第二章 四年後の莉奈

四年後の莉奈 01 —四年後の莉奈—




 厄災の地トロア。いつからだろうか、大陸の人間からそう呼ばれている辺境の地がある。


 いくつかの小規模の国家と雄大ゆうだいな自然。過ごしやすい気候に穏やかに移りゆく四季。


 いたって平和そうに見えるこのトロア地方が何故なぜ厄災の地と呼ばれているか、この場所を最近知った者にはわからないだろう。



 そんなトロア地方の西部には広大な森——トロアに住む者からは『迷いの森』とおそれられている森がある。


 そしてその森の西端せいたん部の空には、悠々ゆうゆうと飛んでいる一人の女性の姿があった。







 森の中を荷馬車が走っていた。目的地はその存在を知る者にしか辿たどり着けないと言われている、通称『魔女の家』だ。


 浅黒い肌、引き締まった身体、整った髭をたくわえているというただの御者ぎょしゃにしてはいかつすぎる風体をしている彼は、恩義あるその家に住む者の為に週に一度の生活物資を運んでいた。



 小国ながら騎士団長を務めていた彼は数年前に現役を退しりぞき、今は愛する家族と、そしてこの家に住む者の為に時間を費やしている。



 彼が退任を決めた時は、大層、惜しまれたものだ。


 だが、肩書きのせいで余分な仕事がどんどん増えていき、いよいよこの家に通うのが困難だと感じた彼は迷うことなくその地位を捨てた。


 家族も事情をわかってくれているので問題はなかった。



 だが、きっぱりと退任を決めた彼に、事情を知った国は充分な恩賞金に加え、騎士団相談役としての地位を新設し与えてくれたのだ。


 これにより彼は日々の雑務からは解放され、その上で騎士団長以上の権限けんげんが与えられている。


 有事の際に動いてくれれば問題ない、との事だ。おかげで食い扶持ぶちにも困らない。



 ——自分は恵まれているな。今の自分があるのはあの人達のおかげだ。



 そんな思いにふけっていたところで、空から人影が近づいてくるのに気づいた。


 彼は荷馬車の速度を落とし、その人物が降りてくるのを待った。




 やがて目の前まで来た女性は、ライトベージュのコートをひらりとひるがえし、降り立った。


「こんにちは、ノクスさん。今日は遅かったね」


「やあリナちゃん、こんにちは。ちょっとゴタゴタしててな。もしかして出迎えに来てくれたのかい?」


 莉奈は軽く浮き上がると、荷台の空いてるスペースに腰掛けた。それを見てノクスは再び馬車を走らせる。


「何かあったら心配だからね。主に私達の食料が」


「おいおい、俺の心配はしてくれないのかい」


 莉奈は悪戯いたずらっぽく笑い、ノクスと軽口を叩きあう。


「ノクスさんを心配しなきゃいけない事態が起こったらそれはもう世界規模の危機だよ」


「んな訳あるか、バカ」


 ——最初に比べてずいぶん明るくなったな。と、ノクスは嬉しく思う。


 初めて会った時の彼女は、言葉が喋れないことを差し引いてもどこか乾いているような印象を受けた。


 今は潤っているのだろう。あの家族の影響が大きいんだろうな、と感じる。


「にしても、ずいぶんこっちの言葉も上手くなったな。そんだけ話せりゃいつ街に来ても大丈夫だろう」


「うーん、興味あるし誠司さんにも勧められてるんだけどね。でも私一人で行ったらライラがねちゃうよ」


ちげえねえ」


 拗ねているライラが容易に想像出来て、二人して笑い合う。だが、ひとしきり笑った後でノクスは神妙な面持ちになり言葉を続けた。


「ただな、こんな事言っといた後でなんだがリナちゃん、今は街に来るのは止めといた方がいい」


「何かあったの?」


「ああ。さっきも言ったがちょっとゴタゴタしててな。今日も荷物を運んだら街へとんぼ返りだ」


「ええー、泊まっていかないの?」


 退任して時間に余裕が出来たノクスは、運搬の日に泊まっていく機会が増えた。


 その度に莉奈はノクスに稽古をつけてもらっていたのだ。王国一とも呼ばれる元騎士団長から学べることは多い。


「すまねえな。セイジともちょっと話したかったんだがな」


「あーあ、今日こそノクスさんに一泡ひとあわ吹かせたかったのに」


「言ってろ」


 そう言ってノクスはくくっと笑う。実はノクスも莉奈との稽古は楽しみなのだ。


 勿論、純粋な剣技でいえば莉奈とノクスとの間には天と地ほどの差がある。


 だが、彼女の『飛ぶ』というスキルのおかげで、ノクスもまた莉奈との稽古から学ぶことが多かったのだ。


 そう、あれは過去に初めて実戦形式で稽古をした時の話だ。


 ノクスのあまりの猛攻に耐えられなくなった莉奈はたまらず空へと逃げた。そこから莉奈は「ひっ、ひっ!」と半ベソをかきながら弓矢をペシペシ撃ってきたのだ。


 最初は律儀にはじいていたがらちがあかなくなり、ついノクスは自分の武器である剣を「ふんっ!」と投擲とうてきしてしまった。


 その剣はノクスの狙い寸分違すんぶんたがわず莉奈の耳元をヒュンッと通過していった。


 弓を構えた姿のまま固まってしまった莉奈はやがてフラフラと降りてきて「参りました……」と膝から崩れ落ちた。


 この稽古をて、ノクスは空を飛ぶ知性持ちの相手の対策を真剣に考えるようになったし、莉奈は剣士相手だからといって空にいても決して安全ではないと認識した。


 はたから見たら実に不毛な戦いだったであろうが、二人にとっては実りのある稽古となったのだった。







 莉奈を乗せてから三十分弱、他愛もない話に花を咲かせている内に荷馬車は目的地へ到着した。


 その音を聞きつけた耳の長い少女が、待ちきれないといった様子で駆け寄ってくる。


「ノクスさん、こんにちは! リナと会えたんだね!」


「おう、ライラちゃんも元気そうだな。すまねえ、すっかり遅くなっちまったな」


 ノクスが荷馬車から降り、ライラの頭をポンと撫でる。それに続き、莉奈がふわりと荷台から降り立った。


「さあライラ、荷物下ろしちゃおう。ノクスさん今日すぐに戻らなきゃいけないんだって」


「ええー! 泊まっていかないのー!?」


「ほら、わがまま言わないの。さ、早く早く」


 ——どの口が言う、とノクスは苦笑する。なかなかお姉ちゃん役が板についてきたじゃないか。


 初めて莉奈に会った時、ライラに「お姉ちゃん出来た!」と紹介された時は驚いたものだ。


 だが、形だけでなくそろそろ正式に養子に迎え入れてもいいんじゃないか、今度セイジに言っといてやろう——荷物を下ろしている二人を見ながら、ノクスは感慨にひたる。



「そういやヘザーさんはどちらに?」


「あっち! 洗濯物干してるよ!」


 ライラが指差す方向を見ると、ノクス達の到着に気づいたのか洗濯物を抱えたヘザーがこちらにやってくる所だった。ノクスは急いで駆け寄り、騎士の礼をとる。


「こんにちは、ヘザーさん。遅くなり申し訳ございません」


 仰々ぎょうぎょうしい礼をとるノクスに、ヘザーはため息をつく。


「ノクスさん、いつも言っていますが私にそんな礼など不要ですよ」


「気にしないで下さい。俺がやりたくてやっている事ですから」


 普段の気さくさは鳴りを潜め、真面目な態度で受け答えするノクスにヘザーは二度目のため息をついた。


「出来れば私にも気を遣わずあの子達の様に接して欲しいのですが……あ、そうそう確か『イジる』というやつでしたっけ」


「そ、そんなこと出来る訳ないでしょう!」


 ヘザーの言葉にノクスは変な汗をかく。本気で言ってるのかわからないが、もし、からかわれているのだとしたらイジられているのはノクスの方だ。全く人が悪い。


 そんなノクスの様子を見たヘザーはクスリと笑い、ノクスにとっては今日すでに三回目となる質問を投げかける。


「今日も泊まっていかれるのでしょう? 何かお好みの食事があればご用意いたしますよ」


「ああ、すいませんヘザーさん。今日はこのまま帰らせて頂きます。ちょっと国の方がゴタついてまして……」


 ノクスの言葉に思い当たるふしがあり、ヘザーは声を潜める。


「……もしかして、先週お話しになってた『人身売買』の件でしょうか」


「ええ。国は関与してないでしょうが……誰だろうとウチの領内でそんな事やられた日にゃあ、とてもじゃないが見過ごせませんので」


「そうですか……何か私達で力になれる事があればおっしゃって下さいね」


 ヘザーの申し出にノクスはブンブンと首を振った。


「とんでもねえ! ヘザーさん達を面倒事に巻き込む訳にはいきませんって」


 ——少しは巻き込んで欲しいものだ、とヘザーは思う。


 ノクスがこうして週に一回物資を運んでくれるので私達の生活は成り立っているのだ。少しは恩返しをさせて欲しい。


「それでは俺はここらで失礼します。セイジによろしく言っといて下さい」


「ええ。ノクスさんも気を付けて下さいね」


 ——では、と言いノクスはきびすを返す。それを見送るヘザーは深く頭を下げた。







「じゃあね、また来週!」


「おう、また来週」


 ノクスを見送った莉奈達は、運搬してくれた物資を手押し車に乗せ家の中に運び込み、目録もくろくをチェックしていた。


 主に食料品が中心だが、リクエストをすれば服なども運んできてくれる。莉奈が今着ているコートもそうだ。


 空を飛ぶにあたり、風にはためく音を感じたくてトレンチコート風の上着を図に描いてお願いした。あとはカーゴパンツ風の物も。


 さすがに下着をノクスにお願いする訳にはいかないので、年に数度、ヘザーがノクスの護衛付きで街まで行く時にヘザーにお願いすることにしている。


 ライラは成長期だが、元々ゆったりとしたローブなので同じものを着回している。


 ただ、当時は足元を引きりそうだったのが、今はレギンスがしっかり顔を出している。月日が流れるのは早いなあ、と莉奈はしみじみ思うのだった。



「ん? どこ見てるの、リナ」


 ライラが莉奈の視線に気付いたのか、そう尋ねる。


「いや、ライラも大きくなったなあってね。ローブのたけも大分短くなったよね」


「えー、そうかなあ」


 そう言ってライラはローブのすそまくり上げ、手に持ったまま右へ左へ動かす。


「自分じゃ気付かないけど」


「ほーら、やめなさい。はしたないんだから。外でやっちゃダメだよ」


「リナの前でしかやんないもーん! ヘザーの前でやると怒られるし」


 ライラはそう言って、くるりと回り荷物の整理に戻る。


 ヘザーが怒ると言っても別に怒鳴りつける訳ではない。


 ただ、「ライラ、そこに座りなさい」と言い、何故やってはいけないのか、どの様なリスクがあるのか、という事を理詰めで説教されるのだ。


 ライラの性格上、たまったものではないだろう。「リナぁ……」というライラの目を見て莉奈は苦笑するしかなかったものだ。


「でもヘザーが言ってるように、街って変な人いっぱいいるのかなあ」


 ライラがヘザーの説教を思い返し質問する。


「んー、私のいた世界と一緒なら普通の人の方が多いよ。ただ、変な人は少なからずいるし、こっちが変なことすれば変な人が寄ってくるのは間違いないと思うけど」


「うーん、そうなんだ。行ってみたいなあ、街」


 ひとえにライラが街へ行った事がなかったのは不測の事態に備えてだ。


 ライラの時間に誠司が干渉出来ない以上、ヘザーに任せるしかないのだが、もし何かあった時に幼いライラを彼女一人でというのは難しい所でもあった。なにしろヘザーも街に慣れている訳ではないのだから。


 付きっきりでノクスに護衛をお願いすれば話は別だが、当時騎士団長という役職に就いていた彼に、お願いする訳にはいかなかっただろう——頼めば喜んで引き受けてくれそうではあるが。


 だが、ライラも大きくなったし莉奈も一般会話レベルなら問題なく話せるようになった。そろそろ街を経験してもいいんじゃないだろうか。


「そうだね、ライラ。今度誠司さんにお願いしてみるよ」


「本当!? リナ大好き、約束ね!」


 ぴょんと抱きついてくるライラに、中身は昔から変わらないなあ、と思う莉奈であった。


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