四年後の莉奈 02 —四年後の温泉—





「はあぁ……きもちいいねえ……」


「うん、気持ちいいねえ……」


 その日の晩、家の裏口に繋がっている温泉に莉奈とライラの二人の姿があった。



 四年前、誠司から二人で入らない方がいいと言われた莉奈はライラにその旨を伝えたが「やだやだやだ! もう寝ないから!」と必死に駄々をこねられた。


 困った莉奈は「じゃあ三ヶ月間、一回も寝なかったらまた一緒に入ろうね」と伝え、ライラも渋々しぶしぶ「うん、頑張る……」と了承したのだが——その三日後にはずぶ濡れの誠司が頭を抱えながら風呂から出てきた。


 その姿を見た莉奈はこれは何とかしなきゃ、と思い『一緒に入ることでライラの寝落ちを防げれば』との理由で、それ以降、極力ライラと一緒に風呂に入るようにしている。


 おかげでライラの寝落ちする回数はかなり少なくなった。それでも油断すると、隙あらば寝てしまうのだが——。




「ねえライラ、街に行ったら何したい?」


 ライラが寝てしまわないよう、莉奈は意識的に話しかける。ライラは伸びをしながら答えた。


「んとね……わかんないなあ。とりあえず街に行ってみたい!って思ってるだけだから。街って人もお店も沢山あるんでしょ?」


「そうだねえ。聞いた話だとそれなりに栄えてるみたいだよね。お城とかも見てみたいけど……私はライラと一緒にお洋服見てみたいかな」


 それを聞き、ライラがパッと目を輝かせる。


「じゃあリナとお揃いがいい!」


「ダメだよ、ちゃんと自分が欲しいの選ばないと」


「うん、だからリナとお揃いのがいいの!」


 ライラがぐぐいと顔を近づけてくる。懐いてくれるのは嬉しいが、このままでは将来が不安だ。


 とりあえず今は寝落ちしなさそうだということは間違いない。


「わかった、じゃあこうしよっか。私がライラに似合いそうな服選んであげる」


「本当!? じゃあ私それ着る! 楽しみだなあ」


 ライラはご機嫌で元の位置に戻り、肩までかりなおした。


 その様子を見て息をつき、莉奈は思う。


 将来が不安と言ってもライラの性格だ、外の世界に行くようになり出会いさえあれば、友人や恋人を作るのもワケないだろう。


 そうなったら少し寂しいかな。もしそうなったら——ヘザーと一緒に誠司さんの相手をしながら生活するのも悪くない。


 いや、ライラと誠司さんは一緒の身体だから、結局はライラに付いて行かないといけないのか?


 そこで莉奈はハッとする。もの思いにふけってしまった。慌ててライラの方を見るとまさに船をぎ始める所だった。


「——ライラ!」


 一応呼び掛けてみるが、手遅れだろう。莉奈は少し横にズレて体育座りの姿勢をとる。


 それと同時にライラの身体が一瞬光り——作務衣さむえ姿の誠司が湯の中に出現した。



「ごめん、誠司さん。間に合わなかったや」


 上を向いて呆然としていた誠司が現在の状況を理解すると、莉奈の方を向かずに立ち上がった。


「すまない、すぐに出る」


「たまにはお湯に浸かっていったら? 風邪引くよ」


 湯から上がる誠司に莉奈がからかうように言うと、誠司は「馬鹿言え」と作務衣を絞りながら返した。


「あーあ、ひどいなあ。家族だと思ってたのになあ」


「家族でも一緒には入らんだろ、普通」


「温泉ぐらいは一緒に入ることもあるんじゃない?」


「そんなものか?」


「さあ?」


 莉奈はクスクスと笑う。別に莉奈も好き好んで裸の姿を見られたいとは思っていない。


 この状況への気遣いが五割、体調への気配りが二割、純粋な悪戯いたずら心が一割、残りは——私は家族愛に飢えているのだろう——と莉奈は思う。


 四年という月日を経て、莉奈にとって誠司は異世界の先生であり、師匠であり、そして心の父親になっていたのだ。


 誠司に莉奈の家庭環境を話した時は、いたく同情されたものだ。大変だったんだな、これからはここを君の家だと思って貰って構わないと。


 それからの莉奈は意識的に、礼儀は忘れないが遠慮をなるべくしない様に心掛けた。


 もしかしたら『家族』のある生活がここでは出来るかもしれないと期待して。そしてその願いは、おおむね叶っている。


「では、すまなかった。後でライラの服を部屋まで持ってきてくれ」


「了解ー。誠司さんも身体しっかり拭くんだよー」


 そんな莉奈の言葉に、誠司は左手を上げて応える。


 ——別に水着とかだったら背中ぐらい流してあげてもいっかな、ライラ拗ねちゃうかな?


 そんな事を考えながら、莉奈は誰もいなくなった湯船で身体を思いっきり伸ばした。







 風呂から上がった莉奈は洗濯物をカゴに放り入れ、ライラの服を持って部屋へと戻る。


 部屋にはいつもの席に座り、刀の手入れをしている誠司がいた。


「お待たせー。ライラの服持って来たよ」


「すまないね。後で私の部屋に運んどいてくれ」


 莉奈は棚の上にライラの服を置くと、誠司の向かいの席に腰掛けた。


「いやー、失敗失敗。ちょっと目を離したらこれだよ」


「一応、念の為に聞くが——」


 誠司は手を止め、眉間みけんにシワを寄せ莉奈に尋ねる。


「わざとやってる、という事はないだろうな?」


「ふふん、どうでしょう?」


 莉奈の悪戯っぽい笑みに誠司は「まったく……」と返し、これ以上からかわれてはかなわん、と刀の手入れに戻る。


 そこで莉奈は先程のライラとの会話を思い出した。


「ねえ、誠司さん。ライラ街へ行きたがってたよ」


 その言葉を聞いた誠司は唸り、しばらく考えた後口を開く。


「ライラも十六だ。それに莉奈ももう大人だし、こちらの言語も問題ない。近々皆で街へ行こうと考えてはいたんだが……」


 そこまで言って誠司は口を濁した。莉奈には思い当たる節が一つあった。


「『人身売買』だよね」


「ああ。ノクスが動かなきゃならない程の、な」


 莉奈は先週のノクスと誠司との会話を思い出す。


 ノクスのいるサランディア王国領内で人攫ひとさらいが起きており、どうやら人身売買が目的なのではなかろうか、と言っていた。


 今日ノクスが急いで帰ったところを見ると、決して状況はかんばしくないのだろう。


「私が自由に動ければ是非、力になりたい所だが……いかんせんこの身体だ。ライラの事を考えるとリスクが大きすぎる」


 確かに『魂』が何処にあるか分かる誠司のスキルがあれば状況は好転するだろう。不自然に人が集まっていて、かつ動きのない場所を探せばいいのだ。


「私がライラを見るっていうのはどう?」


 莉奈の提案に誠司は少し考えたが、やがて首を振る。


「いや。詳細がわからない以上、莉奈も連れて行くのは危険だな。君一人ならどうとでもなると思うが——」


 確かに莉奈一人ならどうとでもなるだろう。散々鍛えられたのだ。そこら辺のゴロツキに負けるつもりはないし、最悪飛んで逃げればいい。


 ただ、相手の規模がわからない以上、大勢に押し掛けられた時にライラまで守ってやれる自信はない。対集団戦の訓練などしていないのだから。


「じゃあ、ノクスさんが解決してくれるまでおあずけだね」


「うむ。彼ならすぐに解決してくれるだろう、それに期待し——」


 そこまで言った所で誠司が止まる。明らかに誠司のまとう空気感が変わった。何事かと莉奈が誠司に問う。


「どうしたの、誠司さん——」


 その莉奈の言葉を誠司は手で制し、窓の方を見ながら告げる。


「何者かがこの家に向かってくる」



 莉奈は背筋に冷たいものが走るのを感じた。


 この四年間、ノクス以外の来訪者などなかったのだ。それがこんな時間に——先程まで人身売買の話をしてた事もあり、不安は増す。


「知ってる人……じゃないよね」


「ああ、少なくとも覚えのある『魂』ではないな。ゆっくりこちらに向かって移動してきている」


 莉奈は唾を飲み込む。


 以前、誠司のスキルの探知範囲は五百メートル程と聞いたことがある。ゆっくり、と言っても時間にして十分じっぷん程度しか猶予はないだろう。


「よし、私が行ってくる」


 誠司はそう言い、刀を手に取った。


「待って、私も行く」


「君はここで万一に備えて欲しい。何かあったらヘザーを連れて逃げるように」


「うん……わかった。誠司さん、通信魔法を」


 そう言って莉奈は誠司に向かって手を差し出す。誠司は莉奈と指を組み合わせ、お互いに通信魔法を唱えた。


 こうすることにより、唱えた者同士、ある程度離れた距離でも会話が出来るのだ。


「じゃあ気を付けて。いってらっしゃい」


「いい子にお留守番してるんだぞ」


「……もう」


 ふくれっつらの莉奈に見送られ、誠司は闇の中へと消えていった。







 誠司は闇の中を駆けていく。照明魔法は点けずに、草木の『魂』を見て進んでいる。


 莉奈の時とは状況が違うのだ。莉奈がこちらにやって来た時は突然現れ動く様子がなかった。だが今回は明確にこちらに向かって来ている。


 結界が張ってあるので、その性質上この家の存在と場所を知っている者、ということになる。


 目的の人物まである程度近づいた所で、誠司は音を消して歩く。風が吹き、木々を揺らす音にまぎれて距離を詰めていく。


 相手は灯りのたぐいを使っていないようだ。夜目よめがきく者か、あるいは——嫌な予感がする。


 まず考えられるのは闇に生きる暗殺者のたぐいだ。


 だが誠司は十数年あの家に引きこもっているので、誰かの恨みを買うような覚えもない——とは言え過去に知らない所で買ってしまった可能性は否定出来ないが。


 後は先程話に出ていた人身売買の絡みか。実はこの家の存在自体は知っている者も多い。


 ただ、ある程度の場所の目安がついてない限りは、たどり着けないようになっている。よしんば情報が漏れていたとしても、人をさらうのに単独行動は考えづらい。


(面倒なことにならなければいいが……)


 その誠司の予感は、想像とは別の形で実現することになる。



 相手に気付かれない位置でしげみに身を隠すと、ややあって人影が視認出来た。


 誠司は息をひそめ相手が近づいて来るのを待つ。そして人影が誠司の横を通り過ぎる瞬間――相手の死角から飛び出した。



「——お前は、誰だ」



 急な声に驚いた人影は振り返ろうとし、そして自分の首筋に当てられている刃に気付く。


「ひゃっ!」


 人影は情け無い声を上げ——ドサッという音ともに倒れ込んでしまった。誠司は刃を向け直し再び問う。


「答えろ、お前は誰だ」


 少し待ったが返事がない。誠司は気をゆるませることなく、慎重に照明魔法を唱えた。


 どうやら気絶してしまっているようだ。その人物を見た誠司は——


「ああ、悪いことしたな……確かに君達なら家を知っててもおかしくはないか」


 そうつぶやき、気まずそうに通信魔法を立ち上げたのだった。




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