禊 05 —忘れ形見—





 ジョヴェディは信じられないといった表情で、ライラの前に降り立った。


「……お主……もしかして、エリスの、娘なのか……?」


「……うん。そうだよ」


 ライラは警戒し、その手に持つ杖を構える。


 ジョヴェディは離れたところで見守っているエリスの『魂』が入っている人形を見た。


 が、その横に立つ燕が、なにやら腕を交差させてバツ印を作ったり鼻に指を当ててシーッというポーズをしている姿が目に入る。


(……知らせて……おらんのか?)


 ジョヴェディは目の前の少女を見つめる。


「……今、お主の母は……何をしている?」


 ライラはジョヴェディから目を逸らさずに答えた。


「……お母さんに会いたいんだよね。ごめんなさい、お母さんはもう、いないんだ」


 やはりだ。


 あのエリスは、記憶を失っている様だった。


 ——記憶も肉体も失った母。それはもう、別物だ。エリスであって、エリスではない。


 ジョヴェディは分かってしまった。先ほどまでエリスに焦がれていたジョヴェディには、あの男の気持ちが痛い程分かってしまった。



 ——中途半端にあの状態を見せられるぐらいなら、いっそ、いなくなってしまったことにした方が余程楽になれたのに、と。



 だから、目の前の少女には伏せているのだろう。淡い希望を抱かないようにと。

 

 ジョヴェディは目の前の少女を憐れんだ目で見る。


 その少女は不思議そうな顔で見つめ返し、こう言った。


「どしたの? やるの、やらないの? お母さんはもういないけど、私の半分はお母さんで出来てるんだよ?」


 その言葉を聞き、ジョヴェディは今にも泣き出しそうな顔で少女を見つめた。そして振り返ることなく、セレスに声をかける。


「……なあ、すまん。セレスといったかのう。この娘と差しで、戦わせてくれ」


「……何を考えてるのかしら?」


 突然の要求に、警戒しながらセレスは近づく。ジョヴェディは振り返り、セレスの顔を見た。


「……今度こそ本当に最期のお願いじゃ。この娘は傷つけん。信じてくれとは言わんが、ワシはただ、エリスの遺したものを、しっかりと見届けたいだけなんじゃ」


 ジョヴェディのその目からは、涙がひと筋、流れ落ちていた。それを見たセレスは、構えた杖を下ろし息を吐いた。


「……そう、分かったわ。でも何かあったら、すぐに介入させてもらうから」


「……恩に着る」


 短く答え、ジョヴェディはライラに向き直る。警戒は緩めず後ずさるセレス。


 そんなセレスの元に、莉奈が飛んで来た。


「セレスさん。いったい何が……」


「リナ……うん、多分、大丈夫。私も彼の気持ち、少し分かるから」


 ライラは莉奈に気づき、軽く杖を振って挨拶をする。それを見た莉奈も、息を吐いた。


「わかりました。でも、危ないと判断したら——」


「ええ。その時は私もすぐ動くわ。セイジにライラのこと、よろしくって頼まれたから」







「さあ、では始めようか。娘よ、お主、『身を守る魔法』を使っておるのか?」


「うん、そうだよ。私が一番得意な魔法」


「……そうか。なら、遠慮なくいくぞい——『暗き刃の魔法』」


 突然放たれた黒き刃。しかしそれをライラは難なく躱した。


 二人は同時に駆け出しながら、会話をする。


「ほう、すばしっこいのう。しかし受けることも出来ただろうに、何故わざわざ躱した?」


「んとね、『身を守る魔法』には耐久度があるから、どんなに弱い攻撃でも躱せる攻撃は躱せ、ってヘザーが言ってた」


「ククッ……そうじゃ。全く以ってその通りじゃ。しっかりと管理出来ているのならともかく、いざという時、その一発の差で泣くことになるかもしれんからのう。では、これならどうじゃ——『火弾の魔法』」


 ジョヴェディが詠唱を終えると、駆けるライラを取り囲むように複数の火の玉が浮かび上がる。


 ライラはそれらの位置を確認し——


「えいっ!」


 ——ひとつの火弾を喰らいながらも、その杖でジョヴェディを殴打した。


 しかしその攻撃は、その身体に弾き返されてしまう。


「あれ?」


「ハッハッ、残念じゃったな。ワシにも『身を守る魔法』が掛かっておってな」


「……ずっるーーい!」


 距離をとり、並走しながら口を尖らせるライラ。ジョヴェディは目を細めて、少女を見つめた。


「クックッ、お互い様じゃろう。お主、攻撃魔法は使えんのか?」


「うん。私は回復や防御の魔法を覚えなさいって、お父さんが」


「……勿体ないのう。だが、そうか。気持ちはわかるな……」


 ジョヴェディは思う。もし、自分がエリスの忘れ形見である目の前の少女を育てていた場合——最終的にたどり着く結果はどうあれ、まずは自らの身を守る魔法を優先して教えていただろうと。


 ライラは隙を見てジョヴェディに攻撃を叩き込んでいく。それを受けながら、ジョヴェディは次の魔法を紡いだ。


「——『渦巻く颶風ぐふうの魔法』」


 その颶風はジョヴェディすらをも巻き込み、刃の竜巻となってライラに襲いかかる。


 ライラは置かれた状況を確認し、すぐさま言の葉を紡ぎ終えた。


「——『風を防ぐ魔法』」


 ライラの周囲の風が、彼女を避ける様に流れ、ぐ。


 だが次の瞬間、ライラの背後から声が聞こえて来た。


「甘いわ——『光弾の魔法』」


 その光弾はライラの耳元をかすめ、遠くへと飛んでいった。


 慌てて振り返り、距離をとるライラ。ジョヴェディは杖を向けながら、少女をいさめる。


「いつ、如何いかなる時でも光魔法には注意しておけ。『身を守る魔法』でも、これは防げんからな」


「……どうして当てなかったの?」


「……フン。傷はつけんと約束したからな。それより、『身を守る魔法』を唱えなおせ。ワシの見立てでは、そろそろ術が解けるぞ……——『暗き刃の魔法』」


 ふいをついたその刃は、ライラに当たり掻き消えた。ライラは驚く。ジョヴェディの言う通り、少し痛みを感じた。


「……なんで……わかるの?」


「兆候じゃ。先ほどの颶風、お主の髪の毛を一つ、切っておったからのう。娘よ、ここに来てから魔法を掛け直してないじゃろう?」


「……すごい! そうだよ、寝る前に掛けたのが最後!」


「早く唱え直せ。続きを、始めるぞ」


「うん!——『身を守る魔法』……」




 ジョヴェディとライラは互いに視線を交わし合い、再び戦い始める。


 魔法での実戦戦闘——その初めての経験に、ライラの顔にも笑みが浮かび上がってくるのだった——。



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