バイラス・ケイの学者としての敗北

鳩鳥九

第1話


 バイラス・ケイは日系アメリカ人で、ハーフである。

国公立大学を卒業したものの就職活動が面倒になり、

長野県在住の祖父の家に住み着き、

自分探しと称して人生のモラトリアムに興じていた。

背幅も180cmほどあり恵体にも恵まれ、友人にも困らなかった。

しかしその長野県での生活では誰も友達を作らず、

和室の障子を開けて蚊取り線香と外の景色を眺め、

団扇を仰ぎながら蝉の声を聴いていた。

その空間が彼を落ち着かせるものとなっていた。


 祖母は優しく、スイカを皿に乗せて塩をふりかけて持って来てくれた。

祖父は海外の就活事情のことは及ぶところでは無かったので、放任した。

バイラス・ケイは古びた日本家屋で甘やかされながらも、

その恵まれた環境からは縁のない奇妙な夏を謳歌していたのであった。


 ケイは鼻が全体的に大きく、タレ目の青眼であり、

やや長い茶髪の髪毛を後ろで縛り、汗で色が落ちたミサンガをしていた。

少しだけ視力が悪かったが、アメリカにいた頃に没頭したバスケットボールを行うにはなんの支障もきたさなかった。


 彼は彼女もいた。付き合ったり別れたりを繰り返していた。

今はいなかったが、彼は人間関係にも不自由は無かった。

情熱的な燃え上がるような恋は一度も経験したことは無かったが、

そんなことは些細な事だと思えるほど、

安定で健全で、非常に豊かな人生を送っていた。

だからこそ、退屈していたと言えば退屈していたし、

現状に満足していたといえば、していたのだ。


 彼は運動が良くできるものの、性格は温厚で器用だった。

静かな所でも、賑やかしい所でも、温和に暮らす適応力もあった。

音楽を好まず、芸術に精通しておらず、物語を介さなかった。

暗記寡黙は得意だったし、理数系の科目の成績も良かったが、

学校の先生の指示以上に踏み込んだ勉強は一度だって行わなかった。

テストの点数が平均を大きく超えていれば、ため息をつくようにホッとする。

彼はそういう男だった。教養を身に着けていないコトに気が付かないような、

そしてそれらを必要としないような、そんな強くて安定して、

得てして中身のないことに困ったことのない秀才もどきの幸せ者だった。



ふっと異世界転生をした。転生しちゃった。嗚呼転生した。



 流行に乗ってしまった。便乗に乗ってしまった。流行ってしまった。

ここまで堅苦しい文章を並べていたが、とうとう転生した。ありゃ、

祖母と山岳地帯の標高の低い山に登山に出掛けた帰り、

川のほとりの草むらで泳ぐように光る蛍を眺めていたら、

その光に吸い込まれるように目を奪われた。

決してトラックなどに引かれたわけではなかった。

そこは中世ヨーロッパの暗黒時代を思わせるような場所だった。


 バイラス・ケイの人生はそこからがダイジェストだった。

異世界転生における〝よくあるイベント〟を大体全部回った。

別にこういったものに素養があるわけでもなかったが、

素材集め箱庭ゲームのように、淡々と何でもこなしていった。



 岩に刺さった剣を見つければ竜に選ばれ、

神から授かった魔法を使えば村人が助かり、

荒れた鉱山を見つけては商人と取引をし、

無鉄砲な男の話を適当に聞くと友達になり、

道端でゴブリンを倒せば女性に好かれ、

ギルドに依頼を熟せば屋敷を手に入れ、

七つの宝玉を探しに行けばそれを発見し、

終焉の魔王が動き出せば修行を行い、

魔王の部下を退ければ強くなり、

そこそこ苦戦をしながら魔王を倒した。

5人くらいの彼女候補と、屈強なライバルと、

最強の装備品と、金銀財宝と、永久の平和を手に入れた。

経済も回ったし、お祭りも盛り上がったし、

政治もなんかいい方向に行った。



「はぁ、はぁ……やっと終わったんだな……」



 それっぽい台詞が出てきた。

とてもよくできた薄っぺらいダイジェスト映像だった。

ご都合主義も甚だしく、バイラス・ケイ本人も、

〝こんなもんか〟と思ってしまうような、作業ゲーだった。

この世界では日系アメリカ人という設定も、

長野県在住の祖父母がいるという設定も、

身長が180㎝で、大学卒業という設定も、

さして大した意味は無かった。機能という機能はしなかった。

けれど物語を介せず、音楽を介せず、共感性の薄い彼の、

非常に淡白な性格と、中流エリート家庭育ちのアメリカ人という性質もあり、

特に意味もなく淡々と弱者を、感情移入もしないまま救って行った。

異世界転生特有の超ご都合主義的な舞台構造に何の疑問も抱かないまま、

本当に淡々と作業ゲーのような日々であったが、その日常でさえ、

魔王という存在を失うことによって、更にもう一段階、無味乾燥なものとなった。



「そういえば、魔王が残した最後のセリフはなんていったんだっけ? 」



〝閉門した安寧は風穴をこそ欲しただろうに……〟



 それが魔王の最後の言葉だった。魔王は1000年以上の歳月を生きた人外で、

憎悪と瘴気を媒介とした炎熱系魔法を使用することで、

この広い大陸の7割を支配した怪物だった。

そんな存在が残した遺言が、全く意味のないものであるはずがない。

バイラス・ケイはその言葉をふと思い出し、気になってしまった。



(閉門……つまり、この世界のどこかに門があって、

その門を魔王は開けようとしていた……

オレが魔王を退治したことによってそれらが不可能になった。 

けど、この世界はそもそも、この安寧の状態ではなく、

その門に風穴が空いた状態こそが、この世界の本来の形であるということか? )



 バイラス・ケイは25歳だった。

そして彼の推論は当たっていた。彼は退屈なクリア後の人生から脱却するため、

魔王の残した最後の言葉を検証することにした。

かれは451種類全ての魔法を扱い、ライオット大陸随一の資産家である。

彼を慕う一門は何百人にも及び、彼の命を守るための護衛は数千人存在する。


(部下だけに指示するのも尺だから、オレも考古学の資格を取るか)


 大陸中の考古学者、歴史家、言語学者、魔法使いを使役し、

持てる限りの全ての資産を投資して、国家レベルのプロジェクトとして、

西の氷河の大陸に数万年前にあったかもしれない異界の門を調査した。

この異界の門は5年という歳月をかけて発掘された。


(思ったよりも時間がかかったな。ふん。面白いじゃないか)


 その5年という歳月こそが、バイラス・ケイをさらに成長させた。

彼には絶対暗記のスキル〝エターナルリード〟がある。

これは忘却という機能が存在しないドラゴン族を模倣するスキルで、

忘れるという概念を無くす特殊能力であり、

彼はこの神に近いしい能力を不敬なことに、資格勉強に全て費やしたのだ。

これによって彼は、現存する全ての専門職のライセンスを取得し、

魔力量としての全知全能だけではなく、

大陸の社会性としての全てのライセンスを僅か5年でコンプリートしたのだ。


(ほらみろ、オレは30歳にして、世界の真理に近づくことができたじゃないか、

まぁ……こんなもんなんだろうな)


 こうしてバイラス・ケイ率いる探検隊はその心理の扉の前に相対した。

複数のコードとそれにともない注入する魔力炉をクリアし、

いよいよ魔界の門が開かれんとした。しかし、門は開かれなかった。

門には別のロックがかかっており、それらにいは9個種類の言語による、

まるでプログラミングのような入り混じった命令系統が存在していた。

その9種類の言語を解読するためには、各地に点在する7つの世界古代遺産を巡らなければならないということがわかった。


(しかし、その世界七不思議とも称される7つの世界古代遺産のウチ

現代まで形をなんとか残しているのは1種類だけだ。

これも時間をかければ解読できるだろう)


 バイラス・ケイはこれまた資材と名声を投資して1つの世界古代遺産を調査させ、1つの言語の文法を解読させて見せた。

また、残りの8個の言語の内、4種類は現存する亜人種族が、

その〝名残り〟を残しているので、そこから逆算して解読することができた。

そう、例え世界古代遺産が現存するものではなくとも、

〝言語の流通は生き物〟であるため、そこの経路を通して代用すれば、

その解読は可能である。


オーク語

エルフ語

後期べレル語

北シュナイドル語(クラリネシア訛り)


 上記の4種類を持って、5つの解読言語のキーとしたのである。

だが、それでも残りは4種類の言語が立ち塞がった。

9種類のプログラミングのような言語を使用し、

複数の解読キーを持って門を守るということができいるのは、

これを作った数万年前の古代人は相当の文明レベルだということがわかった。


(ここまでで、さらに4年の歳月が流れた……

結局、探検隊の中でもその門の向こうにそこまで執着しているのは、

魔王の言葉を直に聞いたオレだけだったのだな。

前進し、金を使い、信用を天秤にかけてまで、

人や物や資材をこの門の研究だけに費やしてきたオレから、

ゆっくりとゆっくりと、人が離れていくのだから……)


 34歳にしてようやく6つ目の言語の解読に成功した。

なんとその6つ目の言語とは、バイラス・ケイの元にいた世界……

つまり、現代社会のドイツ語と酷似していたのである。

ここにきて平行世界の言語学を体験していたバイラスの叡智が役に立ち、

この研究は大きく前進することになった。


 6つ目の言語が発覚したことにより、

芋づる的に7つ目の言語も発覚、まさかこれほど長い歳月がかかるとは思わなかった。

所謂ロストテクノロジーというやつである。

科学技術がどれだけ発達しようと、

本当の過去の事象の〝正解〟にたどり着けないのと同じ現象だ。

考古学会では、毎年ティラノサウルスの本当の姿に対しての議論に、

一向に決着がつかないことと同じ現象を、

バイラス・ケイは痛感することになった。


(だが、私は見たい! この扉の先が見たいのだ!

どれほどの犠牲を払ってもいい! オレを愛してくれた人の命だって……

生贄に捧げたっていい。オレはこの世界で最強の男だ。

全ての権力はオレに集中しているんだ。

だから、どうせオレはこの世界の中であるなら、

ありきたりな、つまらない全盛の幸福を味わえるに決まっているのだ。

だからこそ、この謎だって……簡単に……解読できるに決まっている)


 そこから8年の歳月が過ぎた。

余りにも時間は残酷だった。バイラス・ケイは42歳になっていた。

ここでようやく8個目の解読言語の完全な翻訳に成功した。

どれだけの学者の学者生命を削ったのか、もはや検討は付かなかった。

数千兆という金の大半が無駄に終わった。



だが、そこで朗報があった。



 8個目の解読言語が発覚することにより、

〝門の向こう側〟の情報の推論が可能となったのだ。

門そのものの開門にはあと一つの解読言語の解明が必要だが、

それに伴う副産物と言うべきか、門の膨大なテキストを照らし合わせるだけで、

向こう側への情報が、かすかにだが、掴むことができたのだ。

この情報は多くの学者を救った。その情報は以下の通りである。



・この門の向こう側には更に膨大な世界が広がっている。

・その世界の名をロッド・ヘイルという。

・ロッド・ヘイルには808個の別の〝門〟がある。

・28種の亜人と、重力操作版と、ユニバースシステムなるものが存在する。

・そこの第一世界の大陸は、〝こちら側の世界〟の23倍の面積を誇る。

・魔法的資源や干害を防ぐ植物、ヘドロを喰う魚、空飛ぶキューブが存在する。

・そこには5つの国々と、53もの王族が存在し、髄神という祟り神がいる。



 これが8つ目の解読言語を突破したときに得られた情報であった。

数多くの科学者が喜び、研究に邁進したが、当の本人であるバイラス・ケイは、

ついに心が折れそうになった。これが絶望というものであった。

彼はついに、自らの鼻っ柱を折られることになった。

世界はあまりにも広すぎたのだ。



(オレが14年かけて開こうとしている門が、向こう側の世界では808個もある……

オレはこの世界の支配者も当然の存在であるのに……

この世界の23倍も広い世界に、たどり着けてさえ、いない。

しかも、その23倍もの広さのロッド・ヘイルでさえ、

〝808個の門〟を手渡しするための橋渡し役でしかない。

つまり……それは……)



 この世界はバイラス・ケイにとって、広すぎた。

いかに長寿の魔法を活用しても、この国の人間の寿命は400歳までが限度である。

この世界の全ての謎を解明することができないということを、

バイラス・ケイは人生で初めて痛感することとなった。

人生で初めて、彼は挑みがいのある挑戦を得て、それに挫折した。

途方もないほどに世界は広く、多くの人間は悟る前に死ぬのだ。

その事実に彼は打ちのめされ、数年間隠居生活を送った。



バイラス・ケイは伝説の勇者としてたった数か月で魔王を倒し救世主となった。



バイラス・ケイは残りの一生の全てを考古学に投資し、世界の謎に迫った。



残りの人生の全て、その謎に対して敗北し続けるという、屈辱の人生を送った。



彼は勇者としては稀代の一流であった。



しかし、学者としては3流であった。



彼は血涙を流しながら、多くのモノを失い、自尊心を傷つけながら、



目の前の〝古代ミステリー〟に完膚無きままに叩き潰されていった。




30年の時が流れた。




 72歳となったバイラス・ケイは、9個全ての解読言語を突破し、

〝門の向こう側〟の世界に遠征を開始し、失敗した。

数万の軍勢に転移魔法を装備させて侵略戦争を開始したが、

平行世界転移磁場周波数の乱れが生じ、数多くの有能な部下を失った。

神の気まぐれで、多くの命が死んだのだ。

そしてその〝門の向こう側〟が、バイラス・ケイのモノにいた世界であるというわけでもなく、わからないことばかりが増えた。



(8個目の解読言語を突破した時に得られた情報も、

こちら側の世界にとって8000年も前のデータだった。

もうまるっきり当てにならない……

侵略戦争を諦めて、こちら側の調査を始めたが、未知の疫病にかかり、

残されたわずかな部下もしなせてしまった。

元の世界にも戻れなくなってしまった。もう、ダメだ)



伏線は回収されず、世界の謎もわからず、彼は謎の前に屈服した。


文明レベルの差を、権力や財力や魔法で補うために、


かれは50年という歳月の全てをついやし、失敗した。


汚物とゴミの山で昏睡状態になっている彼の姿がそこにあった。


彼は負けたのだ。


知的好奇心に身をゆだね、魔王の言葉を耳にしたばっかりに、


彼は世界の広さそのものによって、ボロ雑巾になってしまった。




(……オレの人生は、一体、なんだったんだ……)




伝説の勇者が、反則級の叡智の魔法を使役し、


一時的に学者以上の知識を得たとしても、


それをあざ笑うかのように、この世界は広がっていて、


彼はその現実を前に、自殺をしたのであった。



おしまい


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

バイラス・ケイの学者としての敗北 鳩鳥九 @hattotorikku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ