があるが、休憩無しの強行軍は夜魅の国帰りのガルンの身体には厳しいのが実状である。


 アズマリアの判断は正しいと言えよう。


 フエキドウ林道自体、近隣の領主がメレリオンに道を作り、交通の便を良くして少しでも避暑地と自分の領地の流通を良くしようとして作った林道である。


 少しでも領地が潤うように画策して無人の休息所まで作った理由はそれだ。


 商売だろうが、客だろうが、人が流通すれば金は落ちるものである。


 定期的にメンテナンスに人は訪れるが基本的きにフリーな休息所であり、調理器具などは置いてあるが食料の類は置いていない。


 井戸があるので水には困らないが、あくまで林道を出た後での休息所と言うところだろう。


 流石に貴族などは使用しないが、商人や旅人に取っては重宝する場所である。


 流石に身分が低いものにはメレリオンに宿泊するには費用がかかりすぎるためだ。


 あくまで、メレリオンのターゲット層は貴族や富豪ランクであり、庶民には向いていないのである。


 休息所に到着したガルンは、思いの外大きな施設に驚いた。


 中規模の宿屋が三棟並んでおり、それぞれに専用の馬小屋までついている。


 旅芸人の一座ぐらいならすっぽり入りそうな規模と言えよう。


 休息所には他の利用者はいないらしく、人の気配はない。


 アズマリアは知った場所なのか、さっさと馬小屋に馬を繋ぎに向かっていた。


 宿屋内部に入ると、そのまんま宿屋の体をなした間取りのフロントが中央奥にあり、左は食堂やキッチン設備、右には手洗い場や浴場施設らしきものが見える。


 フロント右にある階段から、寝室は全て二階以上にあるようだ。


 アズマリアはフロント奥の壁に掛けられた鍵の中から一つを無造作に掴むと、ガルンに投げてよこした。


 鍵には番号札が付いており、それが部屋番号と言うことだろう。


「施設の使い方や、食料は自分でどうにかしろ。それよりも貴様に渡すモノがある」


 アズマリアはそう言いながらマントの下からクリスタルの小瓶と黒いヘッドギアを取り出すと、フロントの机に丁寧に置いた。


 小瓶の方は、瓶自体の造り込みから値が張るのが見て取れる。


 明らかに貴族階級でもなければお目にかからない煌びやかさだ。


 その中に赤い飴玉のようなものが三つ入っている。


 黒いヘッドギアの方は古そうな外観ながら、新品のような質感に違和感を覚えた。


「何だこれは?」


 ガルンは率直な感想を口にした。


「瓶の方はパリキス姫が昔サクラメント作製の練習で作ったポーションもどきだ。回復薬だから必ず一つ飲んでおけ」


「パリキスが?」


 小瓶を取り上げるとマジマジと見つめる。


 製作工程を考えると、この赤にはパリキスの血が使われているための影響だろうかとボンヤリと思う。


 ただ、一般的なポーションは液体だ。


 体力の回復を促すアイテムであり、高級品になれば治癒能力を促進して軽い怪我ならば直せるとされている。


 基本は液体とされているが、これはどう見ても固体だ。


「なんだ? 飲むのが不安か?」


「いや、パリキスが造ったものなら不安はない。ただ一般のものに比べるとかけ離れていると思ってな」


 そう言いながら小瓶に手を伸ばす。


 全く躊躇う様子もなく蓋を開けると、一粒を手のひらに転がした。


 サイズはビー玉程度だか、それを水も使わず嚥下する。


「ふむ。それはポーションを造る工程で生まれた副産物だが、ポーションとは言い難いものだ」


「はあ?」


 呑んでから言うなとガルンの顔には書いてあるが、アズマリアはお構いなしだ。


「実際、それはポーションと言うより霊薬エリクサーに近い代物だ。体力、気力、怪我、全てが回復している筈だ。腕がもげても回復するかはやってみなければ分からんが、常備薬だと考えれば破格の値段がつく代物だろう」


 そう言われて、ガルンは身体の重さが全て消え去っていることに驚く。


 チャクラ二つを怪我の治療に当てていたが、それをする意味が全くない。


 完全に回復していると実感できる。


 限りなくエリクサーに近いポーション。


 そんなものは常識外も甚だしいが、パリキスの膨大な神霊力が塗り込まれていると考えれば納得するしかないだろう。


 道具屋にでも売り払えば、数年は何もしないで贅沢三昧出来る金額は得られる筈だ。


ガルンは小瓶の蓋を閉めると懐にしまい込む。


 ポーションはあと二粒残っている。


 代用が利かない逸品だ。


 大切に使わなければならない。


 アズマリアがそんな大事なものを貸し与えるなど本来有り得ない事だが、それだけ切羽詰まった状態だと言っているようなものだろう。


 後はフロントに置かれた黒いヘッドギアだ。


 手に取ると、軽いながらも丈夫な出来だとすぐに分かる。


 手触りとは別に妙な感覚が襲ってくるが、精気を吸い取られるブラッド・ソード類とは別の違和感だ。


 何か視界に靄がかかるような感覚に似ている。


 どちらにしろ通常ではお目にかかれない類だと言う証拠だろう。


「こいつは、以前のお前の保護者が発掘して来たモノだ」


「保護者?」


 誰の事を言っているのか思い当たらない。


 怪訝な顔のガルンを見てアズマリアは深い溜め息を吐いた。


「お前には、お前の崇拝者と言った方が分かり易いか。いや、頭がお花畑の奇特なエルフと言うべきか?」 


 その説明で漸く誰のことを指しているのか理解できた。


 あの発掘好きのエルフ神官は、今でも古代遺跡を回っているのだろう。


「お前がメルテシオンに帰ってこない経緯はあやつらには話してある。その理由もな。それで、探し当ててきたのがこの古代秘宝ドレッドノートだ」

 

「おそれ知らず《ドレッドノート》?」


「対精神汚染防御の優れものだ。本来は竜の咆哮や、死霊術師の怨霊攻撃などを防ぐために使用されるモノだ。これをはめている者はデメリットとして恐怖心が消え去る……が、お前にはそもそも意味がない感情だろう」


 人を何だと思っているのだと心の中で毒づくが、ガルンはそこはスルーする事にする。


 吸血鬼の懇願不遜な性根につき合うのは、時間の無駄だと長年の経験で身に染みついている事だ。 


「今更、そんなモノに何の意味がある? 精神制御ぐらい俺は普通に出来るぞ」


「これはお前のためのモノではない。周りの人間達用の防衛策だ。このドレッドノートの効果は外側からの効果を防ぐだけではない。内側にも効果がある」 


「内側……」


 そこで、ガルンは何を意図しているのか合点が行った。


「貴様のだだ漏れしている殺気・・とやらを押し込めるためのものだ」


 アズマリアはちらりとガルンの胸元に目をやる。


 そこには、かつてパリキスより受け取ったサクラメントの盾にはめ込まれていた、三つの勾玉を合わせたペンダントがある筈だ。


 その効力によりガルンから放たれている虚理の殺意と呼ばれるものは、幾ばくか減衰している。


 それでも、本気の殺意が混ざった殺気を放ち出すと、周りすべてを汚染するように殺意が伝播していく。


 周りが敵だけならまだ良いが、これが街中だったと考えればぞっとする内容だ。


 精神抵抗の低い子供や年寄りは、ガルンが街を徘徊するだけで死人が出るだろう。


 今まではなるべく人混みのある場所は避けて旅を続けていた。


 殺意もある状態ではなく、最悪気分が悪くなったり失神する人間がいる程度だったが、これから向かう場所は都心に近い。


 今のガルンの精神状態で街には入れば、疫病が道を歩くようなものだ。


 このままメルテシオンの城下町など入れる筈もない。


「情けない話だが、貴様の“虚理の殺意”とやらをずっと調べていたが何も掴めなかった。だが、この話をエルフ姉妹に話した所、血相を変えて調べだしてな。それに繋がる神代語教典まで見つけだしおった。やはり餅は餅屋と言うことだ」


 仕事そっちのけで資料を漁るエルフ姉妹の姿が目に浮かぶ。


 ライフワークが遺跡巡りなだけあって、探し物を見つけるのは得意なのだろう。


 ガルンは黒いガントレットに漸く重みを感じる事ができた。


 アズマリアはその姿を客観的に見ながら話を続ける。


「再三注意だがこのドレッドノートをはめても、貴様の殺気は完全には抑えきれない。本来一個人の精神力など古代秘宝の前では歯牙にも掛からない程度のものだが、貴様は別だ。その異常な殺意は上位存在の持つエネルギー量に等しい。許容量をオーバーした分の殺気は漏れ出すと考えろ。なるべく人が多い場所では殺意を持つな。常に冷静でいろ。感情を殺せ。特に怒りだ。虚理の殺意は怒りがトリガーなのは間違いない。それに、黒い炎の方は物理的・・・に無理だ。防ぐことが出来ない。兎に角、望まない死体の山を作りたくなければ心に刻め」


「了解した」


 その叱咤激励をガルンは他人ごとのように聞いた。


 頭で理解していても感情がそれに寄り添えない。


 確かに大量殺人など望む事ではないが、感情の抑えが利くかは自信がない。


 神妙な面持ちのガルンを見て、アズマリアは小さく舌打ちした。


「仕方がない。危険だが貴様に魔眼で条件付けをかける」


「魔眼?」


「強固な催眠術と思え。貴様の殺意は敵と認識した者にしか向かないように縛りをつける。ただ、これも完全ではない。それだけは肝に銘じておけ」


 アズマリアの魔眼の類には良い思い出がない。


 だが、背に腹は代えられない。


「あんたの魔眼を受けて気絶した覚えがあるんだか……大丈夫か?」


 その言葉にアズマリアの美しい口元が引きつる。


「こっちは、その時に貴様の黒い炎で両腕を失ったんだがな~。覚えていないだろうな~?」


 恨みと言うよりも殺意に近いモノを感じてガルンは苦笑いを浮かべた。


 この吸血鬼には昔から世話になりっぱなしのようだ。


 「時間がない。直ぐに始めるが……また黒い炎を出してくれるなよ?」


 アズマリアはそう言うと瞳が赤々と輝き出す。  


 その姿に既視感デジャブを感じてガルンは昔のことを思い出す。


 あの時も、アズマリアはパリキスの盾として危険なモノを極力排除しようと働いていたのだろう。


 ならば、自分は初めからパリキスにとって危険な存在だったのかもしれないと、淡々と考える。


『それだけは違う』


 どこかでパリキスの声を聞いたような気がした。


 だが、意識がまた微睡んでいく。


 精神防壁を可能な限り解かなければならない。


 その反動と魔眼の効力が意識を混濁させていく。


 やはり、アズマリアの魔眼とは相性が悪いらしい。


 意識が暗闇に飲まれるのは時間の問題だった。


 

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