異世界チュートリアル 07 —戦闘訓練—




 結論から言うと、この家に私のサイズに合うものはなかった。


 ヘザーさんは元の世界でいうところのカジュアルドレスしか着ないらしく、ライラのものはサイズが小さく入らない。


 そもそも、だ。下着問題に限らずいつまでも同じ服という訳にもいかない。制服はともかくブラウスは特に。午前の練習で早くも汗だくだ。


 とりあえず、週一で訪れるというノクスさんに着れそうな服をお願いしてくれる、とのことなので、それまではゆったりと作られたライラの白いローブとペチコートを借りることにした。


 ライラが「お揃いだ!」と喜んだのは言うまでもない。




 私達は遅めの昼食を取り終え、お茶を飲みながら今後の私の育成計画を話し合った。



「リナさん。空を飛ぶ魔法の使い手は、ある一つの別の魔法を必要とします。寒さを防ぐ魔法『防寒魔法』です」


「『防寒魔法』ですか」


 考えてみれば当たり前の話だ。高く飛べば飛ぶほど気温は下がり、速く飛べば飛ぶほど風を受けるのだから。


「ええ、魔法を覚えるというならまずそれの習得を目指しましょう。幸い、それほど難しい魔法ではありませんし、覚えれば何かと役に立ちますよ」


 そう言って、ヘザーさんは本を二冊広げた。


「まず、こちらが『防寒魔法』について記されている本です。魔法というものは一つ一つのことを、情景を思い浮かべながら、丁寧に、心を込めてつむぐことで発現します」


 ヘザーさんが一つのページを指差す。参ったぞ、何が書いてあるかさっぱりわからない。


「その『心を込めて言の葉を紡ぐ』という部分が非常に難しいところなのですが……感覚として理解出来るようになるまでひたすら繰り返し練習するしかありません。その為にまず、リナさんはこちらの世界の言葉を理解する必要がありますね」


 そこで——と言い、ヘザーさんはもう一つの本を指差す。


「この本は、日本語でいうところの『絵本』と呼ばれるものです。まずは簡単なところから始めましょう」


「が、頑張ります……」


 ゼロからの語学習得を考えると頭がクラッとする。なぜ学校ではこのような事態に備え、異世界語を必修科目に指定していなかったのか、と遺感の意を表したい。


「リナ! わからない事があったら何でも聞いてね!」


 ライラ先生の頼もしい言葉を受け、私は絵本と向かい合った。




 その後、ヘザーさんが付きっきりでこの世界の言葉を教えてくれた。


 ライラも私の勉強を手伝う気満々だったが、残念な事にヘザーさんに「ライラは自習を」とすごまれてしまったので、今は大人しく魔法の本とにらめっこしている。


 たまに眉間みけんに指を当て「むー」とか言っているのは真面目に取り組んでいる証拠だろう。


 教えて貰っている内に一つの事に気づいた。この世界の言葉は日本語に非常に似通にかよっているのだ。特に発音に関しては日本語の感覚で問題なく発声できる。これは大きい。


 ——文字を覚え、読み方を教わり、発音してみる。


 数時間後、絵本の最初の数ページを読めるようになり、ライラとこちらの言葉で二度目の自己紹介をしたところで今日の勉強はお開きとなった。




「この調子なら、数年もすれば一人で街に出ても問題ないくらいにはなるでしょう」


 私とヘザーさんは再び庭に向かっていた。


「あくまで会話の面に関しては、ですが」


「どういう事でしょう?」


 ふくみをもたせたヘザーさんの物言いが気になり、私は聞き返す。


「その為の訓練を今から行います」


 玄関を出た私を、先に庭に出てストレッチを行なっていたライラが出迎えてくれた。


「さ、リナも早くストレッチ、ストレッチ!」


 何が始まるというのだろう。困惑してヘザーさんの方を見る。


「セイジからも説明がありましたが、この世界には魔物がいます。魔物以外にも悪意を持って襲いかかってくる者も中にはいるでしょう。少なくとも自衛の手段は必要です」


 そう言って、ヘザーさんは私に木刀を渡してきた。


 ああ、それってつまり——


 ライラが駆け寄ってくる。


「戦闘訓練、だよ!」




 

 異世界ものにバトルは付きものだ。


 いざとなれば私は飛んで逃げればいいのかも知れないが——例えば、目の前の少女を守ってあげないといけない日が来るかもしれない。


 私に出来るのだろうか? ライラとストレッチをしながらそんな事を考えた。



「それではリナさん、ライラに好きなように打ち込んで下さい」


 ストレッチを終えた私に、ヘザーさんはそう告げた。


 いや、いくら木刀とはいえ十二歳の子供に打ち込んでいいものかどうか「え……打ち込む?」と思わず聞き返してしまう。


「そだよ。あ、ちょっと待って、一応、防御魔法かけ直しておくね!」


 そう言ってライラは木の杖のようなものを小脇こわきに抱えて詠唱を始める。


「でもヘザーさん、万が一当たってしまったら……」


 私がそう聞くとヘザーさんは「ああ」と何かに納得した声をあげた。


「すみません、ちょっとお借りしますね」


 そう言って私から木刀を受け取り、ちょうど詠唱を終えたライラの方へ向かって行く。


「ライラ、リナさんを安心させてあげましょう」


 最初はキョトンとしてたライラだったが、言葉の意味を理解したのか「ヘザー、いつでもいいよー。リナ、見ててね!」と、ニコニコしながら手を振った。


「では、失礼」


 そう言うなり、ヘザーさんはまだ私に向かって手を振っているライラの肩口に向かって木刀を振り下ろした。


 私が、あっ、と言う声を上げる間もないまま——


 ——カツッと言う小気味よい音を立てて、ヘザーさんの木刀ははじかれた。


 右手一本で振り下ろしたとはいえ全く手加減した様子はなかったのに、ライラは平然としている。


 私はライラに近寄り、思わず両手でライラのほっぺを引っ張ってしまう。


「こんなに柔らかいのに……」


「すほいへほー」——ぷにぷにだ。


 防御魔法とは身体を硬くするといったものではなく、攻撃や衝撃に対して有効に働くというものなのか。


「ご覧のように、ライラの防御魔法はこの程度では破れません。安心して打ち込んで下さい」


 そう言ってヘザーさんは再び木刀を私に渡す。


 私は覚悟を決め、ライラと対峙たいじした。


「いくよ、ライラ」


「リナ、全力で来てね!」


 当然、私は今まで剣など振るったことはないので、物語のイメージでライラに向かって木刀を振り下ろす。


 だが、最初の一撃はライラの杖で難なく弾かれてしまった。


 続けて二撃、三撃と打ち込むが、これらも全て弾かれてしまう。


 最初はいくら大丈夫と言われても心のどこかで手加減をしていたが——繰り返していく内にそんな余裕はなくなった。



 打ち込む。打ち込む。もう何回打ち込んだだろう、私は実感していた。


 ライラと私では圧倒的に経験値が違うのだ。それを証拠に、ライラはその場から一歩も動いていない。


 防御魔法云々うんぬん以前の話だった。


 もしかしてライラが防御魔法を掛け直したのもヘザーさんが実演して見せたのも、単に私に対する気遣いだったのかもしれない。


「——ではライラ、次はけて下さい」


 その言葉を合図にライラの動きが変わった。杖で弾くことを止め、私の攻撃を紙一重で避けるようになった。


 必然的に、今まで動かない相手に攻撃していた時よりも私の動きは大きくなる。


 右へ左へ避けるライラを必死で追いかけ続けた私はやがて息があがり、ついにはみずから体勢を崩し倒れてしまった。



「とりあえずこのくらいにしましょうか」


 ヘザーさんが水筒を持って私の方にやってきた。


「……すごいね、ライラ」


「ヘザーがいつも容赦してくれないからだよ!」


 少し顔を赤らめながら、ライラがブンブンと首を横に振る。


 私は差し出された水を飲みながら先程の訓練を思い出す。


 いくら私が初めて剣を振るったとはいえ、相手は十二歳だ。


 高校生になった私が小学生に負けたのとほぼ同義である。しかも圧倒的な実力で。


 それなのに——ライラは私を見下すことも笑うこともせず、ただただ真剣に向かい合ってくれた、それが嬉しかった。


 ——私がすごいって言ったのは、そういう意味なんだよ、ライラ。


「それでねリナ、お願いがあるんだ」


 突然ライラがモジモジしだした。


「なあに?」


「お父さんから剣を教わって、私と今日みたいに戦って欲しいの」


 鎌柄さんから剣。確かに独断と偏見で言わせてもらうと刀を振るいそうな人だけど。


「ダメかな?」


「いいけど、どうして?」


「ええっとね、何て言うんだろう……」


 ライラは口を開いては「あー」とか「うー」とか言っている。


「それは私からお答えしましょう」


 言葉を詰まらせるライラにヘザーさんが助け船を出そうとする。


「もう! お答えしなくていいの!」


「ライラはセイジとコミュニケーションをとりたいんですよね、リナさんの剣を通して。日記だけでは不満ですか?」


 お構いなしに続けるヘザーさんの言葉にライラは「わー、わー!」と言っていたが、やがて観念して口を開く。


「……だって、もしかしたらお父さんはずっと遠くにいて、日記はヘザーが書いてるのかもしれないじゃん」


 なるほど。ライラは少しでも父を感じていたいのだ。


 存在を本気で疑っている訳ではないだろうが、もし私がヘザーさんには出来ない鎌柄さんの技術を出来るようになれば——それがライラの励みになるかもしれない。


「わかったよライラ。私、頑張って誠司さんから剣を教えて貰うね」


 そう言ってポンと頭を撫でる。そんな私の言葉を聞き、さっきまで口を尖らせていたライラの表情がほころんだ。


「本当!? どうしよう、私、リナのこと大好きだ!」


 ライラは私の胸に飛び込んでぎゅうと抱きしめてきた。この娘が父親に会える日はいつか来るのだろうか——出来ることならその日を見届けたいものだ。



「それでは次、ライラの番ですよ」


 私から無理矢理引き剥がされたライラは「うー、うー」とこちらを名残なごり惜しそうに見つめながらヘザーさんに引きずられていく。


 やがて庭の中央で対峙した二人は、打ち合いを開始した。


 ヘザーさんは先程まで私が使っていた木刀を使い、ライラの攻撃を軽くいなしていた。


 対するライラは、防御魔法のお陰もあってかとにかく思い切りよく攻め込んでいく。


 ライラも凄かったがやはり経験の差があるのだろうか、終始ヘザーさんがライラを圧倒していた。


 私の時とは違い、今回はライラが『訓練』されているのがはたから見ても明白であった。


 時間にして十分程打ち合い続けただろうか——ライラがポコンと頭を叩かれたのを合図に、訓練は終了したようだ。



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