禊 06 —禊(みそぎ)—





 莉奈達は無言で戦いを見守っていた。


 最初はいつでも飛び出せるよう身構えていたが——ジョヴェディは本当にライラを傷つける気はなさそうだ。


 まるで稽古だ。魔法の道の先を行く者が、後進の道を行く者に技術を教えている様な光景。


 見ている者たちは、皆、一様の思いを感じていた。


 ——二人はまるで、師弟のようだと。






「——ほれ。——『毒に冒す魔法』」


「——『毒を無くす魔法』」


 ジョヴェディの詠唱と同時に、解毒の魔法を唱えるライラ。その速さにジョヴェディは感心する。


「フン、随分と早い対処じゃな」


「うん。『身を守る魔法』じゃ毒は防げないから、気づいたらすぐに解毒しなさい、ってヘザーが言ってた」


「そうじゃ。他にも精神に作用するような、状態異常を引き起こす魔法は防げん。対策は出来ておるのか?」


「ええと。睡眠でしょ。幻惑でしょ。麻痺でしょ。錯乱でしょ……ひと通り、解除する魔法は覚えさせられたよ!」


「……ヘザーにか?」


「……うん!」


 ジョヴェディはライラの相手をしながらヘザーを盗み見る。


 問答と実践の中で、ライラの魔法への対応、そしてその知識、それらは正しくライラの中に刻み込まれていることを実感した。


 目の前の少女の中には確かに、エリスが刻まれている。


 ジョヴェディは口元を緩め、ライラに杖を向けた。


「——では次じゃ。これはどう躱す?」





 一時間程経っただろうか。皆は時間を忘れ、二人の動きを見守っていた。


 ライラには有効な攻撃手段がない。しかしライラが白い杖でジョヴェディに一撃を入れるたび、彼は楽しそうに笑うのだった。



 ——信じられない光景である。



 今のジョヴェディはまるで憑き物が落ちたかのように、ライラとの戦いを楽しんでいる。


 最初の頃の醜い笑いを浮かべるジョヴェディの姿は、今はない。


 また今も、ライラに一撃入れられて楽しそうに口元を緩めるジョヴェディの姿があった。


 そんな折、ライラは莉奈達の方へとてててと駆け寄ってくる。


「ライラ、大丈夫? どうしたの?」


 心配する莉奈の言葉に、ライラは額の汗を手で拭いながらニッコリ微笑んだ。


「リナ! あのね、聞いて。ジョヴお爺ちゃんすごいの! すっごい詳しいし、いっぱい魔法使えるんだよ!」


「……え、ジョヴお爺ちゃんって」


 目をキラキラさせて嬉しそうに語るライラに、莉奈は苦笑いを浮かべる。


 続けてライラは隣のヘザーに気づき、声をかけた。


「わ! ヘザー、身体大丈夫なの!?」


「ええ、問題ありませんよ。ライラこそ……」


「うん、だいじょぶ! ヘザー、魔力回復薬ちょうだい。補充してこいって、ジョヴお爺ちゃんが言ってた」


「……ふふ。わかりました」


 ヘザーは笑いながら、バッグから魔力回復薬を取り出しライラに手渡していく。


 それを受け取ったライラは、腰のホルダーに差し込んでいった。


「じゃ、行ってくるね!」


 杖をピョイピョイ振り、ジョヴェディの元へと駆け出すライラ。それを莉奈は、ため息混じりで見送る。


「……まったくもう」


「なあ、莉奈。ジョヴェディは何かを狙っているということはないだろうか?」


「うーん、大丈夫じゃない?」


 心配そうに尋ねるグリムに、肩をすくめる莉奈。


 そんなグリムのそばにジュリアマリアは近づき、肩をポンポンと叩いた。


「大丈夫っすよ、グリムさん。『嫌な予感』、全然しないっすから」


 その言葉に、グリムは表情を緩める。


「キミがそう言うなら、大丈夫なのだろうな。まったく、本当に理解に苦しむよ」


 そう言って肩をすくめるグリムもまた、楽しそうに二人の戦いを見つめるのだった。





「——『凍てつく氷の魔法』」


「——『身を守る魔法』!」


 戦闘は夕暮れまで続いていた。


 ぜえぜえと肩で息をするライラ。無理もない、彼女は二時間もの間、ずっと動きっぱなしなのだから。


 ジョヴェディは目の前の少女を愛おしそうに見つめる。


「次が最後じゃ、ライラ」


「……え?」


 唐突に訪れる終わり。


 ライラはこの二時間で、実に多くのことを学んだ。


 ライラは感じていた。自分は自分のことをそれなりにすごいと思っていたけど、目の前の人物には遠く及ばない。


 全てにおいて、圧倒的な実力差。そんな彼から教えを受け、ライラの世界が変わる。


 そんな、どこまでもひたむきに付いてきて、そして教えを吸収していくライラに、ジョヴェディもまた満たされていた。


 今のライラに教えられることは、一通り教えた。


 名残惜しいが、もう終わりだ。


 渇きが満たされた世界最高峰の魔術師は、今、最後の教えを彼女に伝える。



「——これはどう躱す?」



 ジョヴェディは詠唱を始める。


 パチパチと大気が弾けだす。


 ライラはヘザーとジョヴェディの教えを思い返す。



 これは——。



「ジョヴお爺ちゃん!」


 ライラは叫びながら、ジョヴェディに背を向け一目散に駆け出していく。


 ジョヴェディはその姿を見て、満足そうに頷いた。


「そうじゃ、正解じゃ。『光魔法』からは、全力で逃げるんじゃ——」


 ジョヴェディは目を細める。



 エリスは、もういない。生きていても、意味がないと思っていた。


 だがあの男は、最期にエリスの忘れ形見に会わせてくれた。


 ジョヴェディの尊敬する、『追求者』としての高みを持つエリス。彼はそんな彼女に憧れていた。嫉妬していた。


 しかし今、ライラと出会い、ジョヴェディは悟る。


 己が高みに達しようとも、更にその先——後進を育てる、『先導者』としての高みもあったのではないか。


 その事に気づき、ジョヴェディは満たされた。


 だが、もう遅い。『厄災』になってしまった自分には——『厄災』として人々の脅威となってしまった自分には、それはもう、過ぎたる願いなのだから。


(さらばじゃ、ライラ。最期にいい夢を見させてくれて、感謝する。エリスの分まで、しっかり生きるんじゃぞ……)


 ジョヴェディはライラが充分に離れたことを確認する。




 そして彼は言の葉を——




「——『爆ぜる光炎の魔法』」




 ——自分を中心に、紡いだ。





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