解なし

小狸

短編

 書く小説書く小説が、陰鬱な私小説ばかりになってしまう。


 その現状に、ぼくは頭を悩ませていた。


 いや、悩ませる必要のあるほどのことでもないのだが。ぼくは定職に就いており、小説は趣味の一環――かつて小説家を志したこともあったけれど、それも今は昔――今昔こんじゃく物語である。


 話を戻そう。


 書く小説が総じて陰鬱であるというのは、ある同期からの指摘によって発覚した。


 ぼくは彼だけに「自分が小説を執筆していること」を明かしている。


 だっていやだろう、今の世の中。


 「趣味で小説を書いています」なんて言えば、馬鹿にされること必至である。


 多様性多様性だなんだとうたっておきながら、誰にも傷つけない人の趣味嗜好に対して寛容ではない、どころか上から目線で嘲笑するこの異常社会である。


 ここまで言うのは、実際にぼくがそう言われたから、に尽きる。


 ――小説家目指しているの?


 なんてよく言われたものだ。


 なんだよ、「とか」って。


 明らかにこちらを馬鹿にしている。


 小説家だって立派な職業だろう。


 そこに辿り着くことが難しいだけで――それを目指し続けることが難しいだけで、職業作家という言葉がある以上、そういった発言は控えてほしいものだ。


 で――ぼくはといえば、そんな職業作家への道をゆるりと諦め、ネットにあるさる小説投稿サイトにて、短編小説を日夜投稿しているのだった。


 そんな中、ある日、その同期からの指摘があったのだった。


「良くこんな陰鬱な私小説ばかりを書いていられるな」


 最初は侮蔑かと思ったけれど、冷静に考えてみれば、それはただ、事実を述べただけに過ぎなかった。


 陰鬱。


 そう、テーマが陰鬱なのだ。


 ぼくの書く小説は大概、家庭問題から始まり、虐待、望まぬ妊娠、暴行、社会的孤立、孤独死、いじめは勿論、身体的、精神的苦痛を伴う描写ばかりで満たされている。


 ページの文句に「陰鬱な私小説を書いています」と、変更したくなるくらい、陰鬱なものばかりしか書いていない。


 いや――しかし、だ。


 実のところ、これらは、ぼくの実体験に基づく物事を、物語化したようなものなのである。


 ぼくの人生は、大概こんなものだった。


 母はよく、「この子、不幸なんです~」と言っていたくらいであった。


 だからぼくには、例えば幸せな家庭の描写であるとか、仲良き友人との交流の描写であるとか、愉快で軽快な会話であるとか、そういうものを書くことができない。


 


 経験したことがなくとも書けはするだろう――それはそうだ。勿論もちろん書くことはできる。ただ、そうして書かれたものは、全て嘘になってしまうのである。


 嘘、だ。


 それは物語とは隔絶して捉えるべきものである。


 物語は総じて虚構ではあるけれど、嘘ではない。


 嘘とは、何より創作者側の『こう書きたい』『こう描きたい』果てには『相手にこういう感想を抱いてほしい』という手前勝手な感情が、ありありと見え透いているものだ、――と、ぼくは思っている。


 円満な家庭も、淡い恋も、知己との交流も、生きていて楽しい瞬間も。


 、きっとぼくの書くそれらは、嘘にしかならないのだと思う。


 だってそうだろう。


 何かと言えば人は辛い、苦しい、逃げたい、死にたい、ではないか。


 世の中の通勤電車に揺られる人の何人が、生きたいと思って生きているか、想像したことがあるか? 人身事故の絶えない、この世の辛さを、大人たちは口酸っぱくして、ぼくらに教えてきた。

 

生きることは辛くて苦しくて、逃げたくて死にたい。


 だったら、死んだ方が良いんじゃないか。


 でも――ふと、ぼくは気付く。


 ぼくはいまだ、この世に何も残すことができていない。


 家庭内暴力も、機能不全家族も、いじめも、性的暴行も、悪口あっこう讒謗ざんぼう罵詈ばり雑言ぞうごんも、ぼくにとっては日常茶飯事だった。


 そんなぼくが、何も残さず、ただ中空に絵空事をつづって、駄文をつらつらと擱筆かくひつして、それだけで、死ぬ?


 いやいやいやいや。


 


 きっとこれが物語だとしたら、ここから今までの人生が全て報われて――良いこと一杯の人生になって、良い人と巡り会えて、幸せな家庭にも恵まれて、沢山友達が作れて、普通に笑顔ができて、日々の幸せを噛み締めることができるのだろう。


 でも、それはできない。


 なぜならこれは、現実だから。


 でも――だからって。


 何も報われずに、このまま終わってなるものか。


 布団で寝っ転がっていたぼくは――勢いを付けて起き上がり、パソコンを起動した。


 そうして解のない文字群の海に、どぼんと飛び込んだ。


 小説を書こうと、ぼくは思った。




つづけ

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