第二部

第一章 約束の宴

約束の宴 01 —始まりは温泉—






 トロア地方の西部に広がる、通称『迷いの森』——その森の西部に『魔女の家』と称されるロッジ風の建物がある。


 かつて、『西の魔女』と人々から畏敬いけいの念を抱かれていたエリスをあるじとしていた家だ。


 だが、そのエリスは、もういない。今は、彼女の配偶者である異世界から来た男、誠司という人物がその家を継いでいる。


 その家の裏手には岩壁がそびえ立っており、その岩壁の一部、くり抜かれた場所には火山性の温泉が湧き出ていた。


 人の手によって整備されたその場所は、エリスの空間魔法によって魔女の家と繋がっており家から自由に出入りが出来る。


 そして今、月明かりに照らされたその温泉には、一日の疲れを癒す二人の女性の姿があった——。





「……はあぁ、疲れたねえ……んーっ!」


 そう言って湯船の中で思いっきり伸びをする黒髪の人物は、誠司と同じく異世界からこの世界に転移して来てしまった女性、莉奈だ。


 彼女は、縁あって知り合った『月の集落』のエルフ達の引っ越しを手伝っていた。


 悪意ある者に場所を知られてしまった彼らは誠司の提案もあり、この家から徒歩十五分程の場所に移転を決めた。


 そして今日、とりあえずの仮住まいが完成し、ようやく落ち着けるといった具合である。


「……そだねえ、私も歩き疲れちゃったよう……ブクブク」


 口まで湯に浸かりお湯をブクブク言わせている少女が、誠司の娘、ライラだ。


 魔族である彼女の耳は長く、そして母親譲りの束ねられている美しい銀髪は光を反射してキラキラ輝いている。


 彼女は結界内にエルフが引っ越して来た事で、結界の術式を張り変える為に日々奔走していた。


 結界魔法は術者の任意で、その対象や効力を変更出来る。そして今、彼女は母親の残した結界の対象に『月の集落』を加える為に頑張っているのだ。


 結界魔法はその魔力消費量が多く、今のライラでは一回唱える度に魔力回復薬を飲まなくてはならない。それが全六十四箇所もあるというから驚きだ。


 莉奈はライラをねぎらう。


「お疲れ様ー、ライラ。どう、終わりそう?」


「んー、後、三日くらいかなあ。リナ、明日から暇なんでしょ? お話し相手になってよう」


 ライラは少し口を尖らせながら、チャプッと近づき莉奈の顔を覗き込む。


 莉奈がこちらにきてから四年、二人は一緒にいるのが当たり前になっていた。一人でいるのは退屈なのだろう。


「ふふ、しょうがないなあ、いいよー。明日は何処らへん回るの?」


「うわあ、ありがと! んとね、明日は裏のお山登るの。ねえ、リナ。私抱えてバビューン! って連れて行ってくれない?」


 どうやらライラは莉奈の『空を飛ぶ』能力の事を言っている様だ。それは、莉奈がこちらの世界に転移した時に発現した能力。


 だが、その言葉にリナは慌てて手を横に振る


「無理無理! 誰か連れて飛ぶのはまだ無理だって! 途中で落ちたら大変でしょ?」


「うふふ、うそうそ。一緒にお話ししながら歩こ? まあ私なら、別に落っこどしてもだいじょぶですけど?」


 そう言って膝立ちしたライラは、目をつむり、自慢気に胸を張り鼻を鳴らす。


 ライラは幼少期から日課として、毎日起きた時に『身を守る魔法』を唱えている。その熟練された魔法は強力で、確かに彼女の言う通り、ある程度の高さからなら落ちても何ともないだろう。


 ライラはドヤ顔で莉奈の言葉を待ったが、返事がない。おや? とライラは、目を薄く開けて彼女の様子を窺う。今度は莉奈が湯に口まで浸かり、お湯をブクブク言わせていた。


「ん? どったの、リナ」


「……ううん、何でもない」


 莉奈は、張られたライラの胸を恨めしそうに眺めながら返事を返す。先日、失礼な男に胸を馬鹿にされて以来、どうも気にしてしまうのだ。


(……いや、よくない、よくない。気にするな。私だってまだ成長の余地はあるはずだ!)


 その様に莉奈は自分を鼓舞するが——残念ながら、彼女の胸の成長は頭打ちである。





 そんな会話をしている所で、温泉の出入り口の引き戸が開いた。その開いた隙間から、エルフの女性が恐る恐る顔を覗かせる。


「遅くなりました……リナ、ライラ、いますか?」


「あ、レザリア。待ってたよー、お疲れ!」


 レザリア=エルシュラント。『月の集落』の戦士である。


 彼女は集落の変な掟を破ってしまい、その罰とはいえない罰を受ける為に、本日からこの家に家事手伝いとして来ているのだ。


 最初誠司はそこまでする必要はないと断っていたが、レザリアは「そんな、ご無体な!」と泣いて懇願こんがんした。なので「いや、罰なんだよな?」と誠司と莉奈は困り顔で顔を見合わせながらも、渋々と受け入れた形だ。


 ただ、それまで主に家事を担当していたライラの養育係でもあるヘザーは、「読書の時間が増えますね」と満更でもない様子だったので結果的には良かったのかもしれない。


 とは言っても月の集落の役目もある為、行ったり来たりの日々が続くのであろう。


 とりあえず今日は初日という事で、先程までヘザーにしごかれながらもようやく一日の仕事を終え、遅れて温泉にやってきたという次第だ。どうやら今日は泊まっていくらしい。


「ああ……これが噂に聞いた……憧れの温泉……リナ、ライラ。私に入り方を教えて下さい!」


「オーケー、今行くね」


 必要以上に目を輝かせるレザリアに返事して、莉奈とライラは湯船から上がりレザリアをわちゃわちゃと取り囲む。


「うんとね、レザリア、まず髪留めよっか。私がやってあげるね」


 そう言って莉奈がレザリアの髪を触ると、レザリアから「ひあっ!」という奇妙な声が聞こえた。


 さすがの莉奈も薄々勘付いている。恐らくだが、エルフの頭だか髪の毛を触る事に何かしらの意味があるのだろうと。


 ただ、嫌がってはいない様なので、莉奈は気にしない事にしている。


「——そんで次はね——」


「——えっと、そしたらね——」


 莉奈とライラはレザリアに温泉の入り方をレクチャーし、あるいは揶揄からかい、ふざけ合い、楽しむ。ちょっとした修学旅行気分だ。


 そして一通りの作法を教えレザリアの身体を流してあげた彼女らは、再び湯船でくつろぐ——。


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